Noteをシェアする勇気が出ないとき、noteを読む目的を考えてみた
Noteをおよそ1ヶ月続けて気づいたこと。
・文章は血の通った関係の人にしか届かない
・noteのコンテンツは求めている人にしか届かない
この2点です。
私達はどういう目的でnoteを読んでいるかを考えてみましょう。
目的1
著者のことが好きで、その「人」の書く文が読みたいとき。
Facebookでただ繋がっているだけではなく、お互いもしくはどちらかが関心を持っている状態を血が通った状態の関係と表現した。
つまりnoteを読もうと思う目的は、その人の考えていることが知りたい。どういった文を書くのか気になる。その人の表現が好き。というように、文章を介してその人の人物像を捉えたいと思っているため。
例えば、私はよしもとばななさんという作家さんが好きです。
よしものばななさんのnoteをフォローしていて、タイムラインに流れてくると、そのノートのタイトルにさほど関心がなくても読みたくなります。
理由は、noteに書かれる"よしものばななさんの"文章とはどんなものだろう!?と興味を持つから。
小説など出版されるものと文体は違うのだろうか、と気になるのです。
目的2
コンテンツが自分の興味関心に関わることであるとき
noteの場合、コンテンツとは主に、タイトルとアイキャッチ画像、本文の出だしから得られる情報から判断される。
noteを書くのがしんどくなった君へ|安田遥@グラレコ勉強コミュニティ @halgraphic|note(ノート)
例えばこの記事のコンテンツに惹かれる人は、こんな人たち
・noteを書きたいけど書きたい内容が見つからない
・素晴らしい文章がかけなくて自信が持てない
・どんなことをnoteに書けばいいかわからない
そういった悩みを持つ人たちは、著者が誰であろうとnoteを読んでみたいと思う。
つまり、一ヶ月続けてみてFacebookやtwitterで日々シェアをしてみた結果、シェアしても書いている人のことを好きな人もしくはコンテンツか書いているひとに関心を持っている人しかnoteを読まないことがわかった。シェアはそんなに恐ろしいものではないことを伝えたい。
でも、Noteを書いたけどシェアするのが怖いなあと思うときありますよね。わかります。
発信するからには、ピカピカに磨き上げられたアウトプットでなければいけなくて、それにみんながいいねをたくさんしてくれる、コメントもたくさんつくといいな!といったことを考えてしまう。
理想のとおりにならなかったら、かっこ悪いし、失敗してるみたいだし、才能がないと思われるかもしれない。
でも、私とこれからも関係を続けていけそうな人は誰かな?
似たような考えを持つ人や、共感してくれる人がいたらラッキーくらいに考えていいと思うのです。
私の書く文章を読むのは誰かな?と気になるからシェアしてみようと思ったら、してみてもいいかもと思えませんか?
自分で納得できる素敵な文章を書くのは、その後でも遅くないはず。
ps
ノートを書いてみて文章を紡ぐ難しさも、軽やかにするすると言葉が出てくる楽しさもわかるから、あなたがこれでいいのかな?と思いながらひねり出した言葉ひとつひとつが愛しいよ。
わたしはあなたの書くどんな文章も好きだよ〜