すべて奇跡な毎日
消化不良のような、書かなければしっかりと物事に取り掛かれないような、雲量7のきもちをそのままに書いてみる。
タイ留学127日目
今はちょうどテスト前の時期、明日はアーキテクチャのテスト。
終わりを意識すると急にさみしくなってしまう。
最近、すべてのことが奇跡のように感じる。
このメンバーが、この場所にそろうこと、
みんなであの人の作るご飯が食べられること。
ごく当たり前で、終わりがなくとも奇跡みたいな出来事だけど、「最後」を意識した時にだけ、ぐっと胸に来るものがあったりする。
ずっとさみしいのはしんどいし、いつまでも続くと信じ続けることも難しい。人はどこかちょうどいいところで、忘れたり思い出したり、大事にしたり見逃したりするようにできているんだと思う。
悲しいことを忘れたり、覚えていたりする曖昧な境目は、人間のその機能が潜在的にコントロールしてるんではないかと考えたりもする。
人にやさしいこと、価値のこと、だれかを考えさせること、自分を大切にすることと認めること、言語のこと、それらのことを最近考えている。
とにかく帰国は近づいている。着々と、いつも通りに来ている。
いつも、私たちは焦ったり、さみしくなったりする。自分勝手に。
これと言って言いたいことはないんだけど、どうしようもなくつらつらと、書き進めたり、話し続けたりしたい。要するに、元気なのだと思う。
浮かんでは、ぱっと消えるシャボン玉みたいな思考に、さよならも言えなくて、また勝手にさみしくなる。
いただいたサポートで私はもっと私に優しく生きていきます。銭湯に行ったり、甘酒を作るなど、