伝えたいから、正しい言葉を使う
言葉を正しく使ったほうが良いなと思うようになった。
これは、辞書的な意味にこだわるということではなくて、「正しく早く伝えたい」という気持ちが源になっている。
こう思ったのは、最近正しく言葉を使えなくて困ることが多くなったからだ。
何かを相手に言ったとき、相手の反応や返してくれる言葉が、あれ、そういうことを言ったんじゃないけどな、なんか違うな、と思うことが多かった。
相手に伝えるとき、
今までは自分がきちんと分かってさえいれば、あとはどうにかなる、最初伝わらなくても言い方を変えて何度か言えばいつか分かってもらえるだろうくらいに思っていた。
しかし、自分が分かっていることでも、相手に正しく伝えるのは意外と骨がおれる。
自分が分かっている状態と、相手が理解しやすいように話すことは別問題だと気づいた。
相手に伝えるときに何が一番重要かと言えば、今のところ、伝える言葉が重要じゃないかと思っている。
相手はこちらの言葉を元に理解をする。
だからこちらが正しく言葉を使わなければ、いっこうに理解できない(もしくはこちらの説明の意図を汲み取らなくてはいけなくなる)のだ。
意図を汲み取ったりして、頭を使うのは誰でも疲れるものだ。なるべくスッと理解できるほうがいい。
変に難しく話してしまうと、自分の言いたいことが伝わらないのはもちろん、相手も何度も聞き返さないといかず、だんだん疲れてくる。
相手の時間を大切にするためにも、なるべく早く理解してもらいたいではないか。
正しい言葉を使うと、本来長々と説明せねばならないところを、なんと相手と共通認識している一言で置き換えられるのだ。
これは大変便利だ。ただし相手も自分もその言葉を知っている必要がある。
正しい言葉を知るというのは、その共通認識を沢山もつことに等しいのだと思う。
たいがいの話は、初めの状況説明よりも、そこから広がる話題のほうが面白い。
最初の状況理解の時間をもっと別の、そこから先の話に割きたいし、沢山おばかな話もしたい。
そのためにも、やはり正しい言葉は必要じゃないかと思うのです。