かしこくなることを恐れていた
かしこくなる,頭がよくなるのは良いことなのだろうか.
幼いころ,かしこくなることに少し抵抗があった.
かしこくなるにつれ,論理的な思考ができるようになると思っていたのだ.
何だかいいことのように思える.でも不安はそれより先にある.
論理的になると,それ以外の考え方ができなくなり,頭が固くなってゆき,人に冷たくなり,引いては他人を思いやる温かさをなくしてしまうものだと思っていた.自分が論理的な思考の持ち主になったわけでもないのに酷い偏見である.でも本当にそう思っていた.
自分が今感じている穏やかな気持ちや温かさをいつか感じられなくなるのではないかという恐れを常に抱いていた.
そんな折,次のような文章に出会った.
『科学における「客観性」は、ともすれば「冷たい」ものと考えられがちだが、実は、このような他者の立場への思いやりと結び付いている。』
かしこさとは全く関係のない,科学における客観性を述べた文だけれど,これを見たとき,かしこくなることへの価値観が変わった.
僕はこの文章を見て,客観性をかしこさに置き換えられると思った.
ここで述べられているように,
かしこくなる(客観性を持つ)ことは,冷たい人になることではなく,むしろ他者への立場に立った(思いやりをもった)考え方ができることなのだ.
だとすれば僕が初めに抱いていた不安は,見当違いということになる.
まだ全部は読んではいないないけれど,少し読むだけでもとても面白く,ここで述べた文以外でも学びや発見ができる文章が至る所に書かれている.
科学と人の温かさを同じように扱い,科学という学問がどうしてそういった価値観を持つといえるのかが大変温かみのある文章で書かれている.
論理的=冷たい
ということではないのだなと文章からも感じられる.僕はいつからそう考えるようになったのだろうか.
「欲望する脳」茂木健一郎著