見えないものへの感謝をあらわす日
きょう12月13日はすす払いの日。
正月事始めの日です。
すす払いは単なる大掃除ではなくて
神棚や家の内外をととのえて
新しい年神様をお迎えするためにする
神事でもあります。
昨年から家に、
正式なものではありませんが神棚を設置しました。
ことしは伊勢神宮に行けなかったため
ここの神様に家にいていただきたいという
都内のとある神社へ参拝して
新しいお札を授かってきました。
氏神様への参拝も忘れず
こちらでもお札を。
神棚をすべてまっさらにして掃除をし
すべてのお供え物も一新したら
とても清々しい空気の通る部屋になりました。
今は起きたら手を合わせ
神様を敬う時間を毎日設けていますが
昔からこうだったわけではありません。
以前、神社はわたしにとって
とても退屈な場所でした。
昔おつきあいしていた人が神社や神様マニアで
1つの神社につき、境内すべてのお社にお参りして
変な呪文を唱えながら
手をかざしているような人でした。
今考えると本当に失礼極まりないのですが、
休みのたびにそれが何年も続いたもんで
さすがに嫌になっちゃったのです(笑)
だからその反動で
「見えるものしか信じない!」と
意地を張っていた時期もありました。
今はというと、
逆に見えないものを大切にしています。
あるとき、
見えるものしか信じないという自分の姿勢に
傲慢さと矛盾と疑問を感じてしまったからです。
例えば、赤外線は見えませんが
温かさを感じます。
紫外線は見えませんが
浴び続ければ肌が黒くなります。
電波は見えませんが
こうして会ったことのない方々にも
文章で伝える機会を持つことができています。
たとえ見えなくても
何かしらの恩恵や影響を受けています。
見えている、見えていないにまつわる
たまにセミナーなどで登場するワークがあります。
腕時計を見せられます。
30秒あげますので、見てくださいねと言われる。
30秒後に
「時計のデザインを詳細に描いてください」と
指示があります。
目の前にあって確かに見えていたはずのに
これが思いのほか描けないんです。
数字って算用数字だった?
どんなデザインだった?
針の形はどんなだったっけ?
目の前に差し出されたって
すべてのことが見えていないのに、
見えないから存在しないと断言するのは
矛盾しているかもしれない。
見えなくたって
あるにはあるのではないかと
そのときに初めて思ったのです。
それから失礼極まりなかった態度を改め
見えるもの、見えないもの両方への
感謝の気持ちを忘れずに毎日を過ごしていこうと
生活そのものを変えました。
神様や神社やお寺へも
謙虚な気持ちで
お参りさせていただくようになりました。
もっと身近なところでいうと
誰かを想う気持ちも、
愛も祈りも感謝も思いやりも
物質としては見えませんよね。
でも確かに感じている。
そこにあるとわかる。
見えないものに感謝と尊敬の念を持つこと。
昔から受け継がれてきた伝統。
気持ちを行動であらわす日って
やっぱり大切です。
悩みを抱えている人やもっと自分らしく生きたい人が、毎日1センチでもいいから理想に向かって進めるよう、何かお役に立てたら嬉しいです。