細部にやどっている、紛れもない優しさ
「喜んでお手伝いするよ!っていうか、ぜひさせて!
でもその日、仕事が17時過ぎまでなの。間に合うかな?
会社に交渉するから(というか抜け出す!)集合時間教えて!」
感染予防対策をしながら、レンタルスペースを利用しての忘年会。
幹事を仰せつかりましたが、買い出しの量が多すぎて一人ではできないので参加する人にお手伝いをお願いしたところ、こんな温かい反応をしてくれた人がいました。
彼女は160センチのわたしの肩にも届かないほど小柄で、重たい荷物を持たせるのは申し訳ないほどにスリムな女性。
会社を抜け出す調整までしなくても間に合うので、ゆっくりで大丈夫とお礼とともに返信をしましたが、その優しさが本当にしみます。
というのも、その前に6人、男性陣から立て続けに「買い出しは無理ー。」「行けるって言ったけどやっぱ遅れてくわー。」「仕事だしー。」と返ってきたから。
中には無視の人もいました。
結果的に手伝える、手伝えないは関係ないんです。みんな仕事で忙しいし、それぞれに都合があります。仕事をしているのはわたしも同じですが、ほかの人の忙しさも理解しているつもりです。
とはいうものの、忙しいときにこそ、日常から優しく生きている人の人柄はにじみ出るなあとしみじみ思います。
わたしが大変であろうということに思いをはせて、なんとか協力しようと行動を起こそうとしてくれたこと。
とにかくその気持ちがうれしかったのです。
優しさは定義できないものです。
温かく思いやりのあることともいわれますが、その「温かい」とか「思いやり」をどうとらえているかも人それぞれ。
だけれど…。
定義できないものにもかかわらず、紛れもなく感じる優しさは存在しています。
それはきっと彼女の在り方のように、「相手のことに思いをはせて、実際に行動を起こす」こと。
何か返信するのでも、反応をするのでも、声をかけるのでも、相手のことをいつも想って生きているから、自然と行動に出てくるんです。
そこには手伝わなきゃとか、やらなきゃとか、義務感みたいなものが一切なく、純粋な想いだけがあります。
優しさは細部にやどっているんですよね。
今までも頭が上がらないくらいにたくさん支えてもらってきましたが、いつまでたっても追いつけそうな気がしないなあと、いつも感動させてくれる人。
いつかわたしもそうなりたい。
そう思える素敵な女性がすぐそばにいることが、何よりありがたいです。
悩みを抱えている人やもっと自分らしく生きたい人が、毎日1センチでもいいから理想に向かって進めるよう、何かお役に立てたら嬉しいです。