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多すぎる情報はスリムにする

早めに、できれば午前中にnoteを書こう書こうと意識しているのですが、意識するだけで全然できずへっぽこです。

文章の内容と全然関係ありませんが、今の気持ちを書いてみました(笑)

では、きょうの本題を…。

昨日、家の中を見渡してみたときに、最近やたらと英語のパッケージばかり家に置くようになったなと思いました。

日本語のパッケージは、情報が多すぎて疲れを感じます。

日本語は見れば意味が詳細にわかってしまうので、目につくところにあると「情報」になってしまうんです。

「塩」ってわざわざ書かなくてもモノを見ればわかるし、「ティッシュ」って書かなくてもそれをトイレットペーパーだと、どんなにわたしがへっぽこだとしても勘違いはしない。

むしろ勘違いするときは、疲れが限界にきているときなので目安になります。

わたしにとって英語は絵画と同じ扱いです。

日常で詳細な意味まで意識して生活していないので、『SALT』は『瀬戸のあらじお』ほど存在感を打ち立てていません。

家にはテレビも時計も置いていないのですが、それも同じ理由です。

『自動的に流れてくる情報』は、蓄積すると脳内で幅をきかせるようになります。

その存在感が思ったよりも大きすぎて、思考や興味をコントロールされているような、もやもやした気持ちになってしまうんです。

情報が大切な時代ですが、大切な情報を大切だと認識するために、あえてノイズだと感じるものは極力排除したいと思っています。

必要な情報やひらめいたことがあれば、自分で取りにいくエネルギーのほうを持ち合わせておきたいです。

「思考も、情報もスリムに」

手を伸ばせばなんでもわかるからこその、あえての選択です。

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えいろ
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