グランツーリスモ25周年。おれ27歳。
どうも、岡田です。
クリスマスのこんな時間にnote書き込んじゃってる、岡田です。
今月23日は、グランツーリスモ25周年の記念日だったそうです。
「初代グランツーリスモ」が発売されたのが、1997年12月23日ですからね。
グランツーリスモと同い年じゃないですが、2年年上であるが故に、僕は初代からほぼタイムリーにグランツーリスモをプレイしてきたので、ちょっと振り返ってみます。
クリスマスに。
■初代GTの思い出
初代グランツーリスモが発売されたのは先に書いた通り1997年の年末ですが、僕が初めて手にしたのは多分1999年、4歳の時だと思います。
親はゲームをするタイプの人ではないのですが、親戚?の家で従兄?友達?とゲームで遊んで楽しそうだった僕に初代プレステを買い与えてくれた…って感じだったと思う。
実は初めてのゲームは「コリン・マクレー・ザ・ラリー」というWRCのゲームだったのですが、2つ目のソフトとして買ってもらったのが初代グランツーリスモでした。
忘れもしない、初期所持金100万円で一番最初に購入したのは、ガンメタの「スカイライン GTS25T TypeS R32 '91」…ノンターボのHR32でした。
ほぼほぼ所持金を使い果たす98万円とかだったと思う。
僕はBNR32 GT-Rを選んだつもりで買ってました。
当時読んでた「頭文字D」で、イツキがAE86のつもりで買ったレビンがAE85だったのを見て「そんなことある訳ない」と思ってましたが、見事にグランツーリスモの世界で再現してしまったのを今でも恥じている。
そんな初代GTの中でどーしても欲しかった車が「ランエボⅢ」でした。
幼少期の僕は特にラリーの映像を見るのが好きで、その中で一番カッコよく見えたのがランエボでした。
その他、頭文字Dで主人公をアグレッシブなドリフトで圧倒するシーンなどで憧れは増すばかりでしたが、ある意味「エボⅢを俺の物にしたい」と初めて思えたのが初代GTの世界でした。
買い間違えたR32でひたすらサンデーカップを走り続け、約200万円貯めて白いエボⅢを買ったときは、果てしない達成感が僕を襲いましたね。
今にしてみればエボⅢ欲しいなら最初に98万円もするHR32買わない方がいいし、サンデーカップより稼げるレースがあるはずですが、そんなのはつまらない大人になってしまった今だからできる思考。
当時はとにかくエボⅢが欲しくて、オータムリンク・ミニ2周を、デミオとトントンの加速しかしないR32で無我夢中で走ったのである。
そして後に、免許取ってすぐに本物のエボⅢを買って、27歳になった今でもコレで通勤している。
■GT2の思い出
グランツーリスモ2を買ってもらったのは、クリスマスだったのは覚えている。
1999年12月11日発売だから、もしかしたら出てすぐ買ってもらえたのかもしれない。
4歳なのでまだサンタさんがいると信じて疑わなかったので、僕は「トミカのグランツーリスモセットが欲しい」と紙に書いて寝たら、枕元にGT2が置いてあった。
↑第一希望だった「トミカのグランツーリスモセット」
GT2で最初に買った車は、深緑の「JZA70スープラツインターボR」。
多分初代GTから学んで、初期所持金100万円で一番性能が高いクルマを選んだ記憶がある。
しかしなんだかんだ、結局ランエボを求め、買ったのはエボVでした。
この頃実はエボⅢより派手なエボVがすげぇカッコよく見えた上、速かったしドリフトも出来たし凄い使い込んだ記憶があります。
レーシングモディファイでプーマランサー風になりますが、GT7で再登場してリバリーエディタでプーマランサー作れたのは、何気にエモさを感じた。
この頃ビデオオプションもよく見るようになり、筑波スーパーラップに登場した「JUNオートメカニック ハイパーレモンエボV」が好きでしたが、スペックに「600ps」と記載があり、GT2のエボVは526psしか出ないのにJUNはズルい!と本気で思ったのもよく覚えている。
■GT3の思い出
21世紀になり、新時代!って感じの中登場したGT3ですが、「プレステ2」になってハードを買い替えないといけなくなったため、当時6歳の僕にはなかなか手が届かない代物でした。
発売されてすぐ、小学校に入る直前ぐらいの頃、保育園の友達に「森くん」ってクルマ好きな男の子がいました。
その子の「最強の車はGT-R!」という言葉が許せず「お前は何もわかってない!ランエボの方がイイ!」とケンカした覚えがありますが、何かのきっかけでその子の家に遊びに行ったときに初めてGT3をプレイしました。
まあ本当に映像が綺麗で、めちゃめちゃ感動しましたね。
その後に買ったGT3は特定の強い思い出がある訳じゃないのですが、プレイした期間が長いので
・最初に選んだAE86トレノにターボ付けたら、扱いにく過ぎて泣いた
・シゲノハチロクを見て、普通のAE86に「軽量化ステージ3」付けたらカーボンボンネットになるのかと期待したら、ならなくてガッカリした。
・R390GT1めちゃくちゃ好きになった
・何年か越しにプレイして、どうしたら入手できるか分からなかったディアブロのJGTC仕様を入手できてうれしかった。
・・・などの小さな思い出がたくさんありますね。
■GT4の思い出
GT3からGT4の間の期間が結構あり、当時は本当に待ちに待ったゲームソフトでした。
2004年の年末に発売で、僕は2005年のお年玉で購入。
GT4の思い出は何といっても登場車種…というか、登場グレードの多さでした。
当時から賛否両論でしたが、グレードによるバリエーション多すぎやろ!っていう。
でも、GT4のおかげで、R34の標準車とVスペックの見分けはつくし、EK9の前期後期見分けつくし、FDのRX-7見て何型がだいたい分かるし、インプGC8のSTiバージョンいくつかだいたい見分けつきます。
最近はその知識を用いて「若いのに詳しいね~」とか言って気に入ってもらえる場面もしばしばあったりします。
この頃からグランツーリスモは今にも通ずる「クルマ文化の歴史書」に近い立ち位置になっていて、GT4やり込めば自然に車の歴史に詳しくなる仕掛けがあったように思いますが、今の僕の車の知識はほぼほぼGT4で養われました。
あとは何といっても、GT4から実装されたフォトモードが僕にとっては衝撃でした。
フォト取ってUSBに移すとプリンターで現像できますが、今までテレビの中にしかなかったGTの世界が(プリントした写真とは言え)リアルに出てきた感じがして、しこたまフォトをプリントした覚えがあります(笑)
■GT5P・GT5の思い出
僕の中でグランツーリスモは「1~4」と、「5P~」に分けられます。
GT1~4はあくまで「ゲーム」として遊んでて、正味真剣にレースするというよりは、好きな車を買ってチューンするのがメインだったので、思い出は「あの車よく使ったなぁ」とかなのですが、オンラインが実装されたGT5P以降は対人戦メインで「誰と遊んだか」が思い出として残っています。
2年分のお年玉を全部つぎ込みPS3とGT5Pが揃ったのが中学2年の頃。
「APEXevolution」などという厨二病なネームは、まさしく中2に誕生している。
この頃はとにかくドリフトが上手いプレイヤーがカッコよく見え、TEAM-mixiという集団にめちゃめちゃ憧れていた。
今じゃもうmixiがどんなサービスだったか覚えていない…。
TEAM-mixiにはmixiが18歳未満登録できない為加入できなかったが、TEAM-REV_LIMITというチームに所属し、9番のナンバーが与えられ、ランエボっぽく「REVⅨ」と名乗る痛さを発揮していた…。
そんな感じで日夜団体ドリに明け暮れていた最中、2009年の年末に開催されたのが「グランツーリスモ5タイムトライアルチャレンジ」でした。
これはイギリスでは上位ランカーに実車レースのチャンスを与える「GTアカデミー」の内容を、日本では「トップ250にGT5製品版、トップ10にスーパーGT年間パス」という特典で開催されたもので、GT5の体験版という側面もあるイベントでした。
製品版GT5がタダでもらえる!?
中学生の僕にとってこれほど嬉しい景品はありませんでした。
2種類のZ34で行うTAでしたが、パッド(標準コントローラー)ながら国内51位・世界216位に入り、GT5製品版をゲットすることができました。
これまでまともにTAに挑戦したり、オンラインレースで優勝したりということは無かったですが、国内51位って結構良くない?意外と勝負できるくない?って思っちゃったのが、今で言う「eモータースポーツ」に真剣になったきっかけでした。
↑NSGT 2012 Rd.3。イエローハットスープラにも思い入れあり。
2010年にGT5が登場してからは、とにかくスーパーGT大好きキッズだったこともあり、GT500でのレースに毎晩明け暮れてました。
特にこの頃はVCで実況する部屋主がいる部屋や、生放送をしている部屋を探しては、そこで遊ぶことが多かったです。
今はPSにブロードキャストがあったり、eスポーツイベントが良く開催されているのでそういう機会は多いですが、当時は実況で名前呼ばれたり生放送に映ったりするのが珍しかったのです。
特に思い入れあったのは、ニコニコ生放送で放送される「NSGT」と、VCで実況者がいる中GT300・GT500で混走して走る「RSGT」。
この2大会で知り合った人たちは今でも交流がある人が多く、現GR86/BRZカップ王者にしてGTドライバーの冨林と知り合ったのも「RSGT」でした。
■GT6の思い出
2013年発売のGT6はGT5の「続き」という感じで、特に新しい何かがあった記憶はあまりありませんが、ユーザー企画のレースでとにかく耐久レースをやった気がします…w
NSGTの300km(約2時間)でもだいぶ長い気がしてましたが、それが3時間になり、4時間になり、6時間になり…当然交代の人はいないので、独りでぶっ通しです。
ある意味の集大成的だったのが、2014年にやった「ニュル2×4時間レース」で、4時間のニュル耐久を2週に渡って行うものでした(笑)
この時、実は勝ったのですが、ま~~嬉しかった。
GT6の時期は野良で集まった人が好きな車でレースするのではなく、事前に人を集めて、クルマは主催が決めて「配車」する遊び方が主流になってきました。
「〇〇は予選速いけど安定感ないから××選手役」みたいな、身内じゃなかったら怒られそうなキャラ決めで配車することもあった…(笑)
また、GT5辺りからポリフォニー公式の大会でリアルイベントに招待されるタイプのイベントがチラホラ開催されるようになってきましたが、当時はTAで候補者を決めて、現地で初めてレース…という形で、あまりTAが得意じゃなく公式の大会に参加できたことはここまで無かったです。
■GTSport・GT7の思い出
「eスポーツ」という言葉が生まれて流行りだした2017年に登場した「GTSport」。
加速度的に公式大会が多数開催され、僕もいくつかの大会に出場し、「真っ赤な代表ジャージ」を着ることができました。
この頃からプレイヤーを「ハンドルネーム呼び」から、選手らしく実名呼びする大会が増えましたね。
eスポーツの流行によりTVにもグランツーリスモが取り上げられる場面が増え、ありがたいことにそこに呼んでいただいたこともあります。
ド田舎で慎ましく、学校の成績も可もなく不可もなく、賞状は「読書週間キャッチコピー」で選出された1回という人生を過ごしてきた僕にとって、グランツーリスモによって国体選手や世界大会代表選手になったり、TVに出演したりするこの数年が現実のことに思えなかったです。
2019年から冨林が実車レースを始め、2021年には彼がS耐&86レースに出場するにあたり、実車のカラーリングをリバリーエディタで製作するという出来事も。
2020年のコロナ禍以降は、リアルのレーシングドライバーやチームの方ともグランツーリスモを通じて知り合う機会も増え、2021年からは実車でレースするようになりました。
グランツーリスモやってなかったら、絶対実車でレースしようなんて思わなかった。
もっと言えば、グランツーリスモの中で知り合えた人と会ってなければやってなかった。
GT7はまだ「思い出」っていうほど発売して時期が経ってないし、何なら企業が主催する大会は未だにGTSportだったりしますが、グランツーリスモが25周年してる間、僕はずっとその影響を受けて生きてきたと思います。
多分、大なり小なり今クルマ好きな人は皆、グランツーリスモの影響を受けてると思う。
色んなレースゲームやシミュレーターがあるけど、幼少期からずっと影響を受け続けているレースゲームはグランツーリスモだけで、だから既にアセットコルサで遊べるのに「チェイサーと峠入れてほしい」ってリプライが飛ぶくらい愛されてるんでしょう。
グランツーリスモのこれからの25年より、僕自身の25年先の方をまずは心配すべきですが、今後もグランツーリスモとは何かしらで関わっていく人生でありたいなって思ってるので、これからのグランツーリスモにも期待したいと思います!
思いが重すぎて6000文字以上も書きましたが、グランツーリスモ25周年、おめでとうございます。
今回は以上!
岡田
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