私がムーブメントコーチになった理由①高校ウインターカップ予選編
こんにちは!
ストレングス&コンディショニングコーチでありムーブメントコーチの山越です!
今回は趣向を変えて、
そもそもなぜ私がトレーナーを志したか?
について書いていきたいと思います。
もちろん、最初からムーブメントコーチがいい!という考えではなかったです。
が、運動に携わる仕事をしていくうちに
ムーブメントコーチになりたい
ムーブメントコーチがやりたかったことだ
と想いが変遷していくのでその辺も踏まえて書いていきます。
最初になりたかったのは英語教師
中学生の頃から英語が大の得意科目でした。
テストで満点を取った記憶はありませんが。常に9割以上、悪くて8割といったところで常に自分のテストの合計点を上げてくれるエース的科目でした。
その当時、中学は250人以上、高校でも300人弱いる学年の中でも順位は1桁をキープしていました。(自慢です)
最高は2位だったかな?1位になれないあたりが自分らしい(笑)
全国模試でも常に9割点数取ってました。
なんで自分がこんなに英語ができたのか今でもよく分かりません。
そして、部活動は小学生の頃からミニバスケットボールを続けていたのもあり、中・高もバスケ部に所属しました。
その中で部活動でバスケットボール部を指導したい!と思い、そのためには先生にならなくちゃいけないので何の先生になろう?と思った時に一番に浮かんできたのが英語の先生でした。
根拠はありませんでした
高校生活を送っていく中でふと気づいたのです。
「あれ?ウチの高校、運動部の監督してるの体育科の先生ばかりじゃね?」
そしてこういう思考に行き着きます。
「じゃあ部活動を指導したいのなら体育の先生にならなくちゃいけないじゃん!」
と。
まったく何にも根拠はなく、たまたま体育科の先生が部活動を受け持っていることが多い、という理由だけで将来の夢を英語の先生から体育の先生に変更します。
浅はかです。
とはいえど、大学に受かるために勉強はしなくてはいけないのでそこは変わらず続けました。
引退を。。。?
高校も3年になり、大半の生徒がインターハイ予選・インターハイ本戦を機に部活動を引退します。
その後も部活動に残るのはスポーツで大学進学が決まっている生徒ぐらいです。
その引退から受験モードに切り替わります。
しかし、私は引退しなかったのです。
部活動をしない高校生活が考えられず、部活しながらでも勉強できるっしょ、と思っていたため冬の大会、通称ウインターカップの予選まで残ろうと思ったのです。
こうして、部活と受験勉強の日々が始まります。
みんなが塾に行く中、独学で勉強していて、自分にも甘かったため、そんなに苦しくありませんでした(笑)完全に舐めてますよね。
ただ目標はウインターカップ予選を勝ち抜いてウインターカップ本戦の出場すること。
そのためだけに練習を続けていきました。
しかし、悲劇が襲いかかります。
予選の2週間前に
ウインターカップ予選を2週間前に控えたある日。
練習にも熱が入ります。
私はそのポジションの性質上、よくリバウンドに絡みます。
バスケットボールにおけるリバウンドとは「敵味方問わず、放ったシュートが外れた時にそのボールを取ること」です。
リングに弾かれて、リングより高い位置にあるボールを取ることが多いため、高く跳んで自分の最高到達点でボールが取れるのが理想です。
自分の相手を跳ばせないように押さえて床に落ちてきたタイミングでボール拾う、というのも手段の一つです。
練習中にそのリバウンドの機会が訪れました。
リバウンドを得意とする私は絶妙なタイミングで跳び、見事にボールを掴みとります。
が、着地の時です。
「グキッ!!」
というとんでもなく鈍く、重い音が身体の中から響いてきました。(実際に周りに聞こえてもおかしくないレベルの音)
そして、音が聞こえたのと同じタイミングで走り抜ける重い衝撃。
音を発したその部位が徐々に熱と痛みを伴ってきます。
その部位は足首。
そう、足首を捻挫してしまったのです。
リバウンドで跳んで、着地の時に相手の足を踏んで足首を捻挫するというのはバスケットボールではよくあるシチュエーションです。
スラムダンクのゴリこと赤木剛憲もインターハイ予選の海南戦で、リバウンド後の着地で牧の足を踏んで足首を捻挫し、一度退場しています。(現実と漫画の世界を混同)
その後ロッカールームでマネージャーの彩子による「試合には出ない方がいい」という説得を
「いいからテーピングだ!!」
と一喝し、強行出場に踏み切ったゴリの執念には今もなお心突き動かされます。
スラムダンク話をしだすとそれだけで多大な時間を費やしてしまうので話を戻します。
要は私もゴリとまったく同じ形で足首を負傷してしまったのです。
まったく立てませんでした。
手で自分を引き摺るようにしてコートを出ました。
あまりにも痛く、腫れもひどかったため少しでも地面に足を着こうものなら激痛が走ったのを覚えています。
そんな状態だから帰りに自転車に乗ることも困難でしたが、親はまだ帰っていなかったため何とか自転車を漕いで帰りました。
帰ってからは何もする気が起きず、何もできなかったため自分の部屋で怪我した足を少し高く上げて布団で寝ていました。
母親が帰ってきて、ただならぬ様子の息子を見て驚きます。
母曰く、足が尋常じゃないくらい腫れていたそうです。
そんな母に行きつけの接骨院に連れて行ってもらいました。
応急処置をしてもらい、松葉杖を借りました。
後にも先にも松葉杖をついた経験はこの時しかありません。
整形外科で詳しく診てもらった方がいいということで、紹介状をいただきその日は接骨院を後にしました。
大会まで2週間ちょうどのタイミングです。
この大会のために引退せずに残ったのに、そもそも出られるか?これ?と思うくらい個人的にハイレベルな怪我を負ってしまいました。
どうなるか。。。
と、ここまで書きましたが自分の筆の下手さ加減に嫌気が差すほどゆっくりとした時の流れになってしまったので一旦ここで終わりにします。
あと2、3回くらいあれば書き切れるかな(笑)
気長に待っていてください。
一つ言えるのは、この怪我が、自分の夢である、教師で部活動の指導→ムーブメントコーチとしての様々な対象に運動指導というところに変わっていく布石になっています。
では、次回もお楽しみに☆
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