たいせつなことは歯が教えてくれた
歯は臓器のようなものだ、という言葉をきいたことがある。
それなら、こんなにも剥き出しになっている臓器は他にはないだろう。
私は、そんな歯を長年ないがしろにしてきた。
歯並びが自分のコンプレックスだったからだ。
昔の写真を見返すと、歯を見せて笑っている写真はほとんどない。というか、写真を撮られるのが大の苦手だった。
生まれてくる時代がもっと後なら、ずーっとマスクをつけて口元を誤魔化していたんだろうなとも思う。
25歳で歯列矯正を始めた。
とあるテレビ番組に出演した際にネットで歯並びのことをめちゃくちゃ言われたのだ。
自分自身のコンプレックスが、他の人からも言われるようなものだったとは、と当時はかなり落ち込んだ。
でも、このまま落ち込んでも仕方がないので、働いて貯めたお金を全て注ぎ込んで矯正歯科クリニックの門を叩いた。
矯正歯科クリニックでは、あなたの歯並びだと保定期間に入るまでには6〜7年はかかります。と言われた。
人生で1番頑張ったことはなんですか?という質問があるなら、歯の矯正です。と答えると思う。
そして、人生で1番お金をかけたものも、多分歯だ。
矯正の前に、まず現状虫歯になっている箇所を全て治療する必要があった。
昔治療した銀歯の中から虫歯を発見した時は本当に泣きたくなった。
その後歯磨きのやり方を一から覚え直してトレーニング。お恥ずかしながら、デンタルフロスを使ったこともないぐらいだった。
もちろん予防歯科という概念もなかった。痛くなったら行く場所という感じで。歯ブラシも適当なものを適当な期間使ってきた。
歯磨きがちゃんとできるようになったら、ようやく次の段階に入る。
顎の矯正のための器具を装着する。この時期が見た目的にも1番辛い時期で。心が本当に折れそうになった。
そこからようやく調整器具をつけて歯列矯正が始まった。
大人になっての矯正は孤独との戦いでもあった。子どもの時になぜ矯正させてくれなかったのかと親をうらんだ時もあった。
でも、クリニックに行くと、いつも待合室には多くの大人がいた。自分よりも年上の人もたくさんいた。みんな戦ってるんだな、頑張ろうという気持ちになった。
矯正器具は激痛で、食べるものがかなり限られた。
歯のない赤ちゃんのような食事なら食べられるのでは‥とふと思ってさまざまなものを柔らかく煮てペースト状にしてみたり、市販の離乳食を食べてみたりもした。
まさか産後の離乳食作りでその経験が活躍することになるとは思いもしなかった。
歯列矯正を始めたころ付き合い始めた夫は、ずっと応援しつづけてくれた。
見た目がすごい状態になっても側に居続けてくれたことは心の支えになった。ずっと側に居て欲しいのはこういう人だろう、という気持ちが芽生えた。
結婚が決まり、結婚式の日取りの話になった時、矯正は最終段階に入っていたものの、装置はついている状態だった。
クリニックに相談して、式の前後で一時的に器具を外してもらえることになった。
装置を外した後、鏡をみながら少し微笑んでみる。
笑い方がわからないことに気づく。歯を見せて笑うということをしてこなかったからだ。
前撮りや式の写真にはまだ笑顔に慣れない自分が写っていた。
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矯正が終わってからは、定期的に歯科検診に行くようになった。
歯科専売品の歯ブラシとデンタルフロス、歯磨き粉を使って歯を丁寧に磨くのが習慣になった。
笑顔が素敵だと言われる機会が増えた。
歯を見せて笑顔を作ることができるようになり、写真を撮られることが好きになった。
産後久しぶりに歯科に行った時の話だ。
なんだか、ずっと歯が痛いような気がする。でも特定の箇所ではなくて‥という状態で。
産前産後は虫歯になりやすいときいていたので、ついに虫歯になってしまったかと観念して歯医者へ向かった。
久々の歯科医院。
リクライニングチェアを倒しても全然苦しくない!と産後のお腹に感慨深くなりながら、歯科衛生士さんに歯のことを話したところ、久しぶりにレントゲンを撮ってみましょう、と。
撮影したレントゲンを歯科医に診てもらったところ、虫歯は見当たらないんですよ。でも、奥歯がすり減っていますね。多分、寝ている間の歯軋りだと思います。歯に大きな圧力がかかって欠けている箇所もありますね。
多分、育児のストレスとかが知らず知らずうちに出ているのかもしれないですね。
最近寝る時にリテーナーつけてなかったもんな‥と反省しながら思った。
ストレスって歯にも影響するの!?
その数ヶ月後、まさか自分が産後うつになるとは思いもしなかったわけで。
産後寝れないのは共通認識だろうから、と深く考えていなかった。
今振り返ると、1番初めの身体症状だったのかもしれない。
口を開けばすぐ見える歯。
これからも、歯には色々なことを教えてもらうんだろうな、と、思いながら今日も歯を磨く。