西洋哲学史補論① キリスト教と天動説
アリストテレスの天動説
西洋哲学史①において、アリストテレスの天動説について論じた。
すなわち、「アリストテレスの地球中心説的な世界観・宇宙観においては、地球が宇宙の中心にあり、宇宙の最外層には、その諸々の運動の原因となっている、何者にも動かされずに自足しつつ他のものを動かす「不動の動者」が控えている。アリストテレスは、これを「神」(テオス)である、とも述べている。」とまとめた。
これが、アリストテレスの天動説である。
トマス=アクィナスによる受容
上記のようなアリストテレスの「神」概念は、トマス=アクィナスに受け継がれてキリスト教神学に大きな影響を与えた。
アクィナスの神学は、「信仰」と「理性」の一致を目指していた。すなわち、中世ヨーロッパの知識を支配する「キリスト教の教義」と「理性」とを、整合的に理解しようとしたのである。そして、アクィナスが「理性」として取り上げたのが、アリストテレスの所説だったのである。
アクィナスは、アリストテレスの前述のような見解に則り、『神学大全』に表したのである。
教会による『神学大全』の公認
まず前提として、聖書には、天動説や地動説に関する直接的な言及はない。
しかし、キリスト教教会は、アクィナスの上記のような考えをして理性による神の存在証明であるとみなし、教会の教義の正統性を強化するため、アクィナスの『神学大全』を教会公認とした。簡単に言えば権威付けとして利用したのである。14世紀のことである。
ここに、キリスト教と天動説が結び付けられることとなり、天動説がカトリックの教義となっていったのである。
コペルニクスによる地動説の提唱
カトリックの司祭であったコペルニクスは、地球を宇宙の中心であるとする天動説を離れ、地球が太陽の周りを公転していると考える地動説を唱えた。
これに対して、ルターは猛然と批判を行った。
この際、ルターが持ち出したのが、『旧約聖書』の「ヨシュア記」である。
ヨシュア記には、「『日よとどまれ ギブオンの上に 月よとどまれ アヤロンの谷に』 日はとどまり 月は動きをやめた」との記述がある。
ルターはこの記述をして、聖書では太陽が動いているとされている、すなわち聖書には天動説が書かれている、として地動説を唱えたコペルニクスを批判したのである。
なお、コペルニクスの『天球の回転』出版に際しては、その前書きに、神学者オジアンダーの手により、本書が計算のための方便にすぎない旨が記されたこともあり、カトリック教会においては特段問題視されなかった。
ガリレオ裁判
ガリレオは、望遠鏡を用い、コペルニクスの地動説を裏付ける観測結果を得た。この観測結果から、ガリレオは、地動説の正しさを主張した。
このようなガリレオの主張は、異端の疑いがあるとして告発され、裁判にかけられることになった。
二度の裁判を経て、ガリレオは、地動説は誤った異端の説であると認める異端誓絶書に署名させられることとなった。その際ガリレオは「それでも地球は回っている」という言ったという逸話があるが、事実かどうかは定かではない。
ローマ・カトリック教会の謝罪
1979年、教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ事件の調査を宣言した。
1992年、同調査を受け、教皇はガリレオに謝罪をし、ガリレオの名誉は回復されることとなった。
まとめ
以上のように、天動説は、アリストテレスの説をトマス=アクィナスが継承し『神学大全』にまとめ、教会が『神学大全』を公認することを通じてキリスト教の教義となっていったという歴史がある。
そしてそれは、コペルニクスやガリレオの地動説と対立し、科学vs宗教という構図を生み出すこととなってしまったのであった。
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