4.「明日は晴れるんですかね?」
先日のオードリーのオールナイトニッポンにて、若林さんがこんな発言をしていた。
天気の話は、集団の一員、すなわち仲間であることの確認であって、当然天気について知りたい訳ではない。
それに対し、ボールを返す(=相槌だけでなく、話を広げる)だけで集団への受け入れられ方が全然違う。
(意訳)
一見、間を埋めるだけの無意味な会話のように思えるが、ちゃんと会話のラリーを行うことで、
「自分はあなたの敵ではない」ことを示唆する有用な会話であるという話なのだが、
自分は話のキャッチボール/話を展開させるのが不得手である。
つまり、所謂『雑談力』というものが低い。
……いや、自分自身(心を開いた人には)結構お喋りではあるのだが、
あくまで自分が喋りたいことを好きに喋るタイプであり
インタビュアーのような、相手の話を広げる「聞き上手」という類のものではない。
冒頭の天気の話について、個人的な考えとしては
「『集団への迎合』というより、お互いが会話を広げるためのフックを探る導入部分」に近い。
「雑談力が高い人」は、相手のフックを見つけるのが上手だったり、逆に相手がフックを掴みやすいよう、
あえてトーク内容に『余白』を作ることで自らしっぽを見せる、いわば「相手に会話を展開させる」話し方をしているように思える。
また、少し話題は逸れるのだが、
年々少しずつではあるが口数が減ってきているというか、会話が下手になりつつあると感じる。
先程、「自分が喋りたいことを好きに喋る」と書いたが、
最近は言葉や話題を選ぶようになった。
(あくまで自分の中での考え方が変化したというだけで、外から見れば変わらずうるさい奴に見えるんだろうな、とも思っている。笑)
数年来、テキスト上のやりとり(LINE等)では、言葉選びに気を遣っていたつもりだが、
1〜2年前からだろうか、雑談においても、
言葉や話題が適切かどうか一度頭で巡らせてから話すようになった。
それ自体は悪いことではない(むしろ良いことだとも思う)のだが、自分の場合はどうも飲み込む方へ振り切れてしまっているのではないだろうか。
「この話をしたところで相手は反応に困ってしまうのではないか」
「これから話そうとしている内容は、ここから更に会話が派生する類のものじゃないな」
「この言葉を発することで誰か傷つけてしまうのではないだろうか」
と逡巡するうちに、話し始めることをためらい、結局黙ってしまうのだ。
勿論、自分と異なる思考回路の人が大部分なので、思わぬところで会話が広がることはしょっちゅうあることはわかっているのだが。
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と、ここまでが数ヶ月前に書いたお話。
この頃は事実上休職状態にあって、新型コロナウイルスの影響で気軽に友人と会えるご時世ではなく(今もだが)、ろくに人と会話していなかったので、
こんな精神状態だったんだろうなって半ば笑い話のように思える。
若林さんが著書の中で言った、
「人は形状記憶合金のようなもの。そう簡単に人は変わらない」
という言葉は言い得て妙なもので、
今でも変わらず人と喋るのは得意ではないが、今はむしろ「変なこと言ってしまったな。良く考えて言わなきゃ」といった真逆の悩みになっている。
(そして正直、そこまで深刻に悩んでいない。笑)
社会に参画すること、人と話すことは思った以上に大事なんだな、と思ったし、
過去の下書きを見て懐かしくなったので、備忘録として投稿。
みなさま、良いお年を。