
坂爪圭吾さんからの衝撃。
朝目覚めてすぐにfacebookを開くと
とある尊敬するある方が
坂爪圭吾さんという方の記事を引用されていて、
それが自分とリンクしてしまう記事で、
色々な記事を読まさせて頂いてしまった。
ものすごく言葉にパワーがあって、さらに
どんなひとにもわかりやすく言語化されていて
たぶん、頭が良い(と自負されている方々)は
バカにしてんのかと憤慨されるのだろう。
必ずどれかの記事が、自分にピットするから
とりあえずどれからでも、まずは読んで頂きたい。
この方が引用されていたのはほんの先程アップされた記事で、彼氏に依存して自分が何もできない人間だったと気付いてもがく女性の話し。
ここにあるとあるフレーズがとても気に入られていたが、私も岩で殴られたような衝撃をうけて、
坂爪さんの記事を読み進めた。
さらに、
親の問題を解決したとき
世界が楽しむしかなくなるという記事があって、
正直、坂爪さんが恵まれた父母に置かれていたのにも関わらず、ものすごく壮大で複雑な人生観を持っていたことが、ひどく衝撃だった。
私も両親には愛されていたとは思う。
愛されていたからこそ、手放したのだと。
よく、愛の反対は無関心だというが、
その無関心にみえるものの裏側にあるものは、ある意味で愛なのではと私は思う。
そんな事を考えながら読み進めていくと、
こんどは
強烈なおでん屋のおばさまの話に惹かれた。
最近こういう店は少なくなったよなあと強く思うが、介護という仕事をさせてもらうと、こうした体験経験は嫌というほどすることができる。
激ウマおでんは食べてみたいと期待値は爆上がりだけれど、
このおばさまのような、素敵なひとから受けるエネルギーは、介護職の特権だと私はいつも思っていた。
それを、とてもわかりやすく絶妙に言語化されていたことにつくづく岩を当てられた衝撃と痛感さがあった。
私はだから星は信用しない。絶対に。
そして今先程読ませていただいたこちらの記事
↓↓↓
これも、是非読んでみて頂きたい。
私は今のダーリンと出会ったとき、
まさに、これは賭けだった。
「平穏無事に生きていきたいね」
それが2人の一番望む思いから始まった
2人の世界だった。
昨日私は
本当の意味での平穏無事とは?
という記事をこちらに載せようとした。
あまりにも疲れてしまい、今日にしようとした。
そうしたら、朝こちらの記事を読んで、
私が一番感じていたことを
丁寧に言語化されていて
その衝撃は、とにかくすごかった。
私が思う平穏無事のレベルは
「生きているだけでまるもうけ」
という着地点。
つまり、生きていくなかで、
何が起きようとも
心がそれを平穏に受け止められれば、
平穏無事なのだ。
だけど、それを体感できるのは、
生きているとき限定。
肉体がなくなってしまえば
それを体感することはできない。
肉体という変化するのりものにのりながら
その変化を楽しむことができる。
ある意味、変化と普遍のコラボレーション。
それが最終着地点。平穏無事なのだと私は思っている。
この坂爪圭吾さんの記事を読んで頂くと
愛の別名は、破綻だと思う。当たり前だが、破綻は嫌だ。平和で穏やかな日々が続けばいいと願う。だが、平和で穏やかな日々に寄りかかるあまり、自分を変えていけなくなる。新しい世界に踏み出す勇気を、新しい自分に変わっていく勇気を、平和が、穏やかな日々が、ゆるやかに奪う。なにをするときも「破綻をしないためにどうすればいいか」という思考になる。だが、破綻しないように自分を守るのではなく、破綻したとしても構わないと思わせる力が『愛』だと思う。この点において、愛は、本当に恐ろしいものだ。愛は、一切の制限を取り払う。そのことの自由さと、そのことの恐ろしさ。ただ、ひとつだけ言えることがある。愛のゴールは破綻ではない。愛のスタートが破綻なだけであり、破綻の先に浮かび上がる『何か』がある。その『何か』が、自分を次のステージに導き、新しい自分に出会わせてくれる。
この一節は、本当に衝撃だった。
愛の別名は破綻。
でも、まさにそうだ、と納得する自分がいた。
愛はさざなみさえもなく、凪のような
無風で、何もない状態なのではなくて、
破綻という「限界を越える力」があるのだと。
私がダーリンと
一緒に生きていこうと決めた理由は
そうした「限界を超えていくこと」をも
躊躇うことがない自分がそこにいたから。
そして、そのあらゆるものが破綻したとしても
彼は私にとって揺るぎない存在だと気付いたから。
このことを、彼は知っているのだろうか。
どちらでも構わない。
ただ私のなかでの始まりが、そうというだけ。
私はそうした
ひとを愛することの本当の意味でのよろこび、
つまり、破綻の連続を体感しつつ
その中で日々の平穏無事であることに感謝ができる幸せを感じていて、
正直彼には感謝しかない。
いつかは、お互いに死を迎える。
その
命の破綻まで、共に生きられるように
日々平穏無事を楽しめたら良いと思う。
そんなわけで
様々な衝撃を沢山のひとたちに与えまくる
坂爪圭吾さんというひとは
つくづく愛の人なのだなと感じたのでした。
いいなと思ったら応援しよう!
