団地に住むということ
70代の男性、女性。各々が独り住まい。
「夫婦」なんていう概念に囚われなくなりはじめた世代である。
団塊世代の先駆けだろうか。
家とか、土地とか持たずに暮らしている。生活保護を受けながら、悠々と暮らしている人も居る。
彼らが自分の人生について、この団地のなかで考える時間はどのくらいあるのだろう。
今、世間では「人生会議」という名の「ACP」(アドバンスケアプランニング)が少し話題になっているけれど。結局は、自分の人生について考え出すことがスタートラインなので、幾ら他職種介入しても、それがままならなければ意味がない。
ただ、団地世代で一つ言えることがある。それは、一人で住む、という選択をしたときから、ACPは始まり出しているということ。
団地のなかで生きていく人は様々。ただ、他人と生活を共にするのはうざったい。だけど、誰かの息吹で安心する。これが人間真理なのではないだろうか。
つまり究極的に人は一人では生きられないという結論にもなる。
団地内で行き来して、逢瀬を交わしながら一日、一日を乗り越えていく。彼らの中にあるものは、ものすごく危うく細い紐のようなものだけれど、たしかに強く「私」として存在していた。
ある日、ひとは必ず死を迎える。それをもって自分が抱えてきた全てを手放すのだ。それを思うと豪邸も車も何もかもが、薄っぺらく感じられるのはわかる気もする。
その代わり彼らはたしかな自分を手に入れ、人との触れ合いを僅かに嗜みつつ、ACPという概念を超えて、自分を見つめながら一日一日を暮らしている。
きっと私達にとって、彼ら団地世代から学ばせてもらうことは限りなく沢山あるのではなかろうか。
最期を迎える瞬間ではなく、過程のなかでいかに自分と向き合い、他者という自分すら受け止めて来たのか……
幸せとは?常に自問自答する人は、本当に強い人だなとふと思う。