
万物全てよりよくなりたいのだ
う〜〜ん😭
なんで、#毎日noteなんてタグをつけてしまうのだろう?
いつになったら有料記事を書けるのだろう?
最初は気軽に始めたnote生活だけど、いまだに有料記事は書けないままだ。
「面白くて役に立つ」ことを書いていきたい、と始めたけど、今「とにかく書くこと」が目的になってはしないだろうか?
ちょっと、そうなっている気がする。
でも、続けてみる。
書くことがなくても書いてみる。
紙のノートなら、誰に読ませる訳でもないし、何を書いても、内容がぶっ飛んでいても、話があちこちに飛んでも、ぜんぜんOKなのに。
noteに書くとなると、どうして、こういろいろ考えたり、今日中にアップしなくちゃ😅と思ったりするのだろう?
それは、どうもある法則によるものらしい。
コンストラクタル法則というものだ
有限大の流動系が時の流れの中で存続する(生きる)ためには、その系の配置は、中を通過する流れを良くするように進化しなくてはならない。
というもの。
私は、この法則を青空禅塾や和サンガで伊東充隆先生から教えていただいた。
「有限大の流動系」ってナンジャ???
最初ははてな???だったけど、何度も何度も聞くうちに、
この法則は、私たちにとって、とてつもない安心感を与えてくれるものだとわかってきた。
この法則は、ルーマニア生まれのエイドリアン・べジャン氏によって「流れとかたち」に記されているもので、基本的にはこういうことだ。
生物・無生物の別なく、動くものはすべて流動系である。流動系はみな、抵抗(例えば摩擦)に満ちた地表を通過するこの動きを促進するために、時とともに形と構造を生み出す。
つまりは、「より良くなりたい」というのは、基本的な物理法則であるから、私たち人間も流動系であるかぎり、常に「より良くなりたい」と前に進みたくなるのは、自然なことなのですね。
あるがままでいいとか、吾唯足るを知るとか、私はどこにもいない、とか
いろんな言葉があり、それは究極で真実だけど、
この肉体が、時の流れの中で存続するため、すべては流れを良くするために進化しなくてはならないのも真実。
ということで、ありのままでいいのよ、、、と眠い時に寝るもよし(笑)
眠い目をこすりながら、それでもやっぱり#毎日noteを頑張って続けるよ、、、と書き続けるもよし(笑)
どちらが今の私にとって心地よいかというと、後者なんです。