見出し画像

#ネタバレ 映画「めぐり逢わせのお弁当」

「めぐり逢わせのお弁当」
2013年作品
引き継ぎにはコミュニケーションが必要である
2016/9/5 8:58 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

保険会社の会計係・サージャンは、妻に先立たれて傷心の独り暮らし。彼は健さんみたいにニコリともしない男で、近々早期退職して故郷ヘ隠居しようと考えていました。

そんな折、上司が気を使って後任のシャイクを早めに雇いました。引き継ぎをスムースに行わせるためです。彼は孤児でしたが陰りを感じさせない寅さんみたいに陽気な男。でも、その波長が合わないみたいで、サージャンは仕事を教えようともせず邪険に避けてばかりでした。

それでもシャイクはめげず、あるときは恋人を口説くように、またあるときは獲物を狙う敏腕セールスマンのように、笑顔と礼儀を忘れずにアタックするのです。

その甲斐あって、あるとき一緒にサージャンのランチを食べさせてもらえる幸運に恵まれ、以後二人は、一歩づつ距離を縮めて行くのでした。

私の会社人生を振り返ると、就職した当時、(あんなに陽気ではないけれど)私はシャイクであり、先輩にはサージャンが多かったように思います。やがて教えられる立場から、教える立場にもなり、両者の気持ちを体験しました。でも絶対にクールなサージャンにはなれませんでした。だから、あのエピソードには古傷が痛む思いがあります。後輩にやる気があるなら、先輩は愛情を持って指導すべきです。

この映画「めぐり逢わせのお弁当」は、「引き継ぎにはコミュニケーションが必要である」という映画だったようです。前述したエピソードは上司が中心となり「両者に良いコミュニケーションが生まれるように図らった」ものでしょう。

看板になっている「お弁当のエピソード」も、結果的に主婦・イラが「冷え切った夫から、サージャンへと乗り換えるための、引き継ぎの儀式・コミュニケーション」だったわけです。

デジタル時代だからこそ(数字を扱う会計係が象徴的に登場する)、「アナログな人情が必要」だと映画は謳っていたのでしょう。

主な登場人物三人はとても魅力的です。女性はどこか見たことがあると思ったらサンドラ・ブロックさんに似た美人ですし、男性二人も微表情の演技で内面を語れる実力派でした。そしてインドのランチはやっぱりカレーだと分かり、なぜか安心。

★★★★★

追記 ( 「お弁当」とは ) 
2016/9/6 8:16 by さくらんぼ

「お弁当」で思いだしました。どちらも、もう何十年も前の話です。社内恋愛ぐらい、どこの会社にもあると思いますが。

ある独身カップルの彼女が、隣係にいる彼に毎日お弁当を作ってくるようになりました。男性は少し照れながら、そして少し自慢気に(そう見えただけかもしれない)、食べていました。きっと、あのお弁当は「幸せの味」がしたのでしょうね。

それから、こちらは既婚者の話。ある人妻が「きょう外食の約束あったの忘れてた。持ってきたお弁当、代わりに食べてくれる!?」、そう言って隣係の既婚男性に有無を言わせず渡していました。彼はウエルカムで受けとりましたが、開けたところ、箸袋だった何かに「H」を連想させるような「意味深な言葉が印刷」されていて、彼は困惑し苦笑していました。

名作・映画「初恋のきた道」でもそうですが、古今東西、女性にとって「お弁当は」、ラブレターに匹敵する強い味方なのでしょうね。何かの映画では「食=H」とも描いていましたから、さながら「前戯つきのラブレター」。残念ながら私には、もらった経験が無いので効果のほどは分かりませんが。

追記Ⅱ ( 引継ぎが終われば ) 
2016/9/6 9:01 by さくらんぼ

>…その波長が合わないみたいで、サージャンは仕事を教えようともせず邪険に避けてばかりでした。
>看板になっている「お弁当のエピソード」も、結果的に主婦・イラが「冷え切った夫から、サージャンへと乗り換えるための、引き継ぎの儀式・コミュニケーション」だったわけです。

きちんとコミュニケーションしないと、どうなるのか。「仕事」のエピソードでは、後輩のシャイクがミスを犯し、指導しなかった責任をとって、先輩のサージャンが上司に謝罪するはめになりました。

「お弁当」のエピソードでは、「逢いたい」という主婦・イラの誘いをドタキャンしたら、サージャンのもとへ「カラのお弁当」た届くようになりました。「タダ食い」は許されません。

自業自得ですね。

でも「仕事」のエピソードとは違い、「お弁当」のエピソードでのサージャンは「とても逢いたかったけど、どうしても逢えなかった」のです。なぜなら、不倫どうこうという事もあるでしょうが、「年齢差がありそうだったから」。

誤配される弁当を、作り手承知の上でご馳走になるだけだとか、「お礼ついで」に少し文通するだけなら、人生の寄り道、その「許容範囲」でしょうが、交際するとなると「世間様(インド)の常識」が頭をもたげてくるのです。カーストなどもあるかもしれませんしね。

で、あの二人はどうなるのか。「仕事」は引継ぎが終われば後任の担当になるように、「お弁当」も引継ぎが終われば後任の担当になるのでしょうか。

追記Ⅲ ( 誤配という数学的正解!? ) 
2016/9/6 18:29 by さくらんぼ

「 …多変数解析関数論…計算という方法のみに固執せず、しなやかな思考で独自の数学理論を展開していった岡 潔(1901~78年)…自(みずか)ら積み上げる知と、自(おの)ずから湧く情。この自力と他力のせめぎ合うところに、数学の生命はある。 」

( 中日新聞 2016.9.6 森田真生さんのコラム 「数学の中の人生」・下 「岡潔のしなやかな思考 『知』『情』のせめぎあい」より抜粋 )

「多変数解析関数論」。私には初めて聞く言葉であり、他にもたくさん丁寧な説明が書いてありましたが、算数しか知らない私にとっては、さっぱりわかりませんでした。でも読んだとき「直感的にこう思いました」。それを以下に書きます。

「引き継ぎにはコミュニケーションが必要である」

「引き継ぎ(数式)にはコミュニケーション(情緒)が必要である」(多変数解析関数論)

「男女が巡り合えた」

「誤配という数学的正解!?」

「映画のラスト近く、主婦・イラが弁当配達人に『誤配があった』旨告げると、『これは、外国から偉い大学の先生が視察に来て感心したシステムだ。誤配はありえない。それとも、私がウソをついているというのか』と、逆切れ気味に自己主張したのでした。

私はあれを「愚か者」だと冷ややかに見ていましたが、もしかしたら違うのかもしれません。彼は「数学者の言葉を代弁していた」のかもしれないのです。さすが「数学の聖地」インド映画と、言うべきだったのかも(この解釈を…いえ、私のどの解釈も信じないでください)。

追記Ⅳ ( 「愛知万博」の思い出 ) 
2019/6/20 10:09 by さくらんぼ

会場には美味しそうなレストランがありましたが、たいてい満員なので、私はセルフサービスのお店でランチを買い、花壇の淵などに座って食べていました。

中でも、「ナン(チャパティ?)」で有名なお店の屋台があって、そこで焼き立てで、火傷しそうなほど熱いものを買い、カレーに付けて食べたのは、まだナンが珍しい時代でもあり、とても美味しい思い出です。

でも、やっぱり座ってゆっくり食べたかったから、次回から、午後に会場入りするときは、ランチは開場外の街で食べていました。「カレーハウスCoCo壱番屋」さんがお気に入り。エアコンが効いているし、テーブルもあり、イスもあるし、冷たいお水も出てきますからね。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?