#ネタバレ 映画 「ALWAYS 三丁目の夕日’64」
「ALWAYS 三丁目の夕日’64」
見送ってくれた人を忘れない
2012-11-21 13:21byさくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
このシリーズも、第三作目になると、どなたかも書いておられましたが、砂糖をまぶし過ぎた様な、お子様ランチ的演出が気になる場面もありました。本当に微妙なさじ加減ですが、料理と同じで、そこが難しく、本当に悔やまれる作品になりました。それと、私が居眠りしていたのではないのなら、六子の実家のご両親は、とうとう画面に登場しないままでした。話をシンプルにするために割愛されたのかもしれません。もし、茶川先生の実家を描く事で、類推すべし、というのならば残念でした。
ところで、医者の孝太郎が、六子と結婚する許しを請うために鈴木オートを訪問した際のことです。主の則文とその妻・トモエが、まるで実親か、法律上の養父母の様な顔をして応対していましたね。気持ちは分からないでもないですが、厳しいことを言えば、則文夫妻は単に六子の勤務先の主とその妻でしかない存在です。
あれは結婚に関する大変重大な席ですから、(いかに親同様といえども)則文夫妻は情に流されず、大人なら筋を通した態度を取るべきで、笑顔で「私たちは六子ちゃんのことを実の子供の様に思っていますよ。その気持ちに偽りはないわ。だから、今日、私たちのところへ来てくれた事はとても嬉しいの。でもね・・・私たちは本当の親ではないので、まずは、実家のご両親に先にご挨拶をしてきなさい・・・」などと、諭すべきだったと思うのです。
たとえ良縁だとしても、実父母に挨拶も無く縁談など決めてしまったら、実父母のプライドを傷つける事は必至であり、悲しませる事になることは容易に想像できます。それどころか、ひとつ間違えば非常識な行為だとして、則文夫妻は実父母から糾弾されてもおかしくありません。最悪の場合は、六子は勘当される可能性さえもあります。
そんな風に思っていたら、突然ふすまが開き、則文の息子・一平たちが出てきて、「実家のご両親は?」などと、フォローしてくれました。グッド・タイミングでした。「見送ってくれた人を忘れてはいけない」のです。実は、これが、この作品の主題だと思っています。
茶川先生の実家ご両親との感動(勘当)秘話も出てきましたね。淳之介と竜之介との師弟(親子)秘話もそうです。また、六子が鈴木オートへ恩返したかった、という話しもそうです。さらに孝太郎先生の弱者救済という仕事の秘話も出てきました。そうそう、六子が孝太郎先生と朝の挨拶をするだけのために出かける秘話もありました。毎朝、孝太郎先生を見送る六子のことを、孝太郎先生は忘れてはいませんでした。みんな、見送ってくれた人(後ろにも目のある生き方)を忘れてはいないのでした。
又、映画の冒頭では、三丁目からゴム動力の模型飛行機が飛ばされました。あの飛行機は、1964年当時の人々の夢を表した記号でしょう。飛行機はどんどん高度を上げて、遠くへ飛んでいきました。このあたりのCGには金がかかっています。大事な主題ですからね。
そして、とうとう、飛行機の視点は、完成した東京タワーのてっぺんまで、上りつめました。私たちは、今、下界を見下ろしています。ここは現代人の視点でしょう。1964年の東京が見渡せます。巨大な電波塔は遠くまで、下々、隅々まで、電波を届かせるのが目的です。今、てっぺんから1964年を見下ろしている私たちも、現在の繁栄の礎となった過去の出来事、人々の情熱を忘れてはならないのです。
そして、映画のラストが来ました。エンドロールに挿入された三丁目の人たちの顔。彼らは、みんな晴ればれとした顔で空を見上げています。1964年の彼らが見送っているのは、模型飛行機、あるいは自衛隊機が描いた五輪マーク、東京タワー、どれでしょうか・・・どれでもかまいません。みんな彼らが打ち上げたものです。そこには、それらを見送る彼らがいました。
そして、その夢の先にあるものが現代の日本です。私たち現代人は、東京タワーの上からそれを発見ました。そして、同時にまた、現代の私たちにも、あらためて空を見上げて、次世代の夢を見る必要性を語っています。
ある意味、これは健さんの映画「鉄道員(ぽっぽや)」と似た事を描いていたようですね。身を粉にして働き、高度経済成長期を支えてきた人々をです。さらに三丁目では、プラスしてこれからの夢も語っていました。これからの夢、本当に、それは大切な事ですね。
★★★
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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