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#ネタバレ 映画「霧の中の少女」

「霧の中の少女」
2017年作品
映画館でミステリーを読む
2020/6/4 6:17 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

分厚い上質なミステリーを、寝る前にベッドでじっくり読む。

そんな風景が目に浮かぶような一本でした。

映画「容疑者Xの献身」とはまったく違いますが、天才容疑者と天才警部との、頭脳戦のお話です。

そして、その頭脳戦の果てに待っていたものは…。

新型コロナからの映画館復帰第一作はこれです。

3か月ぶりの充実した一日になりました。

★★★★

追記 ( イエスと為政者 ) 
2020/6/4 6:44 by さくらんぼ

少女アンナは協会に行こうとして姿を消してしまったのですが、ヴォーゲル警部が容疑者とした少女の学校の先生・マルティーニ教授は、イエスの記号ですね。

マルティーニ教授は細い板切れを沢山張り付けて塀を作っていましたが、あれは十字架の記号でしょう。

そして、治りかけた手のひらの傷を自ら切り開いて血を流していましたが、あれは磔で釘を打ち込まれた記号だと思います。

そして、マルティーニ教授が仕掛けた、反撃の血の罠(イエスが流した血)によって、ヴォーゲル警部は破滅に追い込まれるのです。

この映画「霧の中の少女」の深層には、イエスを罪人として磔にした為政者が、イエスの流した血によって(「キリスト教」の誕生によって)立場を逆転させていった歴史が込められていたような気がします。

追記Ⅱ ( 神の射程 ) 
2020/6/4 6:59 by さくらんぼ

マルティーニ教授の反撃を受けたヴォーゲル警部がマルティーニ教授を殺害したのは、為政者にイエスが磔にされた歴史があるからでしょう。

そのヴォーゲル警部と真犯人である精神科医(ジャン・レノさん)を引き合わせたのは、そして、精神科医の質問に答えているうちに刑事魂が起動し、精神科医が真犯人かもしれないと疑うヴォーゲル警部のエピソードが意味するものは、マルティーニ教授と神の、密かな計らいだったのかもしれません。

追記Ⅲ ( 医学という異教 ) 
2020/6/4 8:22 by さくらんぼ

そして、精神科医が真犯人とされた理由に隠されていたのは、「心の問題を宗教で解決するのか、医学で解決するのかという問題」だと思います。

私はケースバイケースだと思います。

しかし、宗教映画であるならば、ある意味、宗教の対極にあるような医学を敵として描き込んだとしても、不思議はありません

追記Ⅳ ( 二つの殺人事件 ) 
2020/6/4 9:06 by さくらんぼ

この映画には二つの殺人事件が登場します。

最初に出てきた一人の少女誘拐事件、表層の物語で言えばマルティーニ教授が犯人です。

後半に出てきた連続少女殺人事件は精神科医が犯人でした。

そして、二つの事件を同一犯の犯行だと信じた警部の誤りも最後に露呈しました。

しかし、皮肉なことにそれが警部を元気づけたのです。

新たな攻略目標が出来たと。

追記Ⅴ ( 驕れる者久しからず ) 
2020/6/4 9:48 by さくらんぼ

この映画には「驕り」という言葉が出てきましたが、キーワードのような気もします。

驕れる犯人、驕れる警察、驕れる宗教、驕れる精神科医…。

そのような人たちは、やがて敗れ去るのですが、時に脅威にもなるからでしょうか。

みんな怖いですが、特に冤罪とか、(ときどき映画に出てくる)誤解による強制入院とか怖いですね。

そう言えば、最近はウイルスで隔離もありました。

追記Ⅵ ( 「小人閑居して不善をなす」 ) 
2020/6/5 9:36 by さくらんぼ

思いつくまま色々書きましたが、改めて考えてみると、チラシに載っている3人の男性、「精神科医、教師(イエスの記号)、警部」は、全員殺人者でした。

3人とも聖職者、あるいは善人・常識人の記号みたいな信頼すべき人たちなのに、実はそうではなかったのです。

映画の中に「この町は平和すぎる。人は平和には耐えられない。だから(悪魔のささやきで)犯罪を犯す」みたいな警部のセリフが出てきました。

バチカンを内包するイタリア映画であること、そして密かにイエスが描き込まれていることを考えると、この映画からキリスト教は外せず、これは(キリスト教を中心にすえた)聖職者の性犯罪を告発する作品だったのかもしれません。イエスを登場させるので、オブラートに包まざるを得なかったのでしょう。

参考

『 聖職者の性犯罪は「悪魔」の存在証明 』

( 「アゴラ」言論プラットフォーム 2017年07月20日 11:30 長谷川 良 )

追記Ⅶ ( 人は平和には耐えられない ) 
2020/6/5 9:46 by さくらんぼ

>映画の中に「この町は平和すぎる。人は平和には耐えられない。だから(悪魔のささやきで)犯罪を犯す」みたいな警部のセリフが出てきました。(追記Ⅵより)

「 米ミネアポリスで暴動 警官の暴行で黒人死亡、抗議過激に 」

( 2020/5/29 5:23 「日本経済新聞」 )

暴動は、新型コロナのロックダウンの反動もあったのでしょう。

追記Ⅷ ( 映画「エクソシスト」 )
2020/6/5 15:08 by さくらんぼ

( 映画「エクソシスト」のネタバレにも触れています。 )

そう言えば、悪魔払いの名作映画「エクソシスト」のポスターの、あの「白い光をバックに神父さんがシルエットになっている画像」は、この映画「 霧の中の少女」のワンカットと似ています。

もしかしたら、映画「 霧の中の少女」とは「エクソシスト」だったのか(オマージュか否かは現段階では分かりません)。

本物の映画「エクソシスト」では神父さんが悪魔祓いに勝ちますが、映画「 霧の中の少女」では神父役の警部が返り討ちにあって負けるのです。

そうすると、毒薬を注射された少女が、ベッドの上でガタガタと震えて息絶えるシーンの意味が分かるのです。あれは魚であると同時にエクソシストの少女だったのかも。

6月になったばかりだというのに、7月下旬並みの暑さの日本で、妄想は広がります。

追記Ⅸ ( 失楽園 ) 
2020/6/6 8:36 by さくらんぼ

>映画の中に「この町は平和すぎる。人は平和には耐えられない。だから(悪魔のささやきで)犯罪を犯す」みたいな警部のセリフが出てきました。(追記Ⅵより)

この思想は映画「霧の中の少女」の創作ではなく、旧約聖書の「失楽園の物語」が下敷きになっているのだと思います。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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