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#ネタバレ 映画「帰って来た木枯し紋次郎」
「帰って来た木枯し紋次郎」
1993年作品
そうやって、あなたも神のしもべになる
2015/1/21 14:22 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)
この映画、観たはずなのですが、内容をよく覚えていません。昔の話ですし、TVシリーズから何本も観ていたので、ごっちゃになっているのかもしれません。
でも最近、思うところあって、ふと「木枯し紋次郎」を思いだしました。
リアルタイムで夜TV放送を観ていた子供時代、とても魅力があるドラマだとは思っていましたが、なにぶん幼くて、それ以上は理解できませんでした。
でも、今なら、彼(紋次郎)の哀しみも多少は分かる気がします。
『貧しい農家に生まれた紋次郎は、生まれてすぐに間引きされそうになる所を姉おみつの機転に助けられた。「間引かれ損ない」として薄幸な子供時代を過ごした紋次郎は、10歳の時に家を捨てて渡世人となる 』のでした。
(wikipediaより抜粋)
つまり彼は「要らない子」だったのですね。
おそらく、哀しみが支配した、居心地の悪い幼少時代を過ごしいたはずです。
もしかしたら、彼には、ろくに両親の愛情も注がれなかったのかもしれません。その寒々とした10年間の闇が、彼の人となりを作ったのでしょう。
彼は、愛などと言うものの存在を信じません。自分が体験していないものを、どうして信じることができましょう。
だから、冷たい世間を避けて(世間を見捨てて)生きるスタイルになり、その気持ちの発露が「あっしには関わりのねぇことでござんす」なんですね。
しかし、それでいて、死ぬまでには、一回でいいから、どこかで、その、愛とやらを信じてみたい、見つけてみたいと思っているのです。
彼は10歳の時、自らの脚で、それを探しに旅に出たのでした。
主題歌「だれかが風の中で」の歌詞に「どこかで だれかが きっと待っていてくれる」という一節があります。
誰が待っているのでしょう。
今ならわかります。
それは「紋次郎を愛してくれる女(ひと)」です。
旅の中で、恋人に巡り合いたい、と願う歌なんですね、あれは。
でも、道中で出会う人は、逆に、彼に助けを求める(愛を求める)人ばかりでした。
愛が欲しいのに、愛を求められる出会いばかりなんです。
「俺なんかに…」。
彼は、お門違いだと、いったんは断りますが、自分自身も愛を求める人だから、愛を信じたい気持ちもあるから、愛を求める人を放っておけずに、最後には助けるんですね。
でも、そうして…また1人、新たな敵も増やしていく。
やりきれませんね。
クリント・イーストウッドに映画「ミリオンダラー・ベイビー」という作品がありました。
主人公の男は、愛を求めて教会に行ったり、右往左往しますが、誰からも与えられず、ついに自らが神の代理人になり、人に愛を与えるのです。
神の命により、役立たずのシスターの代わりに、命に代えて愛を与える仕事をすることになった石ころです。
紋次郎も、同様に、孤独な愛のしもべであったのかもしれません。
我々も、劇的な経験ではなくとも、日常生活で、ある日突然に、自分が傷つくと承知の上で、愛に満ちた善行をしなければならない状況に、追い込まれることがあります。その瞬間は、無我夢中で、考えている余裕などないでしょうが。
そうやって、気づかぬうちに、あなたも神のしもべになる。
追記 ( 朱塗りは神聖な色 )
2015/1/22 22:14 by さくらんぼ
「 それから座頭市が案山子に降臨した神様だとしたら…勝新の時代は、確か(仕込み杖が)ただの白木製だったような気がするが、北野監督の映画では「朱塗り」の仕込み杖になった。
派手な演出だと思ったけれど、神社の鳥居などを見ても分かるとおり、朱には災厄を祓う意味もあるようだ。
子供のいたずらにはまったく無防備な案山子様であったが、ひとたび悪霊を見つけると問答無用で神業を魅せるのであった。」
( 映画「座頭市」追記Ⅲ byさくらんぼ より一部補記し転記 )
たしか紋次郎の刀の鞘も朱塗りでしたね。
時代考証がしっかりしていると評判の「木枯し紋次郎」ですが、「彼らの鞘は普通は黒であり、朱塗はおかしいのでは」との意見もネットで見かけました。
もしかしたら、紋次郎も案山子様の記号であったのかもしれません。
もし、そうならば、長楊枝の意味もわかります。あれは、案山子様の体を貫いている棒の記号なのかもしれません。
何で、口から出てるの?
耳から出たらおかしいでしょ。
冗談はともかく…
アユの塩焼きなどでは、口から串を入れて、灰に刺し、炉端焼きをしたりします。
それを思いだして「長楊枝をくわえさせれば、それで、まあ、いいか!」みたいな、茶目っ気、たっぷりの、演出かもしれませんね。
やっぱり、紋次郎は、日本流の、野山に御られる神様(案山子様)だったのかもしれません。
追記Ⅱ ( 案山子様みつけた )
2015/1/24 14:49 by さくらんぼ
乾いたフォークギターの伴奏で始まる、上條 恒彦さんが歌う「木枯し紋次郎」の主題歌、名曲「だれかが風の中で」が流れると、あの印象的なオープニングシーンを思い出す人も多いと思います。
あのオープニングが好きで、YouTubeで何度も観ていたら、竹藪のシーンで、ひとつ気がついたことがありました。
竹藪の中を、竹に絡みつくように手をかけながら、右へ、左へ、竹を避けて、こちらへ駆けてくる紋次郎のシーンです。
竹に絡みついているところでは、数秒間ストップモーションになります。何回も止まります。だから、昔から、もどかしかったシーンです。
でも、あれを、イラつかずに冷静に観察すると、まさしく「竹に刺さった案山子の体」だったのです。
それを見せるためにストップモーションを多用した!?
そして、その直後には、一瞬だけ、0.5秒程度、サブリミナル的な、不可解なシーンも挿入されます。
左側に紋次郎と思われる人影、右側には鉄格子のある分厚い窓が開いた、蔵らしきものがありました。
あの0.5秒は、なんでしょうか。
蔵と言えばお宝を入れる場所です。
その窓が開いて、紋次郎神様が出てきたシーンでしょうか。
わかりません。
本当にサブリミナルなのか、昔の事だから単なる編集ミスなのか…
ちなみに「帰ってきた木枯し紋次郎」では、その0.5秒のシーンだけは、なぜかカットされている様です。
サブリミナルを封じたのか、この際だから、編集ミスを修正したのか…
しかし、あの竹藪のシーンだけは残っています。
案山子様を、あそこに見つけました。
追記Ⅲ ( 道こもり )
2015/2/6 18:30 by さくらんぼ
映画「ベイマックス」のレビューでは、「念のため付け加えますが、私は引きこもりではありません」などと書いてしまいました。
これは、その追記でもあります。
若いころの話です。
自宅は面白くなく、かと言って、会社はもっと、面白くなかった(当たり前か)。
だから、生きるエネルギーを吸収する場所は、通勤途中と、映画館だけ、という日々がありました。
徒歩と、電車を合わせて、毎日往復2時間の通勤時間。
これが、私にとって、至福の時だったのです。
つまり「道こもり」。
その心は、鬼の居ぬ間に洗濯の、のびのび感覚ですかね。
ひとり歩く路地はもとより、雑踏の大通りも、また、そこが、たとえ電車内であっても、群衆の中の孤独と言いますか、好きでした。
通勤途中の、一度も会話したこともない顔見知りの皆様にも、ずいぶんと慰められました。
あの娘(こ)はどうしているかしら。。。
ちなみに満員電車はダメです。
痴漢と間違えられても困りますからね。
「ひきこもり」、「外こもり」、「沈没」。
「ひとり寝の言葉」には色々あるけれど、「道こもり」はどれにも当たらない。
木枯し紋次郎は俗世間を捨てた男です。故郷も、家族もありません。
そうして渡世人の世界に入ったのですが、渡世人の世界からも命を狙われています。
どこにもいき場のない紋次郎。
彼もまた「道こもり」だったのだと思います。
ひとりで野山を歩く時間だけが至福の時の。
日本画家、東山魁夷さんもまた、道を描きました。
東山魁夷さんがどんな気持ちで道を描いたのかは知りませんが、私も、紋次郎も、東山魁夷さんも、道にこそ、夢を、希望を、見出していたのかもしれません。
あの道を曲がったところに、あの峠の向こうに、きっと幸せがあると。
追記Ⅳ ( 「ハケンの品格」 )
2020/5/1 22:15 by さくらんぼ
往年の人気TVドラマ「ハケンの品格」第1シリーズの再放送を観ていますが、人気TVドラマ「木枯し紋次郎」を連想しました。
紋次郎がくわえていた長ようじが、春子(篠原涼子さん)がフラメンコでくわえていたバラの花や、定時に帰るために凝視していた時計の秒針あたりに記号化されていたのでしょう。
まぐろの解体ショーでは、紋次郎がひるがえすマントのごとく、春子ははっぴを派手に着て、長ドスならぬ長包丁を振り回すのです。
そして、第2シリーズのCMに出てくる春子が、コートをはおって枯葉の街にさっそうと登場するシーンと、そのナレーション語り口も紋次郎を彷彿とさせます。
追記Ⅴ ( 「ハケンの品格」 ② )
2020/5/3 22:34 by さくらんぼ
>そして、第2シリーズのCMに出てくる春子が、コートをはおって枯葉の街にさっそうと登場するシーンと、そのナレーション語り口も紋次郎を彷彿とさせます。(追記Ⅳより)
枯葉ではなくて桜吹雪のようですね。
主人公は、木枯らしから、春子さんにバトンタッチ。だから桜吹雪なのでしょう。
ちなみに紋次郎は家庭崩壊でしたが、春子は会社崩壊でした。
家出した紋次郎は渡世人になり、春子はハケンになりました。
「間引かれ損ない」の紋次郎には、誕生祝などあるはずもありません。「ハケンの品格」第3話には、派遣先がしてくれた誕生祝を拒否して立ち去る春子が描かれています。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)