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#ネタバレ 映画「アバウト・シュミット」

「アバウト・シュミット」
2002年作品
キャンピングカー
2003/5/27 20:37 by 未登録ユーザ さくらんぼ


( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

曲がりなりにも定年まで真面目に会社を勤め上げ、退職した人に対して、あまりにも愛のないラストであった。

誤解しないで欲しい。フォスタープランの事ではない。主人公が望んだものがみな手に入らない、慈悲の無いラストだと言っているのである。

でも、この作品が、そんな映画であるはずが無いと思ったら、だんだん見えてきたものがある。

主人公の妻が掃除中に倒れたとき、彼女の脇で唸りを上げている掃除機がアップになる。

あの掃除機は彼女自身の事である。彼女は夫の身の回りの世話をする事だけで一生を終えたのだ。彼女がヘソクリを下ろして夫にねだり、買ってもらった豪華なキャンピングカー、あれは彼女のせめてもの夢だったはずだ。

彼女が浮気をしていたのかは私には分からない。しかし、あの豪華な車を、彼女の夢を使い、夫は自分の思い出の地だけを巡る。そこに夫の人となりが表現されている。

では、その夫は会社ではどうだったのだろうか。

会社最後の日の寒々とした描写。

アメリカの風習は知らないが、皆に愛された人なら、監督はあのような描写にはしないだろう。

それに続く送別会の風景。

みんなの祝福の言葉。

しかし、それが白々しい形式だけのものだという事は、ラストの娘の結婚式のスピーチや、映画の随所に挿入される二枚舌のモノローグなどで、面白く紹介されている。彼は会社でも愛されてはいなかった。

では、娘との関係はどうだろうか。

娘の家に結婚式よりも少し早くに行こうと電話したのだが、これも断られる。娘は父からの結婚式の準備の申し出を断るのだが、本当は娘一人で準備にてんてこ舞をしていた事実が後で明かされる。

ここまで来て、ジャック・ニコルソンの、あの一癖ありそうな風貌が主役に選ばれた意味が見えてくる。

彼は自分では何も気づいていない。

その視点で映画は進行する。だからこの映画は主人公への報いとして、あのラストを用意しているのだろう。

いや、報いと言っては養子の少年などに失礼である。

主人公はラストの一枚の絵で、初めて、人と人との心のつながりについて学び始めるのである。

ところで、この映画はこれで終わりではない。

娘が「結婚式の準備を一人でやった」と泣くシーンがある。

新郎は娘の父のように気のきかない人の様だ。

父のような人を選びたくないと思っていても・・・

親から子へもろもろの事は繰り返されるのである。

追記 (  一ヶ月たって )
2003/6/28 9:53 by 未登録ユーザさくらんぼ

私には、主人公への贈り物としてフォスタープランが用意されていたことについて、今ひとつ消化できないでいた。でも、最近ふと思った事がある。蛇足かもしれないがそれを書こうと思う。

主人公の妻が死んだ。

配偶者というのはもっとも濃厚な人間関係を持つはずの一人である。その代わりのものとして、あえて対極にある人間関係の事例を選んだのかもしれない。それがフォスタープランだったのだ。しかし、その遠く離れた絆さえ主人公を慰める事が可能だった。

この映画は生命保険、ねずみ講、会社、家族など、色々な「絆」について描いた作品であった。

映画に出てくる一枚の絵、それはそこに集束する。

追記Ⅱ ( 温泉旅館の最終目的地 ) 
2015/12/21 10:03 by さくらんぼ

先日、ひなびた温泉とまではいきませんが、山にかこまれた川沿いにある、中堅どころの温泉地へ行ってきました。

紅葉の盛りは過ぎ、茶褐色の枯れ山と、川の音だけが聴こえる、そこはモノトーンの世界でした。川の流れる音というのは、ときに「戦車のキャタピラの音」にも似ているのですね。

その温泉地は、まだ外国人には知られていないらしく、客層は日本人のシニア層(ほぼ、おばちゃん一色)で、にぎやかでしたが、空気感が統一された安心感もありました。

ところで「温泉旅館の最終目的地」とは、いったい、どこ(なに)なのでしょうか。

「温泉旅行だから、露天風呂に決まってるだろう!」と言う人もいるでしょう。

「旨い地酒と、郷土料理にきまってる」と言う人もいるはずです。

私も温泉には、夕食前と、寝る前と、早朝の3回入りました。

早朝には、外気温0度近くの誰もいない露天風呂で、すっ裸で体操もしました。

やってみると意外と寒くないものです。

又、地酒と郷土料理も食べました。

でも何かが、もの足りないのです。

昨今、旅館業も楽ではないらしく、私の泊まった大型旅館も、さまざまな合理化が進んでいました。でも、不要だとして、あるいはコスパが悪いとして切り捨てられた、おもに人的サービスの中に、私の最終目的地が有ったような気がします。

セルフサービスのカフェのようなこの旅館では、「事務的な受付担当がいるだけで、部屋担当の仲居さんもいないし、女将さんも見えない」のです。

そんな中で、一番印象的だったのは、わが町から送迎してくれた、マイクロバスの運転手さん(ガイドさんはいないから)でした。彼だけがバスを代表し、旅館を代表して、挨拶と、旅の安全を祈ってくれました。「送迎バスの運転手さんだけが、笑顔の中にも、真剣な目で私たちを見つめ、一所懸命に顔の見える接客をしてくれた」のです。

それにくらべ、私が一泊二日で泊まった宿は、豪華さをまとってはいても、主(あるじ)のいない家のようでした。

帰宅して、映画「千と千尋の神隠し」のラストに吹くすきま風を、ふと思いだしました。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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