#ネタバレ 映画「アメリカン・スナイパー」
「アメリカン・スナイパー」
2014年作品
クリスは神の代理人になった
2015/3/6 10:09 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
この映画には誕生の話と、子供の話が出てきます。
その中でも、主人公クリスの妻が出産するエピソードが、中心になるのでしょう。
人工授精はできても、生命そのものは、人間には作れません(のはず)。
それは神の領域なのですから。
そして死者も多数出てきます。
生命を作れない人間が、戦争と言えども、他人の生命を奪って良いのか。
それも神の領域ではないのか。
そんな中、クリスは戦場のイエスとして生きようとしていました。
つまりクリスは神の代理人を演じたのです。
戦場で兵士が戦うのは当たり前ですが、主人公のクリスは、第三者として安全圏にいて、高く、広い視点から人間を眺め、必要とあらば敵に天罰!?を与える、まるで神の役割を演じたのです。
そして、映画のクライマックスでは敵の天才スナイパー(相手の神の記号)とクリス(キリスト神の記号)の一騎打ちになるわけです。
そのときクリスが放つ神技、約2キロの遠距離狙撃…
どんな映画でも、神の領域に踏み込んだ人間は、たいてい不幸な末路をむかえます。
クリスも例外ではなく、心を病みました。
彼の場合は、心が戦場モードから平和モードには戻らなくなってしまったのですね。
これは児童虐待、等を受けた子供とも、ある意味近い状態だと、私は思います。
素人考えですが、心が次の虐待等を恐れて、常に警戒監視モードになったまま固定され、容易には解除できなくなるのでしょう。そうすると、読書のように、長時間の集中を要する作業が困難になったりするかも。他への集中は警戒監視の中断になるからです。だから、勉学や仕事にも一生涯差し支えることがあります。しかも、本人には集中できない理由がわからない。
又、クリスが除隊してから戦友の元へ戻って行ったのは、けっして戦場が楽しかったからなのではなくて、癒しのために、おなじ波動を出している(つまり心の通う)戦友を求めていたからなのでしょう。
映画「エイリアン2」でヒロインのリプリーがエイリアンの居る星へ戻って行ったのとも似ているのでしょう。クリスは哀しいかな妻とはもう波動がずれてきてしまったので、そばにいるのに、ときに忍耐が必要になってきたのですね。
追記 ( ここに米国版、映画「永遠の0」を観た )
2015/3/6 10:14 by さくらんぼ
そして、この映画には、もうひとつの構図があります。
それは、愛する妻子の元へ帰りたい気持ちと、神の代理人として戦場で一人でも多くの戦友を救いたい気持ちとの板挟みのクリスです。
この気持ちに引き裂かれていくことも、心を病んだ原因でしょう。
この構図は、まるで日本の映画「永遠の0」ではありませんか。
クリントさんは硫黄島を舞台にして日米双方からの視点で描いた2本の映画を作りましたが、奇しくも、映画「アメリカン・スナイパー」と映画「永遠の0」も、描かれた精神世界が似ているものになってしまいました。
これは、まちがっても真似をしたとか、そういう低次元のことではないでしょう。時代がそのような波動になったのだと思います。
そして米映画なのに、邦画の映画「永遠の0」よりも泣いているではありませんか。エンディングがカッコいい歌では無く、もろに祈りの沈黙なのですから。
英雄扱いされず、それどころか、非難さえされて、残された家族は肩身の狭い思いをしたこともあるらしいあの特攻を、映画「アメリカン・スナイパー」は、あらためて思いださせてくれました。
点数をつけ忘れるところでした。
★★★★★です。
追記Ⅱ ( この映画は生前葬なのか )
2015/3/6 10:18 by さくらんぼ
私は、映画「ジャッジ!」のレビューで「人は化けることができる」と書きました。
例えばライターは著作の中に自身を化けこませることが出来るはず。それは、ときに映画「真夜中の五分前」のレビューでも書いた「禅で言うところの主人公」であるかもしれません。
クリントさんは映画「ダーティハリー」のシリーズや、映画「ミリオンダラー・ベイビー」、映画「グラン・トリノ」など主要作品で、天上には居ても地上には居ない神の代理人として、人の命を奪う哀しき人間を演じてきました。
これらは物語上の主人公ですが、同時に、クリントさんの内面深くに潜む、彼自身の主人公なのかもしれません。
そんなクリントさんも、すでに80歳を超えています。
そろそろ、ひそかに生前葬などを考えていたのかも知れまませんね。
だから、クリントさんは、映画「アメリカン・スナイパー」で、クリントさん自身と、彼が生みだしたヒーローたちへの生前葬を行ったのです。たぶん。
映画「アメリカン・スナイパー」は全体の構成がクリスへの弔辞の言葉になっています。だからラストも葬儀と祈りでしたね。
クリントさんはクリスさんに敬意を表し、ご自分を重ねておられるのかもしれません。
邦画にもありましたね。
映画「大鹿村騒動記」は、原田芳雄さんの弔辞に対する答辞としての意味が込められた映画だと思います
追記Ⅲ ( あのワンカットに戦慄する )
2015/3/6 10:21 by さくらんぼ
そして波動と言えば、この映画のラストは凄かった。
クリスが妻と歓談して玄関のドアを開けると、自動車の前に男が一人立っているのです。新顔。いつものようにクリスが射撃を指導するのだそうです。男の母親からの、たっての願いで。
何でもないワンカットですが、私はぞっとしました。
男の波動が邪気全開だったからです。
現実世界なら…私なら、速攻でキャンセルして逃げ出すでしょう。
いや、とりあえず一目散に遠くへ逃げ出してから、何でもいいから理由を付けて、電話ででもキャンセルします。
それくらい怖い。
貞子も裸足で逃げ出すぐらいの、悪夢のようなシーンでした。
このシーンの成果は、クリントさんの監督としての実力なのか、男を演じた俳優さんの内面のお芝居の凄さなのか、わかりませんが、あんなに恐ろしいカットを見たのは初めてです。
そして、それに続く奥さんの不安そうな顔、でも、あれは月並みなお芝居でした。演出はクールでしたが。
さらに、音楽とともにクリスの葬式の実写フィルムが(たぶん)流されて、その後の、長い沈黙…
沈黙は、祈りの時間。
映画館で、しばし、いろいろな事を思ってみました。
追記Ⅳ ( なぜクリスはブーツを欲しがったのか )
2015/3/7 9:19 by さくらんぼ
クリスが退任し、リハビリセンターで射撃を教え、傷痍軍人たちのリハビリ(クリスにとっても)に励んでいたときの話です。
車いすの男が「なぜ、私たちにそんなに親切にしてくれるんですか」とクリスに尋ねました。
なにしろ、クリスはレジェンドなスナイパーですからね。神様みたいで恐れ多いわけです。
クリスは「君のブーツが欲しいから」と答えました。
表の解釈は、車いすの男は両足の膝下がないので、それを見たクリスのジョークでしょう。
スナイパーにはジョークが必需品だと思います。
射撃には集中力が必要だと思いがちですが、むしろ無心になることが必要だと思います。
集中では「集中=緊張」になりかねず、筋肉がこわばって、的に当たりにくくなるのです。でも「無心=弛緩」なので、こちらの方が脳のイメージどうりに筋肉が動きやすいので、当たります(アーチェリーの経験から)。
ジョークの後は弛緩するので良いのです。
ダーツでもスポーツ吹き矢でも、機会があったらお試しください。
でも戦場では、ターゲットが子どもだったり、なんだ、かんだと、瞬時に思考し、判断しなければならない状況が多々あり、それは、無心になることを妨げるので、クリスは本当に大変だったと思います。
だからブーツの時に思わずジョークを言ってしまったのは、スナイパーの性(さが)から、かもしれません。
でも、このエピソードには裏があって、それは「天空の天使などが降臨するときには靴がいる」という映画の記号があるから、そこからも来ているのでしょう。
神として戦場で生きたクリスが、退任して人間に戻るためには、地に足を着けれらるよう、ぜひともブーツが必要だったのです。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)