#ネタバレ 映画「田舎の日曜日」
「田舎の日曜日」
1984年作品
日曜日の終わり
2012/6/12 11:13 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
映画館で気に入ったので、LD(昔でしたから)も買いました。でも後にLDプレーヤーは手放してしまい、もう映像は観られません。残念なことにDVDも入手困難みたいですが、名画ですからメーカーさん何とかして欲しいですね。
映画は、フランスの片田舎、日曜日のささやかな出来事を描いています。子供たちが実家を訪ねてくるだけの話しです。どなたかが小津作品に似ていると言っていましたが、そんな感じの映画。
フォーレの曲が全編に流れ、これがしっくり来るんですね。フォーレはやはりこの様な世界でこそ聴きたい。そう思わせる力があります。日本庭園、日本家屋ではなく。
そして主人公の画家・ラドミラルはもうすぐ逝くのです。この日曜日が終われば・・・。
時々白い服の少女が二人出てきますが、あれはラドミラルを天国から迎えに来た天使の記号なのでしょう。彼女たちはラドミラルが子供たちと最後の日曜日(宴)を済ませるのを待っているのです。
そんな日曜日の、これもまた天国的な美しい風景描写が大好きです。
人生の晩年には、そんな静かで美しい時間がぜひとも必要です。アクセクと、いや、胃が痛くなるほどにキリキリと働いて、そして静かな晩年を味わうゆとりも無く逝ってしまう人も多いのですが、それだけは避けたいものです。
ラドミラルの様に俗世間から離れ、まるで「禅」の如く己を見つめ・・・悟りまでは開けなくても良いですから、俗世間に振り回される時間から逃げて生きる時間が無ければ、私は人生は寂しいと思います。
最後のシーンには色んな解釈ができるかもしれませんが、もうお迎えの時期ですから、現世のキャンバスに描くことは無いのかもしれません。日曜日の終わりの哀しみにも似合っていました。でも、ラドミラルは総じて幸せな人生(日曜日も)を送ったのだと思います。うらやましいほどに。
★★★★★
追記 ( 待ち時間の過ごし方 )
2012/6/13 9:57 by さくらんぼ
パリから訪ねてくる息子・ゴンザグの娘・ミレイユの話です。
ミレイユは体が弱いという設定、なのに木に登って降りられなくなり、騒動になるエピソードが挿入されています。体が弱いのになぜ木に登れたのか、そこが問題です。昔観ただけなので忘れている部分があるかもしれません。そのつもりでお読み下さい。
私は天使の仕業だと思います。天使は老人・ラドミラルと無垢なミレイユには見えたのでしょう。
ミレイユは天使と一見同じぐらいの年齢なので、どちらからともなく「いっしょにあそぼ」となったのではないでしょうか。そうして、天使は無邪気にミレイユの両手を持って浮かび上がったのです。木の上まで。
これを示唆するために、あえてミレイユは体が弱い(木などには登らない娘)という設定にされた。
牧歌的な田舎の日曜日。
でも天使でさえ待ち時間はぼんやり過ごさないのです。ましてや人間は・・・。このあたりが主題なのかもしれません。
ラドミラルも子供たちを迎える準備で忙しかった。イレーヌも恋人からの電話を待っている間に家族と交流していた。にぎやかな日曜日も月曜からの仕事の待ち時間。そして人生も逝くまでの待ち時間・・・。
でもイレーヌの母の言葉「人生は欲張ってはだめよ!」が聴こえる。
ちなみに、天使の白い服は「貞子」を思い出すまでもなく、霊的な色ですし、木の上など高い位置も、霊的な者たちの居場所です。
この映画は、実は牧歌的ではなかった。暇でも気忙しい、人間と天使が入り乱れる、混戦模様の一日を描いていたのでした。 でも、ほどほどにしないと、またイレーヌの母にしかられる。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?