#ネタバレ 映画「風をつかまえた少年」
「風をつかまえた少年」
2018年作品
エネルギー保存の法則
2019/8/8 15:40 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
映画「スノー・ロワイヤル」がバッハ的なシナリオならば、
この映画「風をつかまえた少年」は、(広義の)エネルギー保存の法則的なシナリオのような気がします。
変換効率を考えてか、丁寧な作りで、老若男女が安心して楽しめる(どちらかと言えば大人の映画か)、上品な佳作になりました。
夏休み映画としても最適です。
★★★★★
追記 ( 数学は嘘をつかない )
2019/8/8 15:55 by さくらんぼ
そして、「 数学≦政治 」において、
映画「アルキメデスの大戦」が「政治」を描いたものならば(詳細は、あちらの映画の、私のレビュー追記Ⅵをごらん下さい。)、
この映画「風をつかまえた少年」は、政治の後に露わになる「数学」の姿を、描いていたとも言えると思います。
追記Ⅱ ( エネルギー保存の法則 )
2019/8/8 16:10 by さくらんぼ
映画の最初から、主人公・ウィリアムには、弟分のように懐いた愛犬がいました。忠犬ハチ公状態で、どこに行くにも、いっしょについて来るのです。もちろん、放し飼い。
しかし、NHK朝ドラ「おしん」ではないですが、村を飢餓が襲い、人々が一日一食の生活になってしまうと、父の命令で、愛犬にエサを与えることは禁止されるのです。
それでも、少しやせたぐらいで、何ごとも無いように、生きていた犬ですが、ある日、気がつくと、庭で冷たくなっていました。
現代の日本でも「ペットロス」という言葉がありますが、映画とは言え、哀しいエピソードです。
しかし、この哀しみは愛犬からのエネルギーなのです。それに父子ふたりが触れた時、風力発電計画は、また一歩前進しました。
追記Ⅲ ( 台湾を干ばつから救った日本人 )
2019/8/9 9:31 by さくらんぼ
「干ばつ」は古今東西の大問題の一つですが、かつて台湾を干ばつから救い、今でも台湾の人から感謝されている日本人がいます。
八田與一さんです。
『 1918年(大正7年)、八田は台湾南部の嘉南平野の調査を行った。嘉義・台南両庁域も同平野の区域に入るほど、嘉南平野は台湾の中では広い面積を持っていたが、灌漑設備が不十分であるためにこの地域にある15万ヘクタールほどある田畑は常に旱魃の危険にさらされていた。
そこで八田は民政長官下村海南の一任の下、官田渓の水をせき止め、さらに隧道を建設して曽文渓から水を引き込んでダムを建設する計画を上司に提出し、さらに精査したうえで国会に提出され、認められた。
事業は受益者が「官田渓埤圳組合(のち嘉南大圳組合)」を結成して施行し、半額を国費で賄うこととなった。このため八田は国家公務員の立場を進んで捨て、この組合付き技師となり、1920年(大正9年)から1930年(昭和5年)まで、完成に至るまで工事を指揮した。
そして総工費5,400万円を要した工事は、満水面積1000ha、有効貯水量1億5,000万m3の大貯水池・烏山頭ダムとして完成し、また水路も嘉南平野一帯に16,000kmにわたって細かくはりめぐらされた。この水利設備全体が嘉南大圳(かなんたいしゅう)と呼ばれている。
ダム建設に際して作業員の福利厚生を充実させるため宿舎・学校・病院なども建設した。爆発事故の翌年には関東大震災が起こり予算削減の為に作業員を解雇しなければならなかった。八田は、有能な者はすぐに再就職できるであろうと考え、有能な者から解雇する一方で再就職先の世話もした[2]。
2000年代以降も烏山頭ダムは嘉南平野を潤しているが、その大きな役割を今は曽文渓ダム(中国語版)に譲っている。この曽文渓ダムは1973年に完成したダムで、建設の計画自体も八田によるものであった。
また、八田の採った粘土・砂・礫を使用したセミ・ハイドロリックフィル工法(コンクリートをほとんど使用しない)という手法によりダム内に土砂が溜まりにくくなっており、近年これと同時期に作られたダムが機能不全に陥っていく中で、しっかりと稼動している。
烏山頭ダムは公園として整備され、八田の銅像と墓が中にある。また、八田を顕彰する記念館も併設されている。
… 中略 …
烏山頭ダムに設置された銅像[編集]
烏山頭ダム傍にある八田の銅像はダム完成後の1931年(昭和6年)に作られたものである。住民の民意と周囲意見で出来上がったユニークな銅像は像設置を固辞していた八田本人の意向を汲み、一般的な威圧姿勢の立像を諦め工事中に見かけられた八田が困難に一人熟考し苦悩する様子を模し碑文や台座は無く地面に直接設置され同年7月8日八田立会いのもと除幕式が行われている。』
( ウィキペディア「八田與一」より抜粋 )
追記Ⅳ ( エネルギー保存の法則② )
2019/8/10 9:45 by さくらんぼ
>この映画「風をつかまえた少年」は、(広義の)エネルギー保存の法則的なシナリオのような気がします。(本文より)
>映画の最初から、主人公・ウィリアムには、弟分のように懐いた愛犬がいました。忠犬ハチ公状態で、どこに行くにも、いっしょについて来るのです。もちろん、放し飼い。(追記Ⅱより)
その愛犬は、ウィリアムが学校にいる間、校庭で待っているのです。スコールの時は濡れながら。
あのワンシーンは、愛犬を重要なポジションに押し上げました。
さらに、ウィリアムが学校の授業料を払えなくて、退学に追い込まれるまでが繰り返し描かれます。事実だからでしょうが、その「執拗さ」を映像化したことで、学費→授業(図書館の利用権)→発明へのエネルギーの変換が描かれていると思いました。
又、ウィリアムは結構やり手であり、自分の姉と自分の担任教師が密会しているのを知ると、秘密にする代わりに(退学中も)図書館へ入れてくれと脅迫したのです。
さらに、その後には、教師の自転車にだけ付いていたダイナモ(発電機)をもらってくれる様、姉に頼みました。姉は教師から誘われていた駆け落ちをOKし、結納代わりにダイナモをもらいました。駆け落ちは姉の食い扶持を減らすことにも貢献しました。
これらのエピソードにもエネルギーの変換があったように思います。
追記Ⅴ ( 別のドアをさがせ )
2019/8/10 10:02 by さくらんぼ
干ばつで飢餓が起き、食料の略奪が始まる頃になると、政府からの支援物資がトラックで届きました。
しかし、まったく量が足りません。
並んでも貰えないと知った住民は、暴徒と化します。
もはや、武装した政府関係者ですら、鍵をかけた倉庫から出ることも出来ません。当然に、後から来たのに、要領よく群衆から抜きんでて、食料を確保できたウィリアムもです。
その時、ウィリアムは政府関係者に発案するのです。倉庫の裏側のトタンが簡単に破れそうだから、蹴破って、ここから逃げようと。
彼の自転車も、そこに置いてありました。
追記Ⅵ ( 「傷だらけの人生」 )
2019/8/10 15:48 by さくらんぼ
若い頃、自転車に、プラモデルのレーシングカーか何かに使う小型モーターを、ダイナモ代わりに取り付けた事がありました。モーターは何種もありますが、その中でも大きなものが、部品箱から出てきましたから。
当時、私の自転車にダイナモは無く、代わりに、乾電池式の、取り外しのできるハンドルライトが付いていました。ダイナモは使用時にペダルが重くなりますから、これはこれで良かったのですが。
ハンドルライトには1.5Vの乾電池二個が入っていましたから、3V駆動のライトです。
しかし、小型モーターはもっと強い電圧をかけて動かす仕様でしたから、発電機に使えば、もっと強い電圧が取りだせると思ったのです。そうすれば(結線すれば)、ライトはもっと明るくなると。
取り付け部分に試行錯誤して、何度も夜道を走り回って実験し、その計画は成功しました。
でも、スピードを出したら、すぐに豆ランプが切れてしまったのです。明るさに狂喜している最中に。
高電圧に耐えられなかったのですね。ランプを高電圧用に交換すれば良いのかもしれませんが、そうすると3V使用時にはきっと暗くなる。それに、モーターと接しているタイヤにも、無理な使用による摩擦傷がついていきました。
なぜそんな実験に憑りつかれたのか。今でもそうですが、なぜか私は光りものに弱いのです。
追記Ⅶ ( 「続きはCMの後で」とは、似て非なる間に萌える )
2019/8/10 16:04 by さくらんぼ
ウィリアムが風車を駆動させたとき、すぐに水は出ませんでした。
まずは、自動車用のバッテリーに充電が始まるのです。
きっと何時間か、かかったことでしょう。
ギャラリーはしかたなく周辺で畑を耕しています。
すると…
突然ポンプのモーターが回転を始めるのです。
音に気づいて集まってくる人々。
見つめていると、
やがて、
ゴボ…ゴボ!…ゴボ!!という具合に、ホースが咳をはじめ、
やがてコク、コクっと水が出始めるのです。
この間が良いですね。
TVの「サンダーバード」の発射シーンでは、メカの動きが、見せ場になっていましたが。
追記Ⅷ ( 「不都合な真実」 )
2019/8/11 9:43 by さくらんぼ
「針」や「お灸」は社会的に認知されていても、同じく「気」をあつかう「気功」は、そうではありません。
現代医学でも否定されているようです。
少年のアイディアを理解できない大人たちから、ふと、そんなことも連想しました。
もしかしたら、「気」を肯定すると、それにまつわる「不都合な真実」というパンドラの箱を、開けることになるからかもしれないと、私は少しだけ思っています。
追記Ⅸ ( 電池の教訓 )
2019/8/13 15:17 by さくらんぼ
>さらに、ウィリアムが学校の授業料を払えなくて、退学に追い込まれるまでが繰り返し描かれます。事実だからでしょうが、その「執拗さ」を映像化したことで、学費→授業(図書館の利用権)→発明へのエネルギーの変換が描かれていると思いました。(追記Ⅳより)
電池切れでラジオが鳴らなくなった時、ウィリアムは使い古しの電池をたくさんつなげ、「少しか残っていない電池でも、たくさん直列につなげば、ラジオも鳴る」と見せてくれました。
何かをリレーするときに、少しづつ応援もしていくと、最後には花が咲くのです。
逆に、少しのものでも、皆で分け合えば、喜びも分かち合えます。これが、ラストの水のシーンになります。風力発電でくみ上げた水は、雨トイのような所を流れていきますが、途中に、点々と置き石をすることで、そこから水があふれて、畑ごとに「水の分配」ができるのです。あの置き石は、さながら「電池」ですね。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)
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