#ネタバレ 映画「しあわせな人生の選択」
「しあわせな人生の選択」
2015年作品
その美しさは友情ですか
2017/7/17 21:55 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
トランジスタアンプと真空管アンプ。
とかく両者の音は違うと言われます。しかし「別々の登山道から山に登るようなものだ」と言う人もいます。登りつめれば同じ場所に立つのだと。
友情と愛情も、その頂上では、限りなく重なるものなのかもしれません。
温かく、しっとりとした作品でした。
これは大人の愛の映画。
単なる「愛犬の里親探し」ではありません。
★★★★★
追記 ( その美しさは友情ですか )
2017/7/17 22:16 by さくらんぼ
監督はセスク・ゲイさんです。それで、と言うわけではありませんが、これはLGBT映画のようです。
主役の二人、末期がんのフリアンと長年の友人トマスは、二人ともBだったのでしょう。若いころに恋人どうしだったのです。でも、今と違って社会的に認知されていませんでしたから、泣く泣く別れて女性と結婚したのでしょう。
二人が再会して抱き合ったとき、勃起したとか、しなかったとかのセリフもありましたし、ツインベッドなのに手をつないで寝るとか、「下の世話をされるぐらいなら生きていたくない」みたいな繊細な気持ちを吐露するところもありました。
それに、極めつけはアジア人ウエイターを小ばかにした女性に対し、人種差別主義者だと憤慨するシーン。あれはLGBT差別に苦しんだ事から生まれた感情でしょう。
これは昔の恋人が余命いくばくもないと知った男が、最後の別れにくる話なのです。
追記Ⅱ ( トマスとパウラの秘めた過去 )
2017/7/18 8:34 by さくらんぼ
若いころフリアンと別れたトマスでした。
しかし、二人がBで恋人同士だったとは夢にも知らないフリアンの従妹・パウラも、ちょうどその頃トマスに好意を持っていたのでしょう。
積極的なパウラに押し切られるようにして、二人は少しお付き合いした可能性があります。トマスもパウラを嫌いではありませんでしたし。しかしフリアンとの手前、従妹のパウラと結婚するわけにもいかず、しかたなく別れたのだと思います。
そんなパウラと何十年ぶりかに再会したトマス。しかもそこはフリアンの涙色の世界。「このまま別れたくない…」とトマスは告げました。
俗に「喪服の不倫」とか申します。あれは「喪服に萌える」と言うより、「哀しみを共有する者同士が慰め合う」という側面が強いのではと思います。Hの途中で泣きだす2人。
ところがこの予期せぬ密会を、翌朝フリアンに見つかってしまったのです。当然に何十年も前からの因縁も悟られてしまいました。フリアンはトマスの優しさを改めて知ると同時に、将来を夢見ることのできない自分の哀れも感じたことでしょう。
フリアンの愛犬をトマスに預けたのはトマスへの信頼の証であると同時に、洒落を含んだ小さな「お仕置き」だったのかもしれません。ラストの空港でのシーン。「いぬのせわぐらいとうぜんだろ」の体のフリアンに対し、「・・・・」なトマスが哀れでした。
どこか映画「アヒルと鴨のコインロッカー」のラストの別れも思いだしました。
追記Ⅲ ( 心意気 )
2017/7/18 8:49 by さくらんぼ
その昔LGBTへの偏見は強かったのだと思います。もしかしたら、ときに「動物」並みの差別を受けたのかもしれません。
フリアンが愛犬の里親探しに一生懸命になるのは、愛犬家なら当然の事かもしれませんが、もう一つの側面として、「かつて差別を受けた者の心意気」であったのかもしれません。
追記Ⅳ ( メイク )
2017/7/18 9:05 by さくらんぼ
フリアンが遠くの大学へ通っている一人息子に会うシーンがありました。ところが息子は目にクマを作るぐらい憔悴していたのです。もちろんフリアンが余命いくばくもない事は知らないはずなのに。
フリアンは後で事情を知るのですが、あの時すでに息子も病を知っていたのです。だからあのメイク。
映画「アトランティスのこころ」のラストに少しだけ出てきた「キャロルの娘」。彼女も同じメイクをしていました。やはり彼女も薄幸に違いありません。
追記Ⅴ ( 泥に咲いた蓮の花 )
2017/7/19 8:14 by さくらんぼ
愛犬トルーマンの里親候補。一人は「人種差別主義者」(LGBTの天敵として登場)、もう一人はそのまま「LGBTの人」でした。結局、前者はこっちから断り、後者は老犬であることを理由に先方から断られましたが、これらのエピソードは映画もLGBTの物語であることを示唆しています。
そしてフリアンは役者であり、舞台「危険な関係」に出演していました。「危険な関係」は一癖ある小説のようです。この小説の世界観が映画の本当の姿なのでしょう。映画のラスト・エピソードはまさに戦争。映画は「泥に咲いた蓮の花」だったのかもしれません。
「 『危険な関係』(きけんなかんけい、Les Liaisons dangereuses)は、1782年にフランスの作家コデルロス・ド・ラクロによって書かれた書簡体小説。
18世紀後半のフランス貴族社会を舞台に、貴族社会の道徳的退廃と風紀の紊乱を往復書簡という形で活写した。
なお、ラクロの本職は職業軍人であり、恋の駆け引きの描写は本格的な(軍事的な意味での)心理戦の域にまで達していると評される。… 」
( ウィキペディアの「危険な関係」より抜粋 )
追記Ⅵ ( 映画「海辺のリア」 )
2017/7/19 8:47 by さくらんぼ
この映画「しあわせな人生の選択」は、映画「海辺のリア」と対比させて観ると面白いかもしれません。
「老いた愛犬トルーマン」と「認知症の父」。
両者は、親友と娘の相続分でもあったのです。
追記Ⅶ ( 女役と男役 )
2017/7/20 7:57 by さくらんぼ
たとえばLGBTのLには「ネコとタチ」と言って「女役と男役」があるようですが、Bにも同様の世界があるのなら、「フリアンが女役、トマスが男役」だと感じました。
フリアン:頭髪が濃い(女性ホルモンが多い)、スニーカーの底に赤ラインが入っている(この映画では女性の記号)、感情表現に優れる、繊細な感情を持つ、甘え上手、饒舌、大きな雄犬を飼っている(男性が好き)、逢いに来られた方。
トマス:頭髪が薄い(男性ホルモンが多い)、理性的、浮気者(遺伝子をばらまきたい性)、寡黙、逢いに来た方。
と言いますか、言語化困難な演技・演出の雰囲気も、そんな感じに作られていました。
追記Ⅷ ( 8パーセントを顧客に )
2017/7/20 8:32 by さくらんぼ
NHK朝ドラにも時々描かれていますが、日本でもつい数十年前まで、「女に教育は不要、家事をして夫に仕えれていればよい」みたいな世の中でした。しかし、それでは大きな損失でしたね。
先日どこかの新聞に、「日本のLGBTは、人口の8パーセントあり、繊細な感覚を持っている方が多い。企業はその感覚にアピールし、顧客に取り込むべく努力を開始した」と、そんな意味の記事がありました。8パーセントをお得意様に取り込めるか否かでは、企業イメージだけでなく、利益にも大きな違いが出てくるのです。
お金に換算するのは失礼な気がしないでもありませんが、とりあえず一歩前進。そんな時代になりました。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)
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