
#ネタバレ 映画「50年後のボクたちは」
「50年後のボクたちは」
2016年作品
そんな時代もあったねと
2017/9/26 8:58 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
14歳。クラスにお金持ちのマドンナがいるのです。彼女は夏休みに入るとクラスメイトを全員を呼んで、セレブな船上パーティーを開くのですが、その中に「目立たぬマイク」と、転校してきたばかりの「リトル寅さん的なチック」は入っていませんでした。マイクはマドンナに恋しているのに。
よりによって片思いの人から仲間はずれにされる怒りと哀しみ。私にも彼の気持ちが良く分かります。
マイクは家族ともうまくいっておらず寂しい夏休みになりそう。
そんな彼をチックはドライブに誘うのです。
「南へ行こう」と。
どこか映画「菊次郎の夏」を連想しますが、オマージュかどうかは現時点では分かりません。心が解放されるようなドライブの光景は、観ているだけでも楽しいです。
そして観終わった後には、ちゃんと甘酸っぱい想い出が残ります。
★★★★
追記 ( チックの秘めた哀しみ )
2017/9/26 9:16 by さくらんぼ
>14歳。… その中に「目立たぬマイク」と、転校してきたばかりの「リトル寅さん的なチック」は入っていませんでした。マイクはマドンナに恋しているのに。
前半、チックは女に関心なさげなマイクを「ゲイか!?」とからかいます。キッパリ「違う!」と言うマイク。おやっ、と思って観ていると、後半になってチックは自分がゲイである事を告白します。
ゲイのチックはマイクを異性として好きだったのですね。だから当初、冗談のふりをして探りを入れたのです。でも、残念ながらマイクはストレートでした。だからチックは友だちとしてつき合うことにしたのですね。ここにはLGBTの秘めた哀しみが描かれています。
追記Ⅱ ( これは「原子力発電」の映画 )
2017/9/26 10:01 by さくらんぼ
この映画にはエネルギーのエピソードがいくつも出てきます。青春の爆発的な生体エネルギー、ドライブ先で冷凍ピザを温める手段、ガス欠、風力発電、腹ペコに不味いもの無し、など。
この映画の深層は「原発」の話なのかもしれません。
チックのヘアスタイルが妙です。「おでこにあんパンをくっ付けた」ような髪形。アジアにはあんなヘアスタイルをする子どももいましたが、それよりも「ウラン235の原子核に中性子が一個くっ付いている状態」のように思います。(「原子力発電のしくみと安全性|中国電力」参照 )
ヤクザなチックは核分裂反応の記号なのかもしれません。
やがてチックが足を怪我して血を流します。その血も新しい中性子の記号であり、マイクがクルマの運転を手伝うようになる事が、さらなる核分裂反応の記号なのでしょう。
さらに旅の途中、ゴミ置き場で知り合った彼女とマイクは恋中になります。最初は性格的にもゴミみたいな女でしたが、水浴びをしてきれいな淑女になります。これは核燃料の再処理の記号でしょう。
そしてマイクは彼女にバス代を貸して旅立たせるのです。バス代が中性子の記号ですね。これは新たなる核分裂が起こった記号でしょうか。
追記Ⅲ ( マイクは日本の記号か )
2017/9/26 10:31 by さくらんぼ
マイクの家にはアルコール依存症の母と、浮気をしている父がいて、あまりうまくいっていません。
東洋的な置き物と、枯山水の庭、そして「Japan」と文字の入った、お気に入りのジャンパーを着たマイク。マイクの家は日本の記号でしょう。
そして映画の終わりには、家のプールにソファーだとかいろんなものを捨てて狂乱するのです。3.11を連想するがごとく。
映画のチラシに書いてあること。
「未来なんて、くそくらえ。」
「あの夏の日を、大人になってもずっと忘れないー」
「50年後のボクたちは」
ブラックで意味深ですね。
ちなみに原発が生まれて約50年だそうです。
追記Ⅳ ( 「50年後のボクたちは」 )
2017/9/26 10:41 by さくらんぼ
映画のラストは交通事故です。
幸い死人は出ませんでしたが怪我人が。チックは施設に入れられるのを恐れ一人逃亡、マイクは残り、警察でもチックをかばいました。でも、マイクは夏休み前とは違うキャラになって学校へ戻ってきました。
マイク(日本か)は3.11の原発事故後も原発を手放さずに運用を続けています。でも風景は違ってしまいました。
追記Ⅴ ( チェルノブイリ原発の事故 )
2017/9/26 13:53 by さくらんぼ
>さらに、この映画の深層は「原発」の話なのかもしれません。(追記Ⅱより)
この発想の元を付記しますと、チックがクルマでサトウキビ畑を走り回って遊んでいた時、マイクが「(倒したサトウキビで)名前を書けばGoogleアースで見えるはずだよ」と言ったのです。そうしたら後に「名前にアルファベットの〇〇を追加すると原発の名前になる」とナレーションも入ったのです。同様なシーンはもう一回ありました。だから、あ~これは原発の映画だなと思ったのです。
ちなみにチックはロシア人という設定ですが、「チェルノブイリ原発の事故」とも関係があると思います。たぶんそれはGoogleアースで見えるのではないでしょうか。
この映画、だからロシア人と日本人なのでしょう。
追記Ⅵ ( 「渚のアデリーヌ」 )
2017/9/26 14:09 by さくらんぼ
>さらに旅の途中、ゴミ置き場で知り合った彼女とマイクは恋中になります。最初は性格的にもゴミみたいな女でしたが、水浴びをしてきれいな淑女になります。これは核燃料の再処理の記号でしょう。(追記Ⅱより)
おじさん世代には懐かしい、リチャード・クレイダーマンの名曲「渚のアデリーヌ」が劇中で使われています。これはマイクがゴミ置き場で恋した女のテーマ曲だったのだと思います。
最初はカセットテープで聴いていましたが(カーステレオで)、テープが絡まって止まってしまいます。
後半、彼女が同乗すると、器用にテープをカセットに納め「聴かせて!」と差し出すのです。つまり「再処理」をした彼女のテーマと言うわけです。
ちなみに「渚のアデリーヌ」は日本のタイトルですが、監督はそれを承知だったのかもしれませんね。彼女は湖を妖精のようにヌードで泳ぎ、そして体を洗うのですから。
追記Ⅶ ( あの枯れ木は燃料棒か )
2017/9/26 14:23 by さくらんぼ
>やがてチックが足を怪我して血を流します。その血も新しい中性子の記号であり、マイクがクルマの運転を手伝うようになる事が、さらなる核分裂反応の記号なのでしょう。(追記Ⅱ)
これは(「上高地」のなんとか池にも似ている)枯れ木が沢山立っている池の、壊れかかった木製の橋を、クルマで渡ろうとしたときの話です。
途中、橋の床が抜けているので補修しようと二人は池に降りたのです。そしてあの顛末。
あの池と橋は壊れた原子炉、枯れ木(チックも)は燃料棒だったのでしょう。
追記Ⅷ ( ダブル・ミーニングの名言 )
2017/9/26 21:49 by さくらんぼ
映画の終わり、チックがマイクに言うのです。
「(セレブな)タチアナよりも、(ゴミ捨て場の)イザの方が(内面が)上等だ。(ゲイの)俺は、女に興味がないから良く分かる」と。
私はこれを聞いて「名言だ」と思いました。
そして、これはダブル・ミーニングだったのかもしれません。
再処理したばかりのイザの方が、たくさんのクラスメイトと船上パーティーでエネルギーの放出をしているタチアナよりも、上等なウラン235だという意味でもあるのでしょう。
そのとき船上パーティーは、クルマで渡ろうとした池と同じく、水に関係があるから、原子炉の事だったのでしょう。
追記Ⅸ ( チックが“ささやいた”言葉と… )
2017/9/27 8:31 by さくらんぼ
チックが学校で、イジメっ子から“からかわれる”シーンがありました。そのときチックはイジメっ子に近づき、耳元で何かささやきます。
一発で黙るイジメっ子。
チックが何をささやいたのかは明かされていませんが、私はこう思います。彼がウラン235(核物質)なら、こう言ったのかもしれません。
「あんまり俺を怒らせるなよ。原子爆弾みたいに怖いぞ」と。ウラン235は原発から原子爆弾へ「転用」できるのです。
ならば、チックがゲイに設定されているのも分かるような気がします。
これはゲイの方を侮辱したり差別したりするものではありません。そのつもりでお読み頂きたいのですが …
チックの外見は男性です。でも女性に興味はなく、男性を異性として愛せるわけです。なんと表現するのが適当なのか分かりませんが、この「立ち位置の変化(転用)」でも核物質を表現できるからなのでしょう。
追記11 ( 悪友のひと言では片付けられない )
2017/9/27 8:55 by さくらんぼ
マイクは夏休みに別人のように変化してしまいました。まるで映画「ヒッチャー」(1986年)に出てきた主人公のようです。
きっと真面目な大人から見れば、「悪友に染まってしまった!」となるのでしょう。しかしマイクから見れば悪友のひと言では片付けられないのです。映画の観客もそれを感じ取っているはず。
監督はこの「両面性」の提示をもって映画を締めくくっているのだと思います。それは3.11で傷つき、原発のリスクを身をもって知りながら、それでもそれを手放せない日本の姿でもあります。
本当は、マイクがチックと落ちあえる場所として信じた風力発電の風車の元が、一つの理想郷だと感じつつも。
追記12 ( 風力発電と質素な家族 )
2017/9/27 9:13 by さくらんぼ
マイクとチックはスーパーマーケットらしき立て看板を見つけ、村人に場所を尋ねますが、「そこでは買わない」と言うだけで場所を教えてくれません。
あれは何だったのでしょう。
たぶん、スーパーは大量消費社会の象徴的記号であり、村人が買っていたのは慎ましやかな生活の記号である個人商店なのでしょう。
そして、その慎ましやかな生活をしている村人の記号として、母と六人の子どもたちの家庭が出てくるのでしょう。主人公たちは、彼女たちと一回質素な夕食をしただけなのですが、母親の賢さがよく理解できたと思います。
あの、爽やかな世界観が風力発電のものでしょうね。
追記13 ( 「黄金の中庸」 )
2017/9/27 11:41 by さくらんぼ
>監督はこの「両面性」の提示をもって映画を締めくくっているのだと思います。それは3.11で傷つき、原発のリスクを身をもって知りながら、それでもそれを手放せない日本の姿でもあります。(追記11より)
アナログの腕時計を使って「南」の方角を知る方法が出てきました。私も子供のころに何かで知ったはずでしたが、記憶はおぼろになっていました。
それは、「 短針を太陽の方向に向けると、短針と長針の中央が『南』になる」というものです( 例外もあるようですから、詳しくはネットなどで見てください)。
このエピソードは何なのでしょう。
たぶんそれは、チックとマイク(夏休み前)の中央、原発と風力発電などの中央に、答えはあると監督が言っているのでしょう。
いわゆる「黄金の中庸」ですね。
追記14 ( なぜ父はジャンプして殴ったのか )
2017/9/28 9:42 by さくらんぼ
映画の終わり近く、裁判所らしきところから出てきたマイクが父から殴られるシーンがあります。
その父の殴り方がまたエキセントリックなのです。母とマイクの後ろを歩いていた父は、いきなり駆け寄り、ジャンプして上からマイクの頭を一発殴るのです。そして、そのまま何ごとも無かったように立ち去ります。頭を押さえて地面に転がるマイク。
男親ですから息子を殴りたくなる事もあるでしょう。でも、プロレスのパフォーマンスみたいなあれは普通ではありません。あきらかに何か監督の意図が隠されています。
それは何でしょう。私は、あの時のパンチは「中性子」アタックのダメ押しだと思います。顔ではなく頭を殴る必要があったのです。だからジャンプせざるを得なくなり、あのような演出になったのでしょう。
苦労のかいあって、あれでマイクの頭にも、チックの頭に付いているアンパンと同じようなタンコブが出来たのです。
追記15 ( 人生に必要なことはデザートが教えてくれた )
2017/9/28 21:57 by さくらんぼ
チックと旅に出る前のマイクは、一人部屋にこもってTVのコンバットゲームに夢中でした。若さからくるエネルギーに溢れていたのですね。
チックとの旅はそのエネルギーをTVから現実社会へ引きだしてくれました。ネットからリアルへというわけです。
しかし、暴力こそふるいませんでしたが、盗難車を無免許運転するなど、褒められたものではありませんでしたし、「世の中のルールを無視した力づくのもの」でした。ひと言で言えば不良です。
でも、そんな彼らは、風車の近くに住んでいた母子家庭の7人家族に出会うのです。その夕食のエピソードが重要です。食後のデザート(自家製ヨーグルトみたい)が人数分出てきますが、カップの大きさが大小まちまちなのです。
二人はさっそく一番大きなカップに手を延ばしますが、母親にたしなめられます。この家のルールで「母が出したクイズに答えられた人から、順に好きなカップを選べる」ことになっていたのです。
案の定、二人は自分より年下の子どもたちにまったく勝てません。最後に残ったぐい呑みみたいに小さなカップになってしまいました。
彼らは年上なのに恥ずかしいと思ったことでしょう。「人間恥をかいた事は一生忘れないもの」です。この体験は二人に、「世の中はルールと頭で渡るもの」だとしっかり教えれくれたはず。
ここらあたりは、映画「最強のふたり」で、障害者を介助する黒人青年が、車いすの経営者から帝王学を学び、「頭で稼ぐ」事を知るエピソードにも似ています。
そしてそれは、「ウラン235は原子爆弾にするのではなく、原子炉で発電に使うものだ」ということにも繋がるのでしょう。
追記16 ( 「アウフヘーベン」 )
2017/9/29 8:33 by さくらんぼ
>でも、そんな彼らは、風車の近くに住んでいた母子家庭の7人家族に出会うのです。その夕食のエピソードが重要です。食後のデザート(自家製ヨーグルトみたい)が人数分出てきますが、カップの大きさが大小まちまちなのです。(追記15より)
ちなみに、そのヨーグルトらしきものは、ぜんぶ「日の丸弁当」のような体裁でした。ここにも「ウラン235にくっついた中性子」が記号化されています(大きなカップには中性子もたくさん入っていました)。
ところで、最近偉い方が「アウフヘーベン」とか言ったらしいです。
無学な私には意味不明でしたが、9/27朝日新聞(朝)33面に一橋大学教授の話が載っており、それによると「花が枯れて種ができる。花だった時の姿は否定されているが、結果的に種の中に花の要素がとどまっているというイメージ」とか。
ならば「追記15」に書いたエピソードは「アウフヘーベン」なのでしょうか。
追記17 ( 神が導いた目的地 )
2017/9/29 11:41 by さくらんぼ
キリスト教において数字の「7」は意味あるもののようです。「天地創造の7日間」とか「聖母の七つの悲しみと七つの喜び」など。東洋にも「竹林の七賢人」などがあります。
この映画でマイクとチックが夕ご飯を御馳走になった「追記15」のエピソードも、「妖精のような子どもたちのいる、質素で不思議な7人家族の母子家庭」でした。
この映画は、二人の少年が「あの7人家族と、一人の少女に出会うための旅」だったのかもしれません。少女を家族の一員にしなかったのは、住所が分かると再会が容易になる、からでもあるのでしょう。
追記18 ( 乳房の意味は )
2017/9/29 21:27 by さくらんぼ
>さらに旅の途中、ゴミ置き場で知り合った彼女とマイクは恋中になります。最初は性格的にもゴミみたいな女でしたが、水浴びをしてきれいな淑女になります。これは核燃料の再処理の記号でしょう。(追記Ⅱより)
ゴミ捨て場の彼女はイザと言います。イザたち3人はすっ裸で水浴びをして体を洗いました。チックはゲイだから良いのですが、マイクには刺激的。
さらに、その後も乳房を隠さずにいるのです。幸と言うか不幸にもと言うべきか、長い髪がブラジャーの役目をしてはいますが。
でも普通は、タオルを巻くとか、Tシャツを着るとか、するでしょうに、まったく気にもとめていません。それでいて、いやらしい感じもしません。おじさんの常識では不思議なシーンです。
私の胸にとげのように刺さったあのシーンは何でしょう。
私はやっぱり「二つのコブ」なのだと思います。中性子の。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)