#ネタバレ 映画「ヴェルサイユの宮廷庭師」
「ヴェルサイユの宮廷庭師」
2015年作品
傷ついた者は子宮で再生する
2015/10/16 7:04 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
映画「わたしに会うまでの1600キロ」に、私は「人と暮らすために一人になる 」とタイトルをつけました。
この映画「ヴェルサイユの宮廷庭師」も詰まるところ同じことを、違う手法で描いていたのだと思います。
映画でも語られていましたが、確か当時の宮殿には2,000人が暮らしていて、原則として外出はできなかったのです。それは小さなコミュニティであり、全員がお互いのことを知っていました。
でも、誰しも時には一人になりたい時があるものです。
それも、ただ一人になるだけならトイレにこもればよいのですが、メンタルを癒すために一人になるわけですので、それに相応しい舞台装置が必要になるのです。
そのために、ある人は1,600キロのトレッキングに出るし、ある人はお遍路に行く。
また、何かのレビューにも書きましたが、最近、私に忌引休暇がありまして、そのとき、お通夜や、葬儀の時間を除けば、一人の夜には、AKB48みたいなアイドルを眺めているのが癒されました。老いと死の対極にある、若さと生命力の象徴でもあるアイドルの音楽を、ひとりぼっちで、静かに眺めているのが癒しだったのです。
一番耐えられなかったのは病院で身内を看取った深夜に帰宅し、眠れないので、ラジオをかけたら、ちょうどビギンさんの「ハンドル」が流れてきた時です。客観的にはとても優しい名曲だと思うのですが、当時は、その柔らかさが苦しすぎて、思わずラジオを切りました。
これは「本物の砂漠の中では、喜多郎さんの名曲『シルクロード』は聴けない」と言われるのと同じ理屈でしょう。
主人公の「女性庭師サビーヌ」は夫の不倫騒動で子供を亡くしていました。無意識に、その哀しみを癒す場所として、あの庭を設計していたのです。彼女にとっての、それがAKB。
映画のラストショットでその秘密が語られます。
広々とした他の庭とは違い、木々に囲まれた、円形状の空間で、水も流れていますし、見えない場所からBGMの聴こえてきます。あれは子宮の記号であり、秘密の花園なのでしょう。傷ついた人はあそこで再生するのです。
「野外舞踏場『舞踏の間』」と名付けられていますが、時間によって、文字通り舞踏会の喧騒も、OFFタイムのパワー感のある静寂や、子宮感もあり、再生のためのパワースポットとしての役目が期待できそうです。
従来の宮殿の庭は、オープンな空間であり、子宮ではなく外界ですから、相応しくなかったのですね。
王妃を亡くして悲しんで「ひとりになりたい」と言っていた王様が気にいられたのは当然なのでしょう。
★★★
追記 ( 二つの映画に観る「疲れ」の正体 )
2015/10/17 18:01 by さくらんぼ
>映画「わたしに会うまでの1600キロ」に、私は「人と暮らすために一人になる 」とタイトルをつけました。
>この映画「ヴェルサイユの宮廷庭師」も詰まるところ同じことを、違う手法で描いていたのだと思います。
上記、二つの映画は、それぞれアメリカとイギリス映画です。
アメリカ映画はストレートに、イギリス映画はエレガントにこそ描いていますが、その映画たちが、「何かから、一時的に逃げだしてでも、再生したい」という、奇しくも同じような主題を持っているというのは、何か、わけがあるのだと思います。
その「時代の空気」とは、「いつ終わるともしれない戦争疲れ」だったのかもしれません。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)