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#ネタバレ 映画 「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬 」
「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」
欠点も愛される幸福
2012-02-01 10:45byさくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
『 就職活動で複数の会社から内定を手にする学生を「内定ゲッター」と呼ぶそうだ。その一方で卒業間際まで就職先探しに奔走する学生がいる。自己PRの書き方に面接の想定問答、そうした型にはまった技術とは別の鍵が道を分ける。近著「世代論のワナ」でそう説くのは人材育成コンサルタントの山本直人氏だ。
鍵の1つが親。内定ゲッターや優秀な若手社員は皆、伸びやか、その人柄は親が子に過度のダメだし、つまり欠点の指摘をせず信頼して育てた結果だとみる。子を信じるには親に自信がいる。自信がある親から自信に満ちた子が巣立つ。こうして目に見えない「自信の相続」が進行中だと山本氏。』
( 日本経済新聞 2012.1.30 朝刊のコラム「春秋」より抜粋転記 )
新入社員の中には、ときどき本当に明るく伸びやかなうえに優秀な人がいて、どうやって育てたらあんな風になるのだろうと羨ましくなることがありました。さぞかし厳しい躾をされた良家の子供さんかと思いきや、あれは、このコラムの様に、欠点の指摘をせず信頼して育てた結果、だったのかもしれません。
それでは、逆に厳しく育てたら、どうなるのでしょうか。
Aさんという架空の人物を通してそれをシュミレーションしてみます。
Aさんは厳しい親から、いつもダメな子扱い、されて育ちました。もちろん父はせっせと小金を稼ぎ、母はこまごまとAさんの世話をしました。だから両親は親としての義務は果たしたつもりです。しかし、お金=愛情ではない、ことは言うまでもありませんし、母のしたことも、実は家政婦さん(ミタさんはどうか知りませんが)と、あまりかわりません。
つまり、ここにあるのは厳しさだけで、親子関係にぜひとも必要な暖かい愛情の交流がありませんでした。だいたい子供と言うものは、大人から見れば欠点だらけの存在です。それが子供の普通の姿なのだという常識、を忘れた育児をしてはいけませんでした。
やがてAさんも青年になり就職します。ところが会社でも先輩からダメ社員だといじめられ始めたのです。子供の頃に他人は脅威であると事実上刷り込まれてしまったAさんは、そのトラウマで、人からは怯えて逃げることが心の基本バイアスになっていたのです。だから人相手の仕事は臆病になりました。
又、先輩に上手に甘えて可愛がってもらえる人間関係も作れないし、必要な仕事上の質問さえも躊躇してなかなか出来ませんでした。さらに、こんな基本バイアスの中では集中力も低下して、そのため、仕事が遅かったり、なかなか覚えられなかったり、ミスを多発するなども起こり、不幸にも仕事ができない人間の烙印を押されてしまったのです。
さらには、女性から愛を告げられても、自分はどうせ捨てられる、と最初から背を向けてしまう始末。しかし、その根本原因までは、本人も含め、誰も気づかないのです。
でも、四面楚歌だと思ったその会社にも、Aさんを欠点と共に受容してくれる先輩が居たのでした。しばらく遠まわしに観察していた先輩の何人かが、孤立していたAさんに暖かい手をさしのべました。Aさんは大人になって初めて、人の温かい愛を知ったのです。血の通った人間に初めて出会った気がしたのでした。
こんな風に、ダメだしをされ続けて育てられたAさんは、運良く就職できても、前途多難の様です。
前置きが長くなりましたが、映画の話しに入ります。
主人公のジョニーは落ちこぼれ諜報員ですが、彼はどうしてあんな風なのでしょうか。
両親の育児が問題だったのでしょうか。
どうも、それとは違うような気がします。
もしかしたら映画「ラースと、その彼女」に出てくる、知的障害があって、体は大人でも心は子供であるラースと、似ているのではないでしょうか。あのラースが幸か不幸か諜報員になってしまった悲喜劇、を描いたのが、この映画「ジョニー・イングリッシュ」だったのかもしれません。
映画の冒頭で修行のシーンが出てくる通り、ジョニー本人も大変に悩んでいたことは確かです。諜報員という仕事柄、うかつに悩み事を他人に相談することもできないでしょうし、簡単に転職することも考えられない。あとは一人で聖書にすがるか、仏教をのぞいてみるか・・・
そしてジョニーは修行僧になりました。苦労して、そこで得た悟りとは「欠点を受け入れること」でした。
その映画の冒頭でジョニーは男子の急所(欠点)を鍛えています。
ところが、その急所こそ女子が愛する重要パーツのひとつだったなのですね。
欠点と愛すべき場所は表裏一体だったのです。
よく考えると、なにかピンク系ですね。
ちょっとHで極端なモチーフの一片でありましたが、ここが主題かもしれません。
やがて映画の後半になり、ジョニーの欠点を、こちらはパーツだけではなく、性格上の欠点も含めて愛してくれる美人の精神分析医が現れてジョニーは救われます。
相手は精神分析のプロですから、どうせ自分は捨てられる、などと背を向ける必要はなさそうですし、仕事上での悩み事や、ミスをしたときのフォローまで百人力の援軍を得たに等しいのです。さっそくラストでは女王陛下まで説得してしまったようです。まさに地上に降りた女神の様な存在ですね。余談ですが、女王陛下と敵スパイの後ろ姿がそっくりだったのも、長所と欠点が表裏一体だというモチーフの一片だったのかもしれません。
ところで、なぜ「東芝」が出てきたのでしょう。良く解りません。しかし主題を当てはめて解釈すると、およそ世界的な諜報活動に役立つとは思えない今の日本の、それも、それとは無関係な電気会社が秘密窓口になっていたというのは、無関係を、逆に隠れみの(長所)に利用しているモチーフの一片かもしれません。
又、エンドロールに出てくる、ジョニーが主夫をしているシーンも、精神分析医の「もう、これからは私が働くから、ジョニーはお家で主夫しててね!」という話しだったのかもしれません。これでジョニーという欠点も精神分析医の、逆の内助の功、となり、妻の諜報活動に貢献できるはずです。
こんなことを考えていたせいではありませんが、あまり笑えない映画でした。もしかしたらドタバタ喜劇ではないのかもしれません。まだチャップリン映画と肩を並べるには何かが足りない気がします。
★★★
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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