#ネタバレ 映画「轢き逃げ -最高の最悪な日-」
「轢き逃げ -最高の最悪な日-」
2019年作品
まさに「事実は小説よりも…」
2019/5/22 22:42 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)
推敲の上手な作品です。
そして、描かれているのは二段構えのサスペンス。
①刑事が見つけた事実の先に、②被害者の父が見つけた真実が現れます。
被害者の遺族は①だけでは満足できないのでしょうね。(専門的なことは知りませんが)たぶん裁判員として参加することは出来ないでしょうし。
でも、②まで知らないと遺族は癒されないのでしょう。
ニュースなどで「どうして私の娘がこんな目に遭わなければいけないのか。それが知りたい」などと話すご遺族がいますが、これは、遺族の無念を描いた、刺さる佳作です。
★★★★☆
追記 ( 父の怒り )
2019/5/23 8:18 by さくらんぼ
>ニュースなどで「どうして私の娘がこんな目に遭わなければいけないのか。それが知りたい」などと話すご遺族がいますが、これは、遺族の無念を描いた、刺さる佳作です。(本文より)
何につけ、昔から私は、「他人より徳はしなくてもよいけれど、他人より損はしたくない」と思っていました。
他人より損をすると、バカにされたような気分にもなるからです。
この映画「轢き逃げ -最高の最悪な日-」の中で、被害者の父・時山光央(水谷豊さん)の家へ、轢き逃げをした社員の代わりに謝罪に訪れた上司たちに向かって、父が「バカにするな!」と罵声を浴びせるシーンがありました。
それを見て私は、「自分の家族だけ損をしてしまった理不尽に対する怒り」のような気がしたのです。
だから、「その因縁まで」真相究明しなければ、癒されない。
ここのところを置き去りにしては、被害者家族の時計は、止まったままになってしまうのです。
追記Ⅱ ( 友の怒り )
2019/5/23 8:44 by さくらんぼ
轢き逃げをしたのは、大会社副社長の娘・白河早苗との挙式打合せに急ぐ宗方秀一でした。助手席には同僚で学生時代からの親友である森田輝が同乗していました。轢き逃げは、宗方秀一の混乱に乗じて、森田輝がけしかけた事だったのです。「(交通事故で)ここで人生終わりにしてはいけない」と。この段階で、すでに、まともではありません。
しかし、この事件、真相は、森田輝が仕組んだ罠だったのです。
もちろん森田輝に殺意まではありませんでした。しかし、学生時代から優秀で、皆に可愛がられ、会社でも出世頭の宗方秀一に対して、憧れと同時に妬みも感じていたのです。だから、ちょっと困らせてやろうとした。「エリートの困った顔が観たかった」。だから、あろうことか(合コンで知り合ったばかりの)自分の恋人を騙して、悪戯を仕掛けたのです。
でも、「急ブレーキで止まる予定」だったのが「轢いてしまった」。
映画のラスト近く、警察に捕まり、取り調べを受ける森田輝が、学生時代からの宗方秀一との「憧れと妬み」を語ります。そして、刑事が呆れ顔をすると、「バカにするな!」と大声を上げ、猛然とつかみかかったのでした。
追記Ⅲ ( 一線を越えた二人 )
2019/5/23 10:24 by さくらんぼ
「父の怒り」、「友の怒り」。
両者とも「バカにされた」と思っていました。
そして友は悪戯をしようとして、想定外の事が起き、轢き逃げをしてしまったのです。
父は、一人で真相究明しようとし、森田輝がおかしいと気づき、彼の家の窓ガラスを割って不法侵入したのです。そこで証拠を見つけましたが、帰ってきた森田輝に見つかり、取っ組み合いの末、ベランダ二階から、二人もつれて落下したのです。
「バカにされた」と思った事で、父もまた、一線を越えて不法行為を働いてしまいました。
追記Ⅳ ( 割れたガラス )
2019/5/23 14:50 by さくらんぼ
もし、この事故が無ければ、宗方秀一は、将来、社長になる可能性が大でした。そして親友である森田輝は、重役クラスには、してもらっていたでしょう。順風満帆の人生設計です。
しかし、事故が公になれば、縁談も含め、逆にその夢が消える可能性が大になります。
それを想像した二人は、加害者であるにもかかわらず、自分たちは「娘からバカにされた!」、自分たちは被害者だと感じたのです。それが「こんなことで、人生終わりにしてはいけない」というセリフになりました。
( 追記Ⅱには「ここで…」と書きましたが、「こんなことで…」だったように思います。仮に前者であっても、二人の気持ちを意訳すると上記の通りだったでしょう。 )
加害者であるのに、「バカにされた!」と被害者感情をもち、轢いた娘に反感を抱く倒錯、それが、二人に一線を越えさせました。
この映画の主題は、「バカにされると、人は一線を越える」なのかもしれません。その一線越えの記号が、割れたスマホの画面、不法侵入のために割った窓ガラス。かじったメガネなのでしょう。そして、割れたガラスは元には戻りません。
追記Ⅴ ( 刑務官の手 )
2019/5/24 9:33 by さくらんぼ
轢き逃げをする時、クルマはUターンして走り去りましたが、その時、大の字になって倒れていた女性の片腕を、再度轢いていったのです。跳ねるように、ぴくんと動く遺体。
大の字になっていたのは「片腕を轢かせる演出」のためだったのでしょう。
この伏線がどこへ繋がるのかと言えば、一つは警察の面会室。
宗方秀一の元へ、力になりたいと、あしげく通う婚約者・白河早苗。しかし、宗方秀一は「別れよう…」と言い放ったのです。
この男心は健さん流であり、映画「居眠り磐音」の主人公・磐音が、許嫁・奈緒の前から消えた理由にもつながり、理解できるものです。両者とも「迷惑をかけたくない」という気持ちがありました。
しかし、女心から言えば、「好きな人が苦しんでいる時こそ、側に居て慰めてあげたい」と思うものらしい。
だから、女心を傷つける(バカにする)発言だったのです。一瞬の沈黙の後、白河早苗は「わかりました」と言いました。
その直前の事、面会室の片隅で二人の話を聞いていた刑務官が、すっと立ち上がり、宗方秀一の後ろに立ったのです。時間切れだと思って、急いで「別れよう…」と言う宗方秀一。
しかし私は、刑務官が時間切れに乗じて、「そんな話はするな」と近づいたように感じました。刑務官には、第三者の視点から、二人の気持ちが見えていたのです。だから、男の発言を止めたかった。でも、急かされた(バカにされた)と誤解した男は言ってしまった。
( 刑務官の演技もスゴイ。顔も見せず、セリフもなく、ただ椅子から立ち上がって、近づいてくるだけで、語ったのです。)
その「別れの言葉」を聞いた時の、刑務官の気持ちはどうだったでしょう。
刑務官は、なぐさめるように、静かに宗方秀一の肩に片手を置きました。
追記Ⅵ ( 母の手 )
2019/5/24 9:53 by さくらんぼ
>大の字になっていたのは「片腕を轢かせる演出」のためだったのでしょう。
>この伏線がどこへ繋がるのかと言えば、一つは警察の面会室。(追記Ⅴより)
もう一つは、映画のラストです。
別れ話からしばらくの後、そろそろ事故現場から花束を片付けようとする被害者の母。現場にはその旨を書いた挨拶状も貼って。
そのとき、最後の花束を持った白河早苗が現れたのです。
母は見晴らしの良いカフェへ誘いました。
あらためて謝罪する白河早苗。
「あなたは何も悪くないのよ」と言う母。
その時、白河早苗は、宗方秀一から来た、「苦しむほどに事件を悔いる手紙」を見せるのです。それを読む母、涙を流す白河早苗。
( ちなみに映画「居眠り磐音」には、逆に許嫁から男に当てた手紙が出てきました。逃げた男に対する万感の思いがこもった。)
母はテーブルの上の彼女の手に、優しく自分の手を重ねました。
追記Ⅶ ( 手嶌葵さんの声 )
2019/5/26 8:23 by さくらんぼ
エンディングテーマが、映画の余韻に沿った、とても良い歌だと思いました。頭に浮かんだのが手嶌葵さん。
でも、声質が少し違うような…
私もCDを持っていますが、彼女の声の特質である、ウイスパーボイスの「無声音」が少ないのです。
でも、エンドロールに手嶌葵さんの名前を見つけました。
「無声音」が少なかったのは、映画館のオーディオシステムが、わが家のそれとは違う音響特性を持っていたからでしょうか。
映画館の音はセリフを聴かせるために、中音域に重点を置いているはずで、(家庭のオーディオのようには)高音がフラットに伸びていないのでしょう。さらに分解能もダウンしているのかも。
その為に(ぶらさげた画用紙を、カミソリの刃で切っていくような)デリケートな無声音が、そがれてしまったのかもしれません。
追記
そんなことは無いと思いますが、関係者の方は、この文章を読んで、映画館の高音を強めようとはしないでください。
映画の音は音楽だけではありません。
高音を丸めて(少なめにして)いるぐらいでちょうど良いのです。耳障りになっては疲れてしまいますから。
追記Ⅷ ( カラスに轢かれた日 )
2019/5/26 9:02 by さくらんぼ
先日、公園を散歩していて、たくさんのハトが休憩しているところを通りぬけようとした瞬間、頭上を一羽のカラスが、「カァ、カァ、カァ」と鳴きながら斜め横に通過しました。
すると地面のハトが一斉に飛び立ったのです。
はたしてハトは、私に警戒して飛び立ったのか、それともカラスにだったのか。
先日もお話ししたように、私は一部の動物には、人のオーラが見えて、その色で人の心を読んでいると思っています。
しかし、あの時の私の心は平常心であり、ハトに逃げられるような状態ではありませんでした。するとカラスに驚いたせいなのか。
ちなみに、ネットで見たところでは、カラスの「カァ、カァ、カァ」は、縄張りを主張しているようです。濁った声になると、さらに感情的になっているとか。ちなみに、カラスは私に縄張りを主張したのでしょうか。
私は、しばらくはハトとカラスの気持ちになって歩いていました。悩みはどこで振りかかってくるのか分からないものです。
追記Ⅸ ( 無理を承知で言えば )
2019/12/21 22:52 by さくらんぼ
ケン・ローチ監督の映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」と、映画「家族を想うとき」のクオリティは、水谷豊監督の映画「轢き逃げ -最高の最悪な日-」を連想させました。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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