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#ネタバレ 映画「だれかの木琴」
「だれかの木琴」
2016年作品
メールという火遊びもある
2016/9/14 10:14 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
今さらですがフルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第一番を聴いています。さすがに私が生まれた頃の古い録音のせいか、普段気に入っているミニコンポでは生気がない音がします。
それで今日は真空管で聴いてみたところ、飛び跳ねるように血の通った、浸透力のある、元気の良い音が出てきました。古い録音には真空管が合うようです。
「しなやかさと体温、血の気の量」から、印象的には「トランジスタは男性名詞であり、真空管は女性名詞」だと思いました。
ところで映画「だれかの木琴」。
映画の最初に、青年が「早朝サイクリング」に出かけるシーンがあります。ジョギングの代わりですね。そして、帰宅してからキチンと味噌汁の朝食を作ります。一人暮らしのまじめそうな好青年だと思ったら、二階の彼女を呼ぶのです。
さっそく降りてきた彼女はロリータファッションに身を包んだ美人。
彼女は妻ではなさそうです。ということは昨日はお泊りの日で、とうぜんHも有ったであろうことは容易に想像できます。にもかかわらず彼は翌朝「女性名詞である自転車」に乗り「サイクリングという浮気」をするのです。そして、彼女もロリータファッションで満たされぬ心を埋めているのです。
愛する人が一人(物が一つ)だけで100%の満足を感じられるのならそれで幸せですが、もし50%しか埋めてくれなければ残りの50%は他でなんとかしようとするのが人間です。それが自転車であったり、ロリータファッションであったり、あるいは朝食のお味噌汁かもしれません。オーディオも音楽もそうですね。CDを50枚所蔵している人は、単純計算で1枚に1%の幸福を期待していることになります。異性の友人・知人を5人持っているのなら、1人当たり平均10パーセントの期待値です。
でも人間はロボットではありません。何かのはずみで平均10パーセントのはずが、30%になったりします。そうすると相手が困惑します。それが今回の物語。引っ越してきたばかりで友達もいない女性でしたからね。
そして交友にメールは重要な手段になりますが、ときには直接会ったり電話をしたりするよりも「相手に深く刺さる」ことがあるので要注意です。ライン漬けになっている青少年は人間関係に疲弊しているとか聞きますが、それもうなづけます。そんな青少年は物を買うときでも人ではなく自販機が好きなのだとか。寂しいというか、可哀そうな話です。
これは観客に媚びない凛とした映画でした。私は好きですよ。
★★★★
追記 ( 深層的には「スマホ」の話 )
2016/9/14 21:55 by さくらんぼ
映画「モンタナの風に抱かれて」は、表面的には「ホースウィスパラーの話」ですが、深層的には「電話は哀しみが内在する装置」という話でした。
ならばこの映画「だれかの木琴」は、表面的には「美容院から始まるストーカーの話」ですが、深層的には「スマホの話(メール、ラインにあるデメリットの話)」だと思います。
小夜子(常盤貴子さん)がベッドで夫の光太郎(勝村政信さん)から胸を愛撫されている時、同時に、小夜子の髪を別人の手が愛撫(小夜子の妄想)していました。
又、あるシーンでは、電車のベンチシートに座った人たちが皆スマホを操作している中に、涙をこらえながら位牌を撫ぜている人が一人混じっていました。
共通点は、みんな「心を込めて指先を使っています」。
では、それは何処へ集束するのか。
ラスト近く、ストーカー騒ぎが落ち着き、夫と仲直りの会話をする小夜子。しかし、隣同士に座った夫婦はスマホのメールで会話して心を通わせたのです。
この映画の、いろんな「ゆびでの愛撫(操作)」は「スマホ」に集束したのです。
これが「スマホの話」だと思うと、中学生の娘が大人のストーカー話に積極的に絡んでくる理由も解ろうというものです。
追記Ⅱ ( 母・娘の恋バトル )
2016/9/14 22:16 by さくらんぼ
母の話で興味を持った中学生の娘・かんな(木村美言さん)は、母と同じ美容院に予約の電話を入れます。美容院では名字が同じなので、母だと誤解し、母の担当だった美容師、山田海斗(池松壮亮さん)に付けました。
かくして母・娘は一人の男を奪い合う関係になったのです。
そして、この勝負は娘が勝つのです。
家で大騒ぎをして父にも電話し、美容師にも「母と別れてくれ!」との手紙を出して(スマホが欲しいと父にねだっても、まだ買ってもらえないから)、力技で別れさせたあげく、街で偶然再会した美容師に、自分だけ「大人になったら、また行くね!」と、ツバを付けておくのを忘れないのでした。あきれる美容師。
中学生だから計算ずくではなく無意識のバトルだったのでしょうが、映画「トップガン」の主人公の名セリフを思い出させます。「直感で操縦するんだ。考えていたら負ける」。
追記Ⅲ ( 「木琴」の意味 )
2016/9/16 9:44 by さくらんぼ
映画の冒頭に「メゾネットタイプのアパート」の全景が映しだされます。規則正しく並んだ「木琴」みたいな二階建ての玄関や部屋。あれが「だれかの木琴」なのでしょう。つまり「木琴」とは「他所にある家・人」なのです。
主人公・小夜子(常盤貴子さん)が子供の頃、自宅二階で木琴を練習した話が語られます。頭の中にあるメロディー通りに木琴を叩こうとするのですが、よく間違えます。小夜子はあの頃から満たされなくて「自分の音を集めたがっていた」のです。これも「インナーチャイルドの映画」ですね。
追記Ⅳ ( まとめ )
2016/9/16 10:00 by さくらんぼ
昨日の朝日新聞に「空気を読んではいけない」(ONE FC ライト級王者・青木真也 著)という本の広告がありました。
内容の一節が紹介されていましたが、そこに「欲望が散らかっている人間は、永遠に何も手にすることができない。」とありました。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」も思い出しますが、映画「だれかの木琴」も、詰まるところ、そんな事を言っていたのでしょう。
追記Ⅴ ( 映画「イニシエーション・ラブ」 )
2016/9/18 22:11 by さくらんぼ
映画「だれかの木琴」のラストには、ソファーで仮眠をとる小夜子の上に、毛布がひとりでに乗ってくる幻想的なシーンがあります。まるで誰か優しい恋人が掛けてくれるように。
「 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 」
( 三好達治 「雪」より )
ちょうどこんな感じ。
あの毛布はなんだったのでしょうか。
映画「イニシエーション・ラブ」のエンディングテーマにタンゴのような曲がかかります。あのもの哀しくも温かなメロディーは、今はもう青春時代の傷心から距離を置き、郷愁のごとく甘酸っぱく感じられるようになってしまった大人の心でしょうか。青春映画のエンディングにふさわしい選曲です。
毛布を音楽で表現すると、どこか、あのメロディーと重なるように思いました。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)