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#ネタバレ 映画 「春が来れば」

「春が来れば」
2004年作品
2006/4/13 21:37 by 未登録ユーザ さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

売れない音楽家ヒョヌ。

彼が道を歩いていると、露天商のおばさんに呼び止められました。

キムチか何かでしょうか、おばさんに勧められるままに一口ほおばったヒョヌは、あまりの美味しさに買いたいと思いましたが、お金が足りません。でも、おばさんは、「お金は今度でいいよ」と言って売ってくれました。まず美味しさを存分に味わってから、舌代は後でいいんだと、そんな考えもあった様です。

おばさんが作ったキムチの美味しさは、おばさんの手を離れて、見知らぬヒョヌを感動させました。おばさんの作り出した感動は静かに他人の心を暖めました。お金を払うまでの何日間は、少なくともヒョヌの心の中におばさんは生き続けます。

このあとヒョヌは、おばさんを単なる露天商としてだけでなく、何か・・・そう、ファンの一人として、ながめるような気分になっていくのです。

そういえばヒョヌ自身も、学校の生徒にラーメンをご馳走するシーンが出てきましたね。

ホームレスが自分と同じようにラーメンをすするシーンをTVで見て、思わず苦笑いするシーンもありました。そこには予期せぬ一体感がありました。

もしかしたら、この映画、音楽の心を「会食」に託していたのかも知れません。売れない音楽家ヒョヌの生き方、露天商のおばさんの生き方、それ自体が「音楽」だったのでしょうか。

これは「音楽的な生き方」を描いた、「音の無い音楽映画」だったのでしょうか。音楽家は素晴らしい。しかし音楽の出来ない人でも、音楽家の様に、人々の心に、春の日溜りの様なぬくもりを与えることが出来るのです。

追記 
2006/4/22 6:25 by 未登録ユーザさくらんぼ

キムチのエピソードはもう一つ出来てました。

ヒョヌが生徒を自宅に招き、具が何も入っていないラーメンをご馳走した時、生徒は「キムチが無いと、もの足りない」と言いました。

それに対しヒョヌが反論します。

「ラーメンはオカズが無くても美味しく食べられるんだ!」って。でも、すぐに思いなおしました。「やっぱりキムチが欲しいなぁ」って。どうやら韓国人にとってのキムチは大変重要な一品の様です。

音楽が無くても生きてはいけます。しかし、音楽のある生活は人を大変豊かな気分にしてくれます。この「音楽」という単語を「キムチ」に置き換えても意味が通りそうですね。

人々の心を豊かにする「音の無い音楽」のモチーフは、随所に散りばめられている様です。

追記 Ⅱ
2006/5/23 15:42 by 未登録ユーザさくらんぼ

( 映画「マイ・ボディガード」についてもふれています。 )

ところで話は変わりますが、映画「マイ・ボディガード」という作品がありました。あの映画は「ビジネスの掟」を描いていたのだと思います。「ビジネスライク」という言葉も有るとおり、ビジネスに個人的な感情を持ち込みすぎるのは良くない事のようですが、あの映画では、その掟を破ってしまった男の悲劇が描かれていました。

ひるがえって映画「春が来れば」を観ますと、こちらの主人公や露天商のおばあさんも、「ビジネスライク」な生き方をしてはいないようです。

見ず知らずの男に、商品の代金は今度で良いからと物を売ったり、先生も生徒や生徒の保護者のおばあさんの面倒を親身に看たりと、ビジネスの掟破りをしています。

しかしこの映画では、ほのぼのとした作品に仕上がっていますね。同じような事柄を描いていながら2本の作品が正反対の結末になっている事が面白いです。

でも良く観ると、あながち正反対とばかりは言えないのかもしれません。「音楽の様な生き方=否ビジネスライク」で他人を幸せにすることでは2本の映画は同じです。

では、他人を幸せにしても、自分はというと、先生は流行り眼病をもらってしまいましたね。これは親身になりすぎた事のデメリットを表す映画的記号なのではないかと思っています。言ってみれば、これは、隠されたプチ悲劇だったのでしょう。


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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