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オーディオと錯覚
子どもの頃からオーディオ誌を読んでいても見た記憶はありませんが、一部のマニアからは「オーディオには錯覚(も)あるようだ」と密かに言われているようです。
その説には私も同意しますが、もし「オーディオには錯覚(も)ある」のだとしたら、「錯覚の部分は無価値」なのでしょうか。
人間は錯覚しやすい生きものです。地上近くにある月が大きく見えるのは、よく経験することです。それが、いくら錯覚だと分かっていても、逆らい難い魅力を感じるものです。
あるいは、昔どこかで読んだ、「いくら新鮮な刺身でも、汚れたプラスチックの皿に盛られたら旨くない」という話。同じ刺身でも、上品な陶磁器製の皿に盛られたら、美味しく感じますね。
見える場合でもそうなのですから、見えない音になれば、なおさらでしょう。
ちなみに、LPレコードの時代、色黒なのは、レコードの耐摩耗性を上げるためにカーボンが入っているからだと、当時どこかで読んだ記憶があります。だから、カーボンの代わりに赤い染料を入れた半透明の赤色のLPは、やや擦り切れやすいとか。
さらに、最近のオーディオ情報から連想すると、塩化ビニール(LPの原材料)に赤い染料を入れた場合と、カーボンを入れた場合では、混ぜ物が違うわけですから、振動の仕方も違ってくるはずで、ならば、音色も違ってくるのではないでしょうか。
その話と、挑発的な赤色がメンタルに及ぼす影響(錯覚)とは、また別の話だと思います。
私は「たとえ錯覚でも救われる人がいれば、それで一時でも天国に行けるのなら、(煩悩に生きるマニアの救済手段の一つとして)良しとしたい」です。「錯覚を是として静かに共存したい」と思うのです。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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