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#ネタバレ 映画 「ラスト・サムライ」

「ラスト・サムライ」
2003年作品
苦しみながら生きていくための場所を探し求めた西洋人の男と、死に場所を探すサムライの、運命的な出会いと友情の物語
2003/12/18 22:20 by 未登録ユーザ さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )


インディアンと戦い、最新兵器で勝利した主人公は、その殺戮に心を病んだ。日本では官軍がサムライを最新兵器で鎮圧しようとしていた。こともあろうに彼はその軍事顧問になる

かつてインディアンと戦い、最新兵器の威力にまかせて勝利した事のある主人公は、その殺戮の経験に心を病んでいた。映画の冒頭、新型ライフルのデモンストレーションをする泥酔した主人公の苦しみぶりは、それを象徴的に表現したシーンなのだろう。

その後、彼は来日することになるが、驚く事にそこでも米国の苦い経験を思い出させる様な構図が出来ていた。日本官軍が日本のサムライ集団を最新兵器を得て鎮圧しようとしていたのである。その上、こともあろうに彼はその軍事顧問になる。

主人公は長くは官軍には居られなかったに違いない。その仕事は自身の古傷をえぐられる様な苦しみをもたらすからだ。

それより主人公にとっては、かつてのインディアンを思い出す様な、敵でもあるサムライたちに密かに興味があった。

やがて、彼はサムライの世界で暮らすようになる。

近くで見たサムライたちは高貴な魂を持っていた。

それを知った主人公は、そのままその世界にとけこむ決心をする。それは同時に彼にとっては癒しの為の行いで、生きていくために必要でもあったのだ。

彼は生きていくために、官軍から逃げたとも言えるのである。

でも、サムライの中には苦しみから逃げない日本人女性がいた。彼女は夫を殺したのが主人公だと知った上で、身の上の世話をする。彼女の苦しみは想像すら出来ないほどのものだろう。しかし、それを感じさせない凛とした姿に、いつしか彼は惚れる。そして彼も変わっていく。

映画の終わり近く、武士の魂「刀」を献上するシーンは冒頭のライフルのシーンと対になっていると思う。刀は古典的でシンプルの極みの武器である。サムライの心を忘れないで欲しいというメッセージであるのだろう。

ラストの合戦シーンでは散りゆく桜が写る。その姿に美を感じるとしたら、私たちの心のどこかに、まだサムライの心が残っている証だろうか。

この作品は、苦しみながら生きていくための場所を探し求めた西洋人の男と、死に場所を探すサムライの、運命的な出会いと友情の物語でもあった。

追記
2003/12/19 19:05 by 未登録ユーザさくらんぼ

男と女、加害者と被害者、サムライと官軍、日本人と外国人、インディアンと官軍、国と国、どなたかも言われていたが、この映画は本当は相互理解の映画

なぜ主人公は、夫を殺された女性から逃げなかったのか。

実はあの恋愛ドラマにも、彼のトラウマであったインディアン殺戮の物語が重ねてあるのだと思う。

映画は、主人公がインディアンたちに許しを請うて和解したいという思いを、夫を殺した事の許しを請う「ごめんなさい」に重ねているのだと思う。

時に人は、苦しみから逃れるためには、その苦しみと対峙しなければならない。そして、その延長線上に愛とか友情とかが語られているのだろう。

また、女性側の心の動きがどのようなものだったかは、私には上手く説明できないが、愛が実を結ぶシナリオの陰に有るのはこのような理由だったのだろう。

そして、この小さなエピソードの語る世界は、実は大きく崇高である。

それは今日、世界中で歯止めの効かなくなってきている暴力の連鎖を断ち切る事へもつながっていくからである。

男と女、加害者と被害者、サムライと官軍、日本人と外国人、インディアンと官軍、国と国、どなたかも言われていたが、この映画は本当は相互理解の映画だったのだと思うのだ。

追記Ⅱ
2003/12/22 18:58 by 未登録ユーザさくらんぼ

「対立→和解」は理性で可能かもしれないが、「和解→恋愛」はそれだけでは不可能だ。理性だけでは恋は出来ない

夫を殺された妻が、なぜ「夫の仇」に惚れたのか、そこには男には分からない女心が有るのだと思うけれど、ひとつ思いついた事が有るので書き留めておこうと思う。

妻は主人公の事を「においが・・・」と言っていた。その後主人公が風呂に入るシーンが有るので、においは軽くなるのだが、消える事はない。この「におい」は性的なシグナルとしてシナリオに登場したのではないかと感じられる。

「対立→和解」は理性で可能かもしれないが、「和解→恋愛」はそれだけでは不可能だ。理性だけでは恋は出来ない。

そこに「匂い」の中に含まれている「フェロモン」が活躍したのかもしれない。そんな事を語るシーンだったのだろうか。

追記Ⅲ
2003/12/23 6:56 by 未登録ユーザさくらんぼ

清潔になった西洋人は、日本人とは又違った匂いを漂わせていた

「匂い」についてもう少し話します。

最初は逃げ出したくなるほど「くさいにおい」がしたに違いありません。彼女も本気で顔をしかめたのでしょう。息も出来ないほどに。そして、これは夫の仇への、嫌悪感の記号でもあったはずです。

私の職場でのこと。かつて、ビルの一階ロビーに「ある種の人」が一人入ってきただけで、ロビーの半分ぐらいに「くさいにおい」が広がり大変だった経験が私にも有ります。

しかし主人公が温泉に入って清潔になってからは、その「くさいにおい」も落ち、健康な男性が本来持っている「匂い」だけが感じられるようになったのだと思いました。

その辺りの事を私は書いたつもりです。

前半「くさいにおい」がしていた頃には、色々な「におい」が交じり合っているという意味を込めて、あえて「ひらがな」を使ってみました。

そして、後半「くさいにおい」が落ちて、健康な男性が本来持っている「におい」になってからは「匂い」という漢字をあてはめてみたのです。その言葉の使い方が適当かは良く分かりませんが。

私は清潔になった西洋人は、日本人とは又違った匂いを漂わせていたのだと思いました。

追記Ⅳ・「虎(サムライ)は虎(サムライ)を知る」
2006/6/25 15:07 by 未登録ユーザさくらんぼ

沢山の男が登場するが、国籍、敵味方に関係なく、「侍」は「サムライ」を嗅ぎ分け、お互いに敬意を持ち合っていた

先日、映画「ラストサムライ」をレンタルで観ました。映画館に続いて二回目の鑑賞です。そうしたら一つ新しく気がついた事があったので書き込もうと思います。

映画の冒頭、サムライが村を見下ろす小高い山の上で座禅を組んでいます。彼の心の中には戦で虎を捕らえようとするイメージ(啓示)が浮かんでいます。

そして、それが済むとサムライはカッと眼を見開きますが、その眼光は虎の眼の様に鋭いものでした。虎を心にイメージしていたサムライもまた、虎だったのです。

この「虎」とは「サムライ」の事なのでしょう。

「虎(サムライ)は虎(サムライ)を知る」

そんな心の言葉が聞こえて来ました。

もしかしたら、これはこの映画のテーマに近いかもしれません。

この映画には沢山の男が登場しますが、国籍、敵味方に関係なく「侍」は「サムライ」を嗅ぎ分け、お互いに敬意を持ち合っていたようです。

ただの上官、ただの役人とは、明らかに一線を画すサムシングが、彼らには漂っていたのかも知れません。

追記Ⅴ 2023.11.23 ( 映画「舐める女」 )

「匂い」がキーワードだと思ったが、その辺りに特化した映画を思い出した。それが、七海ななさん主演の佳作・映画「舐める女」

夫を殺された妻が、なぜ「夫の仇」に惚れたのかについて、「匂い」がキーワードだと思いましたが、追記Ⅱ以降で書いていますが、その辺りに特化した映画を思い出しました。それが、七海ななさん主演の佳作・映画「舐める女」です。

追記Ⅵ 2023.11.23 ( 匂いとは、まとっている空気感でもある )

匂いとは記号化された「その人間がまとっている空気感」でもあり、夫と夫の仇は、同じ空気感をまとっていた

サムライ、商人、農民などはまとっている空気感が違うはず。

「仕事が人を創る」と言われている通り、これは現代にも通じる事です。

ならば、匂いとは記号化された「その人間がまとっている空気感」でもあり、夫と夫の仇は、同じ空気感をまとっていたのでしょう。


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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