#ネタバレ 映画「ビリギャル」
「ビリギャル」
2015年作品
大人の役目は正しいベクトルを与えること
2015/8/1 8:58 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )
「父に復讐したい娘心」×「世間知らず」⇒「慶応合格」
★★★★
追記 ( 算数の時間も終わりましたので )
2015/8/1 21:34 by さくらんぼ
主人公・さやか(有村架純さん)が幼いころに、父におねだりして、おんぶしてもらった回想シーンが出てきます。
そしてラストには、慶応に合格したさやかが、名古屋から東京へ旅立つとき、幼いころみたいに、父の背中に飛びのるシーンがあるのです。
これが、この映画の骨格ですね。
娘が生まれて最初に出会う異性は父です。
娘にとって、ある意味、父は恋人なのですね。
それなのに父は長男ばかり可愛がり、娘にかまわなくなるのです。娘にしてみれば、人生最初の恋人から捨てられたも同然。男性不信になり、それが遠因で、学校の教師とも関係が悪くなる。
しかし、塾の教師の心理誘導もあり、さやかは、学校の先生や父を…いや、なによりもまず自分を捨てた「父を見返すために」慶応を受験するのです。
そして「利用した世界観はゲーム」でした。
学生たちが、どれだけ熱心にゲームをしているのか。
彼らはゲームの中に自分が主人公になる居場所を感じている。塾の教師はその世界観を応用したのです。
塾の生徒たちは、個人面談により、皆、独自の物語を設定され、その主人公を演じているうちに、目的地に到着するようにプログラムされているのでした。
それにノッテしまうのは、良い意味で、世間知らずだったからですね。並みの生徒なら、最初からあきらめるでしょうから(たぶん)。
あの塾なら、勉強嫌いの私も勉強したかもしれません。そうしたら人生変わっていたかも。いや、ゲーマーじゃないので、だめかな。
ところで、有村架純さんは、NHKの「あまちゃん」に出ていたときは、少女であり、ほんとうに女子高生的でしたが、今は大人の雰囲気でしたね。あの雰囲気で超ミニのセーラー服を着られると、おじさんとしては、色気を感じて困ってしまうのでした。
特にエンディングで、アップの彼女が、口パクで歌うシーンがありますが、彼女の声が聴こえないことで、逆に伝わってくるものがあり、これは新種のチラリズムなのか、と妄想していたのでした。
追記Ⅱ ( 映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」 )
2017/12/15 16:59 by さくらんぼ
もう一度TVで観ましたら、①映画 「ビリギャル」から、②映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」を連想させました。オマージュかどうかは現段階では良く分かりません。
②は「一流大学へ推薦入学でも、クラスメートをかばうか売るか、苦悩する青年の物語」でした。①は「クラスメートをかばって停学になってしまいましたが、一流大学へ入るため、勉強に苦悩する少女の物語」でした。つまり対照的な構成になっています。
その他のエピソードや登場人物は、分解されて、あちこちの材料になっている感があります。
追記Ⅲ ( 老婆心という大人の役目 )
2017/12/16 22:11 by さくらんぼ
主人公・さやかが、いよいよ慶応など3つの大学試験を受けるとき、塾教師の坪田先生から、「合格」と書いた缶コーヒーを、験担ぎでもらいました。
喜んださやかは、それを試験直前に一気飲みしたため、試験中にお腹が痛くなり、トイレに二回もかけ込むはめになりました。おかげで、(たぶん一番行きたかった学部の)試験に失敗してしまったのです。
坪田先生も、さやかと同じ、「人生経験の未塾者」でした。脇が甘かったのです。
もし坪田先生がその事実を知ったら、以後ぜったいに缶コーヒーを受験生にプレゼントすることはやめるでしょう。
あの塾には、他に、おじさんが一人いましたが、もし彼が缶コーヒーを渡す場にいたら、いや、私がいても、「まずいなぁ…」と思ったはずです。そして、先生に、「老婆心ながら、水ものだから、お腹のコンディションを乱してもいけないので、受験後に飲むように言った方が良いんじゃないですか」と、CMの西島 秀俊さんみたいに、小声で、一言耳打ちしたことでしょう。
追記Ⅳ ( NHK朝ドラ「花子とアン」に見る、文盲の哀しみ ))
2017/12/18 10:13 by さくらんぼ
主人公・さやかは文盲ではありませんが、日本地図を書かせたら○を一つ書くだけだったり、東西南北を知らなかったり、聖徳太子を「せいとくたこ」と読んだり…
私も無教養を晒していますが、さやか(の友だち)も、これからの人生を考えると、一流大学には入れなくても良いから、もう少し勉強すべきだと思いました。将来、それが自分のためになるからです。
現在BSで再放送中のNHK朝ドラ「花子とアン」は、多くの人が文盲で、しかも男尊女卑の時代に、一人の貧しい農家の女性が、高等教育を受け、知性と教養を身につけて活躍する物語です。
そこにはヒロインの光とともに、陰には「文盲の哀しみ」がそれとなく挿入されていましたので、ここに、ご紹介します。
① NHK朝ドラの話です。
女性ヒロインが多いこのドラマでは、ドロドロとした、そこまでやるか的な、『嫁と姑の確執』が描かれているのが普通です。
では『花子とアン』ではどうでしょう。
もしかしたら、これは『娘婿と、娘の父との確執』の物語でもあったのかもしれません。
ここでは、吉平が婿養子のように家に入ったようです。しかし妻の父・周造は、なぜか吉平を嫌っていました。
周造の最晩年には、二人は和解するのですが、その時の吉平のセリフに(周造が、『お前を嫌っていた』と言うと)『知ってます。お義父さんは、目も合わせてくれませんでしたから…』というものがありました。女同士のバトルとはまた違った、まさに冷戦とも言える深刻なものだったようです。
(もしかしたら、吉平が本を読めるのに、権威を保たなければならない一家の主・周造が文盲であった為かもしれません。周造は『小ばかにされまい』として、壁をつくり、吉平を接近させなかったのです。
しかし、周造の最晩年には、吉平がはなの書いた本を周造に読んで聴かせるシーンがありました。幸せそうな周造。二人の確執が消え、和解した瞬間です。)
そんな背景を考えると、吉平が行商に明け暮れ、ほとんど家にいなかったのも頷けると言えます。
でも、行商に出ると、愛娘・はなとも離ればなれになるわけです。なのに宿敵!?の周造は、はなと楽しく暮らしている。吉平にとっては、ここに三角関係の嫉妬が生まれるわけです。
吉平がはなに高等教育を与えようと動いた理由は、行商で見聞を広め、結果、だれより教育の大切さを実感し、優秀なはなにも、それを受けさせようと思ったに違いありません。
しかし、吉平の『無意識の領域』では、文盲の周造とはなの間に、精神的・物理的なくさびを打ち込もうとしたのかも知れないのです。はなを『高等教育と寄宿生活』で周造から遠くへ離し、三角関係を壊そうと。
② NHK朝ドラの話です。
『花子とアン』で、はなの腹心の友・蓮子は、石炭王・伝助と結婚しました。
ドラマの中で二人が言い合うシーンがあって、結果、『伝助は蓮子を愛していない、ような雰囲気』になってしまいました。あれは、蓮子に問い詰められた伝助が、『本心を隠す必要があった』ため、とっさに『売り言葉に買い言葉』で応戦してしまった顛末なのです。
だから、本心は違うと思います。
伝助は、『蓮子の顔も、心も、その教養もたいへん愛していた』のです。心底惚れていた。
( 再放送ですが、私はこのドラマ、一度も最後まで観ていません。しかし、二人が言い争ったとき、名優・吉田鋼太郎さんが、微妙なその心を、上手に演じておられた、と見ました。)
伝助は文盲です。だからこそ、教養に憧れ、惹かれるものがあったのです。
しかし、しかし文盲の人間にとって、しかも男尊女卑のあの時代にあって、夫よりも教養の高い妻は両刃の刃。伝助は、本音では蓮子を『崇拝』していても、それを見破られ、『小馬鹿にされることを何より嫌った』のです。恐れたのです。それが文盲の(さが)というものです。
さらに、こんなエピソードもありました。
伝助の一人娘・冬子に、蓮子が高等教育を受けさせようとしたら、伝助は激しく反対しました。文盲の哀しみを骨の髄まで感じている伝助です。冬子も文盲で良いとは決して思っていないはず。
しかし、もし冬子が高等教育を受ければ、伝助を小ばかにするようになり離れていくかもしれない。そのジレンマに鬱々としていた。そんなとき蓮子が、(伝助にとっては無神経に)その話を持ちだしたわけです。
ここに『冬子をめぐっての三角関係』が発生します。冬子を蓮子に取られてはいけない。とっさに伝助はそう思って激情したのでしょう。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)