70年代の赤坂という街(2)
というわけで(?)。
1974年~77年頃、学校帰りに通っていた赤坂の街。
まず、地下鉄千代田線の「赤坂」駅から、一ツ木通り方面の階段をあがると、そこにはもうTBSの局舎がどーん、と。その隣にはTBS会館がどーん、と。たぶん当時にしては「近代的」な造りだったのだと思う。その存在感たるや、すごかった。(Pinterestで見つけたこの画像に写る2棟の大きなビルの左側が局舎―厳密にはここはラジオ棟で、TV局舎はこのビルの奥に続いている―、右がTBS会館)
で。その局舎の前のさほど広くない一ツ木通りを渡った真向かいに、既にかなり年季の入った4階建て(だったような)の中村ビルが。
1階は、派手なピンクと白の庇が特長の「アマンド」。前回の記事の最後にも記した「アド街ック天国」でも語られていたように、テレビ関係者が忙しなく出入りして、打ち合わせ、取材、撮影と、まさに「THE芸能界」とでもいうような独特の空気を放っていた喫茶店。
その華やかな店構えのすぐ横に、ひっそりぽっかりと口をあけるビルの入口は、思いのほか地味で薄暗く、そこから続く何の変哲もない急階段をとんとんとんっと3階まで上り、その踊り場の右手ドアには、これまた飾り気もなく大書された「芸映」の文字。そここそが、西城秀樹さんが所属する芸能事務所なのでした。
と。あの熱気あふれる昭和歌謡全盛期を偲ぶための手引きになれば、と書いてみたものの。残念ながらこの光景はすでに失われてしまっている。
中村ビルは1987年に建て替えられ、芸映は1998年に中目黒に移転。アマンドが姿を消したのはいつのことか不明だけれど、今現在ビルの1,2階はエクセルシオールが入っているらしい。TBS局舎は1994年にビッグハットという呼称の放送センターとして生まれ変わり(以前の局舎より奥まった場所に移動)、一ツ木通り側にはBizタワーが建ち、きれいに整備されてお洒落な街角に様変わり。
あの熱く濃密な空気の名残も、時の濁流の隙間を駆け抜けていく秀樹の残像も、もう探そうにも探せない。淋しいかぎりです。
それでも。とにかく、現地に行ってみたい、そうすれば少しでも何か感じられるかも。そんな方達の声に応えられればと、今の地図と照らし合わせたものがこちらに。
前述したテレ東の「アド街ック天国」の「赤坂」の回がオンエアされたとき、当時を偲ぶことができるポイントがいくつかあったので、それをまとめてみたりしました。
この番組内で峰さんが『TBS真横に(正面だけど)芸映があって』と語られて、元TBSアナウンサーの安東弘樹さんも『小6の時、TBS向かいの喫茶店にいたら西城秀樹さんが入ってきて』と。ああ、懐かしのアマンド。せめて写真だけでも見たくてネットで探したけれど、見つからず。
と嘆いていたら、秀友さんがアマンド前で撮ったという写真をツイートして下さって。感動。もうほんとにSNSって素晴らしい。ありがたい。ただ、それには人物がばっちり写っているので、ここに載せるのはちょっと躊躇われるので割愛させて頂きます、あしからず。
あの頃の赤坂、TBS、そして芸映の写真。どこかに残っていないのかな。当時のスタッフは、何かお持ちじゃないのかな。
あれから長い長い月日が経ったんだなあ、と、つくづく思う今日この頃。
でも、だからこそ。今のうちに。
時代の証言者である方々、もっと語ってください。お宝画像も映像も、どうか放出してほしい。どうか出し惜しみなどせずに。ね。
あれこれ探すうちに、見つけたサイト、いくつか。