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White Christmas

74年から76年の高校3年間、授業が早い時間で終わる日は、終業のベルが鳴り出すと同時に駆けだして、電車を乗り継ぎ赤坂へ。そしていつもTBSの真向かいにある事務所(芸映)のビルの入口あたりで何をするでもなく、ただただ秀樹を待っていました。

あの頃、秀樹は家も近く、TBSの仕事が多かったから、その仕事の前や合間に芸映に寄るのは日課のようなもので。マネージャーが事務所の中で仕事の確認や打ち合わせをしている間、秀樹はドアの外に出てきてくれて、待っている私達(大抵4,5人)とお喋りしてくれました。ほんの数分、あの掠れ声で、ぼそぼそと。

そこで会う秀樹は、たいてい私服。ジーンズにTシャツ、セーター。デニムの上下のような取材用の服で来ることもあったけど、歌手としての「衣裳」を着ていることは殆どなくて。しかも、今なら誰もが抱いている「気さくな兄貴」というイメージとは違って、ちょっとシャイでぶっきらぼうで、でもかっこつけの甘えん坊(どんなよ)。だから私達にとってはスター西城秀樹というより、寺貫の周ちゃんのようで。あの頃はそんなふうに会えることが、まるで日常のようになっていたのでした。

が、そんな日々にも変化が訪れ、76年頃には忙しさに拍車がかかり、さすがに芸映に寄る頻度も少なくなって。秀樹今日は来ないよ、と事務所の誰かが教えてくれた時は、しかたなく(?)マンションやテレビ局に行ってみたり(ごめんなさい。時効ってことでお許しを)。

このクリスマスの日も、そんな1日。というより、たぶん「お昼過ぎからTBSでリハ」だと数日前に聞いていたのだと思う。だから前日に家でクッキーを焼いて、きれいにラッピングをして、それを胸に抱いて赤坂へ。

地下鉄の階段をあがって地上に出ると、しんと冷えた空気に、ちらちらと白いものが。
雪。
手のひらに受ければすぐに消えてしまうような、まぼろしのような雪だけれど、でもこれは特別な雪。
ホワイトクリスマス。
スタジオにこもっている秀樹はきっと知らない、会ったら言おう、きっと話そう。

そう思っていたのに。
スタジオの外の廊下は沢山の人が行き交っていて。でも、なぜかファンは見当たらず。端っこでひとりぽつんと立っていると、ほんの数分でスタジオの重いドアが開き、すっと現れたのは、スーツ姿の秀樹。いつもの周ちゃんみたいな男の子ではなく、薄紫のスーツ、白いドレスシャツにネクタイを締めたオトナの秀樹。紛れもなく、スターの輝き。

いつにも増してドキドキして、ああどうしよう、でもでも、渡さなきゃ、クリスマスなんだもの、プレゼント渡さなきゃ。
そう思って踏みだそうとした私に、秀樹が気づいて近づいてきれくれた。

それなのに。
結果は、ツイート(ポスト)した通り、話らしい話もできないまま。
いつもと違うオトナの秀樹は、どぎまぎしてる内気な女の子をエスコートするかのように、喧噪から守ってくれたのに。
不甲斐ない。
この時私はもう18歳になっていたはずなのに、なんて子どもだったのかと、思い返すたびに呆れてしまう。だから今も「ホワイトクリスマス」という言葉を聞くたびに、何度も繰り返し思うのです。
もう一度あの日あの時に戻りたい。

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