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今の自分は途中の自分ではない、という気づき。

人生には目的があり、その目的に至るまでは過程であり努力している
途上であり人生の途中である。
という様な人生の捉え方、これを否定して、今この瞬間こそが人生の
全てであり、これこそが本番であり、今この瞬間にスポットライトを
当て続ける、その今の連続こそが人生である、という人生の捉え方。
これはアドラー心理学の考え方なんですが・・・
自分の拙い文章で短い文章にすると誤解を生みそうですし、自分自身、
これが分かったような気になっていました。
ともかく先のことを考えずに、今を一生懸命やるってことだよね、
って理解してました。

でも実際はそれだけじゃなくて、実はもっと覚悟がいることだったり、
ある意味ではもっとおおらかに考えることだったりで、全てを受け入れる
度量が要求される話でした。
(と僕は解釈ました)

目的地に到達した自分を想像し、それに対してまだそこに至らない自分
=今はまだ途中である、という捉え方を辞めて、今ここにいる自分が
シンプルに本当の自分である。この先もっと変わっていくかもしれない
けど、それはそれとして、今この瞬間の自分から目をそらさずに自分
として受け入れること。
許容すること。自分なんだと表に出していくこと。
特に写真について気づきが訪れました。
以前、自分はコンテストに出す勇気がありませんでした。
(コンテストに出す出さないは人それぞれですが、自分はいつか
 コンテストに出したい、という気持ちがありまして、その前提での
 話です)
もっとうまくなったら、もっと自分が気に入る写真が撮れたら、と思って
いました。
理想の自分の写真がまぁ具体的にはともかく、もっとうまい、みたいな漠然としたイメージであって、そこに至ってない今はまだ表に出していくのは
早い、みたいなことを無意識に思っていたんだと思います。今の自分の
写真をうまくなる途中の写真だと捉えていたんだろうと。

でも、あるとき大切な友人からメッセージをもらって、はっとしました。
(一部転載)

【去年は個人的にも(お察しの通り)ほんといろいろあって、
「自分はいい顔してると思うんです」と言ったものの、そこには本音半分
 強がり半分があって、そういう部分も全部含めて、今この瞬間を残して
 おきたかった。という気持ちが大きかった。
 って言う部分で、こういう言い方はとても失礼なんだけど、きれいな
 写真とかいい写真とかは全然求めてなくて、ただ、今の私を撮ってくれー
 って正直に言えちゃう相手が林(=私)さんだった。というとこ
 なんです。深い意味とかはなくて、直感でしかないですけどね!】

人物写真が決して得意ではない自分に、写真を撮ってほしい、っていう
話しをしてくれて、うれしい気持ちがありつつ、えー、人物苦手だよ、
っていう返信に対しての返しを読んではっとしました。
そうか、そうなんだな。今の自分のぎこちない写真にも価値があるんだ、
という気づき。

そう気づいたとき、そうか、(いつかもしかしたらそうなる)うまくなった
先の写真も、そして今こうして撮っている写真も、どちらも同じく自分の
写真で、どちらも同じく自分自身の現れなんだ、と。
そう感じたときに、理解していたような気になっていた冒頭のアドラーの
言葉がすっと自分に入った気がしました。
自分自身の写真をうまさで測らず、僕らしい写真っていう風に見てくれた、
そのことがとてもうれしくて、とても勇気をもらいました。

それが去年の年末くらいで、そこからいくつかフォトコンテストに
出したり、なんていうか、今までとそんなに変わらないけど、でも、
今までよりも、これが自分の写真です、自分自身です、っていう気持ちや
言葉でネットに写真をUPするようになりました。

何より、写真が以前よりもさらに楽しくなりました。
今の自分、今の自分の写真に乾杯!!(^^)/

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