モーテル
それは、南千葉の山奥のモーテルだった。モーテル、という時代掛った響きの呼び名がふさわしいような場所だった。一般的にはラブホと言われている、要はセックスをするための宿で、開業にはいろいろと規制があり、いまから新しく住宅街の中に作ったりすることは多分できないようになっている。だから、大抵はよくわからない辺鄙なところにポツンと建っていたりすることが多いのだが、この宿も、例に漏れず、なかなかの山奥に建っていた。敷地に入ってすぐに、高速の料金所のようなゲートがあり、そこで鍵の受け渡しは退出時の支払いをすることになっている。都心にあるいまどきのラブホなんかだと、建物に入ってすぐのところににある写真付きのパネルで部屋を選んだりするようになっているが、ここでは、料金は均一で、ゲートのところで部屋を割り当てられて鍵を渡されるような仕組みになっている。初めて来たのは二十代の半ばのことだった。付き合い始めたばかりの彼女と、海の向こうに小旅行、というような気分で訪れた。あまり懐にも余裕がなかったし、なんでもない日に予約もなにもなく泊まれる気軽さが心地よかった。ベッドサイドにある照明や音響を調節するコンソールパネルは半分くらいが壊れていて、ラジオや有線は聞くことができず、照明をつけたり消したりするくらいの機能しか備わっていなかった。部屋にはタバコの匂いが染み付いていて、風呂場は何十年も前のワンルームの部屋にでもついていそうな造りだった。ラブホなら他にもいろいろあっただろうに、なぜわざわざこの宿を選んだのかはいまとなっては覚えていないが、車ごとチェックインするこの仕組みは初めての体験で、とても新鮮に感じられたことをよく覚えている。それから四〜五年が経過して、どういうわけか、俺は再びその宿を訪れた。付き合っている彼女も変わっていたし、乗っている車も変わっていた。それこそ他にも宿はいろいろあっただろうに、なぜかまた同じところを選んだ。料金も、部屋の造りも、宿のシステムも、なにも変わっていなかった。数年前に来た時と同じノリで、海の向こうの気軽な小旅行、ということで選んだ目的地だった。特に何をするわけでもなく、夜に東京を出て、飲食店が閉まるギリギリの時間に木更津にたどり着いた。海のあるところだから、という短絡的な思考のもと、海鮮を売りにした居酒屋に入ったが、そのせいで安くもないくせに生臭い刺身定食を食べる羽目になった。連れ添っていた彼女は美味しいといいながら同じ刺身定食を食べていて、なんだか妙な気持ちになったのを覚えている。それから真っ暗な山道を走り続けて、そのモーテルのような造りのラブホにチェックインしたのはたぶん、二十三時くらいだったと思う。途中で買い込んだ酒を飲みながら、俺は持ってきたギターを弾いた。そのギターは、実家の近くの粗大ゴミ置き場で散歩の途中に拾ったもので、粗大ゴミのシールが貼ってあったし、無名ブランドの安っぽい造りのものだったが、きちんとチューニングすると、案外いい音を奏でてくれた。セックスをする前に、俺は、ワインレッドの心、を歌った。その彼女とは、程なくして別れてしまったし、それから数年して、死んでしまった。もし今も彼女が生きていたら、一緒に暮らしていたとは思えないし、いい関係でいられたかどうかもわからないが、時々ふと、今でも思い出してしまう。その部屋に泊まった夜、コンビニで買った洋酒が入ったチョコレートをふたりでつまんだ。その彼女も酒が好きだったのだが、酒のつまみに酒入りのチョコレートをつまんでいるのが少しおかしくてふたりで笑った。朝、目が覚めて、窓の外の木戸を開けると、外は、森だった。季節は確か春の終わりで、寒くも暑くもない、ちょうどいい気候だった。都心のラブホだと、窓がないことも多いが、光が差し込まない大きな木戸こそついているが、立派な窓があり、外には新鮮な森の空気と、鳥のさえずりが広がっていた。一般のホテルと違い、チェックアウトの時間に厳しくないこともラブホの売りで、十時たとか十一時だとかにいそいそと部屋を出なくてもいいのだが、そう長居することもなく、昼前にはチェックアウトした。一晩泊まってふたりで五千円くらいだった。それからさらに南下して、いまはもう廃業してしまった温泉に立ち寄った。湯船にはこの葉が浮いていて、鄙びた雰囲気の温泉だったが、お湯はとてもよかった。その彼女とは、それが最初で最後の旅行だった。あまりあちこちに行かなかったからこそ、鮮明に覚えているのかもしれない。どこに行って何をしたか、そういうことはかなりはっきりと思い出せるが、彼女としたのがどんなセックスだったのかは、全く、そう、本当に全く、思い出すことができない。