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イチョウ並木と雲と人

 おーう。六年ぶりに突然会った鈴原さんはオレにそう声をかけてきた。後で数えてみて、それが六年ぶりだと知ったが、鈴原さんと最後に会ったのはもっと昔のことだったように思えて仕方なかった。過ぎた年数を数えると、鈴原さんはもう四十をゆうに越えているはずだったが、当時の印象とあまり変わっていなかった。鈴原さんがなぜここに来ていたのかは知らないが、オレは神宮外苑のいちょう祭りに出店者の関係者として来ていた。イチョウ並木を見に来た人たちのこのとんでもない人混みのなかで鈴原さんと出くわしたのは、本当に全くの偶然で完全に予想外のことだった。鈴原さんは昔オレが勤めていた出版社の元先輩社員で、数年前に退職して郷里の愛知県のほうに帰って行ったと人づてに聞いていた。六年前というのはオレがその出版社を辞めた時だ。鈴原さんのことは、当時も人間として尊敬していたし、独自のセンスや哲学を面白いとオレは思っていたが、アクの強い人で、オレも何度も怒られていたし、会社の上層部と揉めたりしているという話を聞いたこともあった。まさかこんなところで出くわすとは思っていなかったので、なんと話しかけたらいいのかわからなくて、オレは曖昧に頭を下げた。久しぶりじゃんかよ、おめぇなにしてんよぉ、こんなとこで。昔と変わらない口調だった。あ、ここのイベントの出店サイドにちょっと仕事で、出てまして。オレの両手にはコンビニで買い足してきた紙パックの牛乳が入った袋がぶら下がっている。へーえ、元気にしてんか。鈴原さんはそう言いながらジャケットの胸ポケットからセブンスターを取り出して、煙草を一本抜こうとして、それから周りにあまりにもたくさんの人がいることに気がついたのか、またそのすべてを元通りに胸ポケットに仕舞った。鈴原さんと最後に話したのは、鈴原さんの仕事をオレがドタキャンした後のことだったと思う。鈴原さんと関わった仕事も、それが最後だった。ほんとうに些細なことが理由だったのだが、オレはその仕事に行きたくないと元々思っていた。西の方に長距離遠征をする類の仕事で、同じ社内でもオレの部署の仕事ではなかったし、とにかくキツい仕事なのは前年に参加した経験からわかっていたし、チームの他のメンバーもオレにとってはろくでもないメンバーばかりで、とにかく行きたくなかった。そして、その出発の直前に、オレの行きたくない気持ちを決定的にするダメ押しのような出来事が社内であって、オレは完全に行く気を無くしていた。そもそも、オレがいなくても成り立つような現場だったし、まだ今よりも若く、今よりも傲慢だったオレは、その出発の前夜に、行かない、と決意をした。今になって思えば、どんな理由で断っても結果は同じだったかもしれないが、当時のオレなりにいろいろと考えて、無理やり来いと言われないような理由を考えて、昔の友人が急死したので葬儀に行かなければならない、というひどい言い訳でその仕事に行けないという旨を鈴原さんにメールした。てっきり、それでも来いとかふざけんなとか、そういう鬼電とかメールの嵐とかが来るのだろうと思っていたオレは、何も言ってこない鈴原さんに驚いたのだが、本当に全く何も言われなかった。後日、喫煙所で鉢合わせた時に、すいませんでした、とオレが謝ると、おう、とだけ、鈴原さんは煙草をくわえたまま目を合わさずに短く答えて、そのセブンスターをまたふかした。あの、鈴鹿のときの、すみませんでした。六年ぶりに会った鈴原さんにオレはもう一度謝った。何のことかと少し考えていたようだったが、あー、あれな、おめぇが来なくてよぉ、どんだけ大変だったか、わかってんけ。渋い顔になって鈴原さんは顎のヒゲを撫でながら言う。六年前に、喫煙所で謝ったとき、鈴原さんの目は笑っていなかった。ほんと、すみませんでした。オレはもう一度謝った。おう。鈴原さんは相変わらず渋い顔のままだったが、その目は前とは違って、少し笑っているように、オレには見えた。イチョウ並木の上に浮かぶ雲が、なんという名前の種類の雲だったのか、オレはぼんやりと考えていた。(2018/01/10/14:50)

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