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止まっていた人生が、動き出す…!5年ぶりに音楽活動を再開するまでの経緯や心境を振り返る【青柳唯復活ワンマンライブを振り返る!#1】
2024年9月14日(土)に行われた「青柳唯復活ワンマンライブ」について、経緯・準備・当日のもろもろを振り返ろうと思います。
青柳唯のバンド編成ライブは、実に5年半ぶり。
そりゃあ開催に至るまでに、大変なこともあれば歯がゆいこともあり、疲れることもあればもどかしいこともあり…
ってそんなネガティブなことを伝えたいわけではなく、ネガティブなことも隠さずぶちまけつつも、開催に至るまでの気持ちだったり、何を準備したとかの記録的な意味合いも込めつつ、文章と写真で残しておきたいなと思ったのです。
この記事では、青柳唯が音楽活動を再開させるに至るまでの、きっかけや人との出会い、立ち塞がった困難や、そこをどう乗り越えたかなどの経緯を書こうと思います。
もうこれはエッセイだね。
今回の振り返り記事シリーズの真髄はこの記事にあり!と思うので、きっと読んでて楽しいと思います(無駄にハードルを上げてどうするんだ)。
【前提】本編に入る前に、ざっくりどんなイベントだったの?
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改めてイベントの全体像をざっくりおさらいすると、「青柳唯復活ワンマンライブ」は青柳唯バンド編成として5年半ぶりのライブであり、青柳の音楽人生で初めてのワンマンライブ。
2019年3月のライブを最後に休止していた青柳唯の音楽活動の再開を告げる記念すべきライブでした!
サポートしてくれるバンドメンバーは、休止前からレギュラーでサポートしてくれていたデンスケ、石月あすみ、Yutaroに加え、今回からハセ・チャンが新たに参加。
この日初披露となる新曲2曲を含む計7曲と、color chord時代の3曲の計10曲+アンコール1曲を演奏しました。
ちなみに、ワンマンライブの直前には、私青柳がやっているYouTubeチャンネルのオフラインイベント「Teamデュフィルノ😺ライブ&トークショー2024」を開催。
オフイベのお客さんにはそのまま復活ワンマンライブにも参加してもらいつつ、ワンマンだけ観たい人はオフイベ終了後の休憩時間に入場してもらう形を取り、チケットをそれぞれ発売しました。
とってもよい日だったなあ。
【開催概要】
『青柳唯復活ワンマンライブ』
日程:2024年9月14日(土)
開場 20:50 / 開演 21:10(終演予定22:00)
会場:札幌brew it(北海道札幌市中央区南3条西3丁目3-2 第2タムラビル1F)
前売チケット:¥2,500
当日チケット:¥3,000
<青柳唯 band members>
Vocal,Guitar:青柳唯
Guitar:デンスケ(eveparty)
Bass,Chorus:石月あすみ(mateno)
Keyboard, Chorus:Yutaro
Drums:ハセ・チャン(Pampas Fields Noise Found Art)
『Teamデュフィルノ😺ライブ&トークショー2024』
日程:2024年9月14日(土)
開場 19:00 / 開演 19:30(終演予定 第1部20:45 第2部22:00)
会場:札幌brew it(北海道札幌市中央区南3条西3丁目3-2 第2タムラビル1F)
チケット:¥3,500(ライブ&トークショーと青柳唯ワンマンライブの通しチケット)
【1】音楽活動を再開したきっかけ、偉大なミュージシャンとの出会い
青柳唯が今までどんな音楽活動をしてきたか
なぜ音楽活動を止めたのか
音楽活動を休んでいる間どんな気持ちだったのか
どんなきっかけで音楽活動を再開したのか
については、実はYouTubeですでに話している。
結構良い動画なのでラジオ感覚にでも観たり聴いたりしてほしいのだけど、めちゃくちゃ端的にまとめるならば
学生時代からcolor chordというバンドで精力的に活動、2016年に休止
color chord休止後、サポートメンバーを迎え「青柳唯」名義で音楽活動を開始
2018年よりYouTubeを始め、音楽の時間が取れなくなり2019年に音楽活動休止
そこからモヤモヤずっと音楽活動したいけどできない日々、辛い…(泣)
こんな感じ。この続きから書くよ。
10代のときから続けていた音楽活動がYouTubeを始めた翌年の2019年から止まってしまった。
いつか再開させたいと思いつつも、時間を捻出する方法がわからず、追われるように日々を過ごすことしかできなかった。
一度止まってしまったものを動かすのは、なかなかに難しい。
動いているものを動かし続けるのと、止まってしまったものを動かすのだと、必要なエネルギーが全然違う。慣性の法則って物理だけに適用するんじゃないんだ!?
といった感じで、気持ちとしてはずっと音楽活動を再開させたい!と思いつつも動けずにいたところ、2023年にヒラマミキオさんと出会う。
これが大きなきっかけとなる。
学生時代、ふと耳に飛び込んできた群青日和や遭難に衝撃を受けた。
あの東京事変の元メンバーであり、その後もエレファントカシマシやSuperflyなど、多くのアーティストの傍らでそのギタープレイを披露してきた一流のミュージシャン。
そんなヒラマさんのソロアルバムのレコーディングに参加し、ライブに参加することになる。
なぜそんな事態に転がっていったかは上述のYouTubeで話している。人生何が起こるのかわからないもんだ。
そうして必然的に相当な準備が必要となり、日々音楽と向き合う時間を強制的に作ることになった。
毎日ベースにさわる日々が訪れ、音楽活動を再開させるなら、この流れに乗るしかない!と確信。
「止まったものを動かすために必要な大きなエネルギー」を自分一人で、自分のために作り出すのは難しかったが、ヒラマさんの音楽活動に参加するにあたって「ヤバッ!練習しなきゃ!」という強制力が働き、日々音楽を作ったり演奏したりすることができるようになった。
「音楽を作り、演奏する人生(音楽を”聴く”だけではない人生)」という大きな渦の中に放り込まれて、半強制的に音楽と再び付き合うようになった感覚だ(もちろんその渦に入らないことを自分で選択することもできたが、そんなの入るに決まっている)。
この渦に巻き込んでくれたヒラマミキオさんには本当に感謝している。
「音楽活動を再開させる!よしやるぞ!」と何度も言って、何度も心を折ってきた。
動き出すのが本当に難しくて、その難しさの一因である”覚悟”もなかなかできなかった(この”覚悟”については別の章で詳しくお話ししたい)。
この渦に巻き込んでもらえたのは本当に幸運だった。
そんな幸運な出会いを経て、「青柳唯のバンド編成でのライブを自分で企画しよう!」と思い立つ。
音楽活動を再開させるなら、やっぱりライブでしょ。
2023年の夏にヒラマさんと出会い、その翌月くらいにはベースとアコギでレコーディングに参加、10月にはライブにベースで参加。12月にもベースでちょっとお手伝い。目まぐるしい数ヶ月間が突然訪れた。これが2023年下半期の話。
しかし青柳唯復活ワンマンライブが開催されたのは2024年9月。ここに9ヶ月の開きがある。
この9ヶ月間が大変だったんだ、本当に…。
【2】音楽活動の再開を決意!しかし思っていた以上にブランクは重かった
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音楽活動再開の場を自主企画ライブに据えつつも、新曲を作りたかった。
ただ既存曲を披露するだけのライブでは足りないと思った。
今の青柳唯の曲を披露しないと、本当の意味でのリスタートを切れない。
そう思ったのはいつだったか。
そう思うよりも早い時期、2023年の夏の終わり頃からまず一人で曲作りを始める。
しかし全然作れない。そりゃそうだ、4年以上サボっていたんだから。
この4年間、一切楽器を弾いていない。
というわけでもなく、思い立ったようにギターの基礎練をする半年間があったり、思い立ったようにベースの耳コピをする1週間があったり、思い立ったように作曲をする3日間があった。
しかしそのどれも「その先」を現実的に想像できていないから、継続ができない。
でも今は、音楽活動を再開する覚悟が決まった。
自主企画ライブで新曲を披露することすら、この時点ですでにボンヤリと考えていたのかもしれない。
「その先」を想像できている今は、少し根気強く、リハビリから始めるつもりで作曲を始めた。
ヒラマさんとは定期的にお茶をする仲になっていて、「新曲作ってる?」と訊かれれば「作ってますけど、ムズいっすねぇ」と答え、「今聴けないの?」と言われればその場で聴いてもらい、アドバイスをもらった。
そういった音楽の話になる度にヒラマさんはいつもポジティブな言葉をかけてくれつつ、先輩としてアドバイスもしてくれて、めちゃくちゃありがたかった。
そうやって作曲リハビリをする日々。数ヶ月が過ぎる。
「なぜ早くメンバーとスタジオに入らないんだ?」と思った方もいるかもしれない。私が他人だったなら、きっとそう思う。
その疑問に答えるならば、その時にこんなことを思っていたから。
「まず自分一人で新曲のデモを作ろう!そしてそれをバンドメンバーに送って、4年ぶりにみんなでスタジオに入るんだ!」
いやいや、今思うと無謀なんだけれども、その形がベストだと思っていた。
でもやっぱり無理だった。12月から1月のみんなが浮かれて休んでいるときこそ頑張って曲を作るぜ!とか思って向き合ったりもしたけれど、やっぱり全然曲は形にならなかった。
【3】最悪の想像もしたけれど…ついに青柳唯バンドが動き出す!
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さすがにもう諦めた。
「新曲を作って、デモをメンバーに送るんだ!」なんて、無謀なことは諦めた。
2024年1月になり、休止前までサポートしてくれていたバンドメンバー(と言いつつ気持ちは正式なバンドメンバー)の皆さん一人ひとりに連絡をした。
「久しぶりにスタジオ入りたいと思ってるんですが、やってもらえます??」
4年も経てば家庭環境や仕事など、生活を取り巻くあらゆる状況が変わっていてもおかしくない。
環境が変わっていなくても、気持ちが変わっていてもおかしくない。
そんな中、「お!やりましょう!」「ぜひ入りましょう〜!」と言った感じでみんな快諾してくれた。
思えばこの4年間にも、メンバーがやっているバンドなどのライブを観に行った際に、「青柳バンドまたやろうよ」とメンバーから声をかけてくれていたりもした。
その度に「マジでやる!今年はやる!」とか答えつつ、結局やらずに今年が終わる、みたいなことが何度もあった。
メンバーの大半はそれぞれに自分のバンドやソロ活動などの音楽活動を継続していて、青柳がやる気になったらいつでもやるよ〜のスタンスでいてくれたのだ。なんてありがたい…!
青柳がやりたい音楽活動は、音楽を作って作品として発表したりライブで披露したりすることではあるのだけど、その表現において「バンド編成である」ということはとても重要なのだ。
ソロでやることもあるけれど、あくまでそれは青柳唯のミニマルパッケージというか、最小単位での青柳唯の音楽表現だと思っている。
身軽にできるのがいいよね、みたいなメリットはあるけれど、やっぱりバンド編成で作ったり演奏したりする方が圧倒的にやりたい音楽を表現できるし、いいものができると思っている(まあでも、ソロの表現はまた別の良さがあるからたまにはやりたい)。
そしてバンドをやるならある程度いい感じのクオリティでやらないと楽しくない。
僕自身は歌もギターも大して上手くないのだけど、いや、だからこそか?メンバーには上手くいてほしいのだ(酷いわがまま)。
その点において青柳唯のバンドメンバーはみんな上手で、ありがてぇ…という気持ちです。
そしてそういった皆さんに「コイツダメだな」と思われないように僕としても、上手くはないが魅力はある!とか、ちょっとずつだが実は上手くもなっている!とか、なんせ曲が面白いよね、とか、そういった価値を提供できるように努めている。
あとマネジメントがちゃんとしてる!とか、メンバーを大事にしている!とか、バンドが周りから評価されている!とか、少しでもギャラが発生している!とか、このバンドにいることのメリットを感じてもらわないと申し訳が立たないので、どうにかそういった価値を提供できるように努めているつもりです。
そしてうちのバンドメンバーはなんせ、人がいい。
やっぱり、人間的にこの人いいよなあって思える人としかやりたくないよね。そういう意味でも青柳唯バンドのメンバーはいいよぉ。普段面と向かって本人に言わないけどもねえ。
【4】メンバーと4年ぶりにスタジオへ!しかし最大の困難発生…!
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そんなわけで青柳唯バンドのメンバーは最高だよっていう話が長引きましたが、2024年2月、私たちは実に4年ぶりとなるスタジオに入る。
このスタジオでは、この4年間の間に東京に居を移してしまったデンスケさん(ギター)はテレビ電話での参加、DJ画数(ドラム)は不参加となり、スタジオにはあーちゃんこと石月あすみ(ベース)、ゆうたろうくんことYutaro(キーボード)と青柳の3人が集まり、既存曲を久しぶりに一緒に演奏してみる、というリハビリスタジオとなった。
と思いきや!
実は新曲作りもギリギリ間に合わせることに成功した!
1番までしかできていないが一応のデモを作り、スタジオ2日前にバンドのグループLINEで共有するところまでいけたのである(LINEの履歴見るまで忘れてた)。
スタジオでは既存曲を3人で演奏したり、テレビ電話で神代さんとお話ししたり、新曲をなんとなく合わせてみるなどして、4年ぶりのスタジオ、その3時間はあっという間に過ぎていった。
バンド始動の音が鳴り響いたスタジオののち、詳しく話を聞いてみるとDJ画数はバンドに参加することが難しいことがわかった。
4年もの時が経てばそりゃ色々変わるよね〜ということで、とても残念ではあるけれども受け入れなければならない現実であった。
またいつか数年後にでも、お互いの状況が変わったりして一緒に演奏できる機会があったら、それはそれで面白いよね、という話をしたり、また普通に遊ぼうか〜という話をしたりもした。
さて、ドラマーがいなくなってしまった。
久しぶりにバンドメンバーと一度スタジオに入ったものの、ドラマーがいないと次のスタジオの内容も宙ぶらりんになりそうだ。うちのバンドはドラマーがいないとライブもできそうにない。
昔のメモを見返す。
青柳唯バンドを作ろうと思ったときのメモ。そこには札幌のバンドのドラマーの名前が書いてある、私の好きなドラマーたち。
その中でもその時一番仲が良かったのがDJ画数で、当時は家が近所だったりもしてよく家に遊びに行ったりしてたんだよな。
そしてそこには、特別仲が良いわけではないんだけど、ドラマーとして好きなんだよな〜という人の名前も書いてあった。
こういうのはダメで元々。
まずはSNSで相手の今の状況を調べてみて、その上で失礼のない形で、かつ正直にお願いをさせてもらおう。
ここでの彼女とのやりとりを公の場に書くことは遠慮するけれども、お互い正直な気持ちを共有しつつ、かつ現実的な話もして、青柳唯バンドのドラムをハセ・チャンが叩いてくれることになった!
本当にありがたい。本当に私は人に恵まれている。
【5】ハセ・チャンと初めてのスタジオ!そして東京在住のデンスケさんは…
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2024年6月、青柳唯バンドにハセ・チャンが参加して初めてのスタジオ。
初回のスタジオが2月で、次が6月。
実はこの4ヶ月の間にも何度かスタジオに入ろうと予定を合わせたりもしたが、あらゆる理由が重なり実現しなかった。
青柳が体調を崩したり、新曲の準備が全然進んでいないから、なんていうしょうもない理由もあった。
あと、全然関係ないけど、青柳は3月に札幌市内で引っ越したりもした。
ハセ・チャンとの初回スタジオ3時間はあっという間に終了。
これは…素晴らしいドラマー!!そして人間的にも青柳バンドに合ってるんじゃないの!?
スタジオ終わりにみんなで風月(お好み焼き屋)へ。
4人で同じ釜の飯ならぬ同じ鉄板の粉モンを食らい、ハセ・チャンは仕事何してるの?とか「温かいものしか食べれない人生 or 冷たいものしか食べれない人生、どっち選ぶ?」とかしょうもない話をした。
解散後、帰り道であーちゃん(石月あすみ)と二人になる時間が少しあったのだが、そのときに「ハセ・チャン良いドラマーだよね〜」という話のほか、「っていうかめっちゃ良い人でよかった」という感想をあーちゃんからいただき、安堵。
青柳は人から歌詞も褒められるし、ベースも褒められるし、ソングライティングも褒められるけど、なんせメンバー選びがめっちゃ褒められるんですわ。青柳は素晴らしいメンバーを選ぶ力がある!(いやメンバーがすごいのよ)
ちなみにこの日東京在住の神代さんはテレビ電話でも参加できず。
というか、この日以降も当日以外のすべてのスタジオにて神代さんはテレビ電話ですら参加できず、本番当日までハセ・チャンと神代さんは電話ですら会話する機会がないのであった(夜なら参加できるとのことだったのだけど、私たちは毎回昼にスタジオに入っていた)。
そして二人は本番当日のスタジオで「初めまして〜」→初めて一緒に演奏→本番という流れ。
これ、本番当日より前にどうにか会話するタイミングを作るのがリーダーである青柳の役目だったのでは!?
こんな感じの反省、実はたくさんあります…。精進…!
そんなわけで新生・青柳唯バンドは無事に動き出し、当日含む7回のスタジオに入り新曲2曲を制作し、既存曲5曲含む計7曲をしっかり練習し、color chordのセルフカバー3曲をなんとか間に合わせ、当日を迎えたのである。
【6】次回も読み応えたっぷり、人生論にまで発展してしまったよ
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青柳唯バンドの再始動までのエピソードゼロはこんな感じ。
次回はなぜワンマンライブをやることにしたのか?ワンマンライブ開催が決まるまでの経緯についてお話しします。
人生、今を生きるしかないんだよ…。
近日公開!スキ♡&フォローして待っててね!お楽しみに〜
【追記2024/12/18】#番外編を書きました!
ワンマンを振り返るシリーズの#番外編を書きました!
ワンマンライブの収支報告&音楽とお金についての青柳の考えを書いています。
興味のある方はチェックしてみてね〜
いいなと思ったら応援しよう!
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