【20話】博打の終着駅【まだ人間?】
-前回の続き-
この博打の楽しさを知ってしまったら「人生終わり」と言われているゲームがある。
通称「究極のギャンブル」や「博打の終着駅」等と言われて悪名が高い、俺なんかのnoteをここまで読んでいる物好きな人は、恐らく知らない人は居ないだろう。
お待たせしました。今回の話は
当時、ポーカーが終わると「放課後ギャンブル」と言って、帰りたい人は帰り、負けて熱くなっている奴はバカラをやったり、サイコロ振ったり、色々な事をやっていた。
パワプロで1点差1万とかの勝負にサイドベット数万円みたいな意味わからない勝負もたくさんあった。
俺自身は仕事もあるので、ポーカーが終わるとすぐ帰る事が多かったが、たまたま休みの前の日にやっていた盆で50万近く勝った放課後、この「手本引き」の親をやらされた。
知らない人の為にゲーム性だけ説明すると、親は①から⑥までの札を、小方がわからないように手ぬぐい等の下に隠す。
「入りました」
と、親の掛け声の後、子は親の札を予想する。
賭け方は様々で、張り札の置き方でオッズは変動し、1点読みから4点読みまでできる。もちろん1点で当てた方が配当は高いが、スイチと呼ばれる1点読みで当てたとしても配当は4.5倍。
6分の1を当てても4.5倍という、親がとても有利なゲームなのは間違い無い。
しかし、「傷」と呼ばれる親の「癖や意識」を小方に読まれた時は、一気に形勢が逆転する時がある。
親が子を攻略しようとするが、子は人数分でそれを親に仕掛けてくる。
オッズに見合わなくても人気を博すギャンブルなのだから当然それ相応の醍醐味がある訳だ。
手本引きの一つのポイントとして、胴前(親)の手元にある金額しか子は取る事ができない。胴前が10万しか無いのに、子が全員で20万勝ってしまった時は、悪いのは親では無く子になる。
なので親が手元に置く金額は常に子に見える状態である必要があり、
この金額が所謂「胴前の器量」というものである。
俺は初めての胴前で100万分のチップをチップラックに入れて、ディーラーの席に座った。(座らされたとも言える)
「入りました」
流石に何を入れたかは覚えて無いが、「初綱(しょな)」と呼ばれる1番目には③を入れないのが「天三(てんざん)」と呼ばれ、礼儀とされている。
日本らしい、博打の美学だ。
数番をこなして俺は勝ったり負けたりを繰り返し、トントンくらいだったと思う。
100万は一瞬で吹っ飛ぶ可能性のあるレートだった。
置く数字には規則性を持たさないように、なるべく無心で札を入れ続けて、親が終わるのを待った。
そして俺は欲をかいて、あるミスをした。
子の予想が全部外れる事を「ガラ」や「ガラガッパ」と言われている。
規則性を持たさずにひたすらこなしていた俺は、ちょっと欲をかいて「ガラ」を狙った。確か直前で置いた②を連続して入れたような記憶がある。
「入りました...」
子の予想の時間は親は何もする事ができない。
俺は煙草に火を付けた。
これがミスだった。
Aが言った。
「〇ちゃん、キツいとこ置いたっしょ...」
やられた。
俺の「煙草に火を付ける」という行動が、「俺に緊張感が走った」と読んだ天性のギャンブラー達は俺の②を確実に本線として狙い打ってきた。
「ネッコの②」
俺が②の札を開くと、子方が一斉に第一本線の張り札の②をめくってきた。さすがにこの時はクラっときた。
俺のチップラックは、たった1番の勝負で半分を持っていかれた。
そんなギリギリの勝負をするとこの博打には「ハリ」が出る。
文章で説明するのは難しいが、死線をくぐる親の感覚、親の思考にシンクロさせに行く子の感覚、全てが研ぎ澄まされた時、この博打が「博打の終着駅」と言われる理由が分かると思う。
そしてその感覚を味わいたい人がもし居るなら、
せめて最低でも自分の月収3カ月分くらいは受ける覚悟で胴前をやってみる事をオススメする。
そして、そこそこの手合いと戦う時は、
胴前の間は煙草くらい我慢する事をオススメする。
-続く-