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6. わいせつ表現の基準(チャタレー事件、七人の侍事件)
1. わいせつ表現に関する憲法の立場
憲法21条は表現の自由を保障しているが、わいせつ表現については一定の制限が認められています。わいせつ表現が公共の福祉に反する場合、つまり社会的道徳に反し、過度に淫らで社会的に有害と判断される場合には、表現の自由の制約が許されます。制限が適用されるためには、「わいせつ」の基準をどのように定めるかが重要な論点となります。
2. チャタレー事件(昭和32年)
事案:
D.H.ローレンスの小説『チャタレイ夫人の恋人』が、わいせつ文書頒布罪に問われた事案です。翻訳家がこの小説を翻訳し、出版したことで、書籍がわいせつ物に該当するとして処罰を受けました。
最高裁の判断:
最高裁は、この書籍をわいせつ文書と認定した上で、わいせつ物に対する規制を憲法21条と対比しつつ、次のように判断しました:
わいせつの定義:単に性的な内容が含まれているだけではわいせつとは言えない。公共の福祉に反するものである必要がある。
わいせつ文書の基準:「社会的に有害な性表現」や「性的興奮を不当に刺激し、社会的道徳に反するもの」がわいせつとして取り扱われるべきだとし、実際に性描写が不当に過激でない場合には、その表現がわいせつとして規制されることはないという結論に達しました。
判例の意義:
表現の自由とわいせつ規制のバランスを取るために、単に性的な表現があることだけでわいせつとされるわけではなく、社会的な害悪を及ぼす性表現である必要があると示されました。規制の範囲を狭め、表現の自由の保障を強調する方向に裁判所が判断を下したことが特徴です。
3. 七人の侍事件(昭和39年)
事案:
映画『七人の侍』の公開に関して、暴力的表現を理由にわいせつ文書頒布罪に問われた事案です。
最高裁の判断:
この事件では、映画がわいせつか否かという問題が焦点となりました。映画における暴力的な描写が、視聴者に対して不当な影響を与える可能性があるとして規制が求められましたが、最高裁は次のように判断しました:
わいせつの判断基準:映画や書籍などの表現物においては、その作品全体の社会的価値や、表現の社会的意義も考慮するべきだとしました。暴力的表現があったとしても、それが単に不快感を与えるものであればわいせつに当たらず、芸術的・社会的な意義を考慮する必要がある。
判例の意義:
この事件での最大のポイントは、芸術的価値や社会的背景を踏まえて作品を評価する視点を明示したことです。暴力や性描写だけでなく、表現が社会に与える影響や意義を総合的に判断し、表現の自由とのバランスを取る必要があるとする立場が強調されました。
4. わいせつ表現の基準に関する要点
社会的害悪:単に性的な表現があったとしても、それが社会的に有害な影響を与えるものでなければ、わいせつとは認定されません。従って、公共の福祉や社会的道徳に反する場合のみ規制対象となります。
芸術的・社会的意義の考慮:特に映画や文学などの表現活動においては、芸術的な価値や社会的意義が重要な評価基準となります。表現が不快であっても、社会的に有益な意義がある場合には表現の自由が保護されることがあります。
表現の自由との調整:表現の自由は、強い保護の対象ですが、わいせつ表現については、一定の社会的制約が認められる場合があります。ただし、この制約は厳格に判断され、最小限にとどめる必要があるという立場です。
5. 論文試験対策
わいせつ表現に関する論文問題は、憲法21条の表現の自由と公共の福祉の調整に関わる重要なテーマです。論文試験では、以下のような構成を意識して記述すると良いでしょう:
【問題提起】
わいせつ表現に関して、憲法21条の保障する表現の自由と公共の福祉との関係が問われる。特に、わいせつ表現の基準をどのように定めるべきかが争点となる。
【規範定立】
憲法21条は表現の自由を保障しており、これは基本的人権の一つである。しかし、公共の福祉の観点から、わいせつ表現については一定の制限が認められる。わいせつ表現に対する制約は、単に性的な表現があることだけではなく、社会的に有害である場合に限られるべきだという考え方が基本となる。
【事実のあてはめ】
たとえば、書籍や映画がわいせつかどうかを判断する場合、その内容が社会に対する害悪を及ぼすかどうかを問う必要がある。映画『七人の侍』のように、暴力的な表現があっても、作品が芸術的・社会的意義を持つ場合、その表現がわいせつと認定されることは少ない。
また、チャタレー事件のように、性的描写があっても、それが社会的に有益な形で表現されている場合には、わいせつに当たらないとされる。
【結論】
わいせつ表現に関しては、社会的に有害な影響があるかどうかを重視し、芸術的・社会的価値も考慮しながら、表現の自由とのバランスを取る必要がある。表現の自由は基本的人権として強く保護されるべきであり、わいせつ表現の制約は、最小限にとどめられるべきである。
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