雑記51 / 古い記録のリアリティと思い出したこと
10年ほど前、やきもの業界で仕事をすると決めた時に立ち寄ったBOOKOFFや古本屋で、立て続けに祖父の記事が掲載された陶芸ムック本や雑誌を見つけた。
「こんな適当に見つけられるくらいいろんな本に載ってるだなんて、祖父はそれなりに有名だったんだなぁ」と感慨深く思っていたけれども、その後記事掲載されている本をあまり見かけていない。
偶然連続して見つけた時は100~500円くらいで買ったのに、その後祖父の名前を見かけても書籍として割高だったり他の内容が薄かったりで流してしまう。
あれは何かの、というか祖父の導きだったんだろうか。当時はまだ生きてたけれど。
一冊目は『日本のやきもの 瀬戸・美濃・常滑』
猿投古窯群の発掘記事からこの三地域を繋げており、加藤唐九郎と荒川豊蔵を大きく取り上げつつ、日展・伝統工芸展系作家を中心に「美術工芸」における「陶芸作家」を並べる記事が主となっている。祖父は「美濃古染付」の復刻第一人者として伝統工芸系の流れで取り上げられている。
二冊目は『日本の陶芸と窯』
全国各地の○○焼の産地を巡る記事で、各地方の大家たちも取り上げつつも先の雑誌と同じような人々が「作家と量産窯仕事の二足の草鞋を履きながら」のようなリアリティを感じさせる記事がメインだ。「美術」に向かおうとするやきものと「作家ものでありつつ生活雑器」であるやきものの両立、あるいは本音と建前みたいなものとその混乱が作家・編者両方から交錯して感じられる。祖父は「良いものづくりをする窯元のオヤジ」みたいな扱いである。
三冊目『やきものの里・雑記帳』
民藝的価値観と勃興するクラフトの器が交わる冊子だ。素朴、暮らし、温かみ、半農半陶と言った言葉が目立つ。今で言う「丁寧な暮らし」的価値観に近く、全体を通じてどこかコミューン的な夢と社会主義的な思想の残り香を感じさせる。祖父の仕事は「一見地味だがとても味わい深い器」だそうだ。
10年前にひと通り読んだ時の感想は「祖父の仕事はこの雑誌の価値観のどこにも属していない」だった。まだ陶磁器業界のことも日本の陶磁史もあまり頭に入っていないころだったけれどもそれだけは読み取ることができた。
美術工芸ではないし、ただの生活雑器ではない。とはいえ美術工芸品でもあり、生活の道具でもある。それぞれの冊子が向かおうとしている価値観と、祖父と父や伯父たちの積み重ねてきた仕事は違う、ということは直観的に理解した。自分が使って育ち、知らず知らずのうちに受け取ってきた価値感覚とのズレがある。
当たり前のものとしてありながら、それが芸術である、しかし民藝的素朴さとは異なる美意識や思想がある。
書きながら気がついたけれども、祖父には思想があったのだ。
何が他と違ったって、思想が全然別物だったはずだ。なんでそんな簡単な事を見落としていたんだろう。
だからあの人は虎渓山永保寺で修行したんだろう。そして何かを伝えるために僕には東洋哲学を学べと言い、そして僧侶にしようと目論んでいた。
「美術工芸」や民藝〜クラフト的価値観への違和感に対するひとつの解がそこにある気がする。最初に書こうと思っていたことと全然違うところに辿り着いてしまったけどまぁいいや。
亡くなっても作品が残っているのはありがたい。言葉は無くても、作品を眺めていれば分かるはずだ。
しばらく祖父を追ってルーツを巡ろう。おそらくそこに出口がある。
メモとして葬儀の時の様子を残しておく。
大事なデータは分散して置いておかないと。