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雑記65 / 百聞と一見、遅れた告知

「百聞は一見にしかず」とは言うけれど、僕は勉強が好きなので、百聞しておくといざ一見したときに百見くらいの情報量が得られることを知っている。ゼロ聞の一見は、一見の価値しかない。

人によっては十聞の準備で百見になるかもしれないし、百聞しておいても八十見くらいしか得られないかもしれない。個人差はあれど、勉強するにこしたことはない。

かつて利発な少年だったころの僕は、「じゃあ二百聞くらいすれば一見を超えるだろう」と生意気なことを考えてよく本を読んだ。音楽もたくさん聴いた。

古い時代の小説や歴史の本を読み、その時代の音楽をたくさん聴いて想像力を働かせれば、行ったこともなければ、もはや存在しない60年代のロンドンや、50年代のニューヨーク、90年代のシアトルを存分に思い浮かべることができた。僕にとっては実感を伴って存在する、想像上の時代と都市。空想の中で本物よりもリアルな場所があり、そこで営まれた刺激的な日々を過ごしたかのように、何百聞したことを頭の中で再構成していた。

時は流れ、実際に東京にやってきてみると、人が多いばかりで、想像してたよりずっと普通でがっかりした。当然ながら田舎で読んだ物語のようなダイナミズムのある出来事には、距離を置いて見るだけでは辿り着けない。そこに存在する何かにコミットして触れようとしなければ分からない。古き良き「百聞は一見にしかず」の一見も、その意味で今では理解できる。

そういう実感を伴って「見る」こと。「観る」と書いた場合に近い感じ方。
そこに最短距離で辿り着くために。あらゆる一見を、最大級の密度で堪能できるようにするためにはやっぱり勉強は必要だよな、ということで。

ここから先を告知に繋げるつもりで下書きに入れて放置し、告知のタイミングを逃してしまった。

本当は明日2月24日(月)のワークショップの告知に繋げるつもりだった。



この件はまた終了後にレポートとして書く。間違いなく、楽しい一日になる。


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