雑記 41 / 『最後にして最初の人類』
どうやらすごいらしい、と噂に聞いてそのうち読んでみたい、と思いつつも古書価格が高騰して手が出なかった『最後にして最初の人類』
改訳再発されたので、即刻入手した。
20億年の話をたったの数時間で読んでしまったために時間感覚がバグってしまい、あまりのスケールによって心の片隅にある虚無感が少し大きくなっている。
20億年後の未来に生きる第18期人類が、第1期の人類である我々に人類史を語る。人類は何度も滅亡しそうになる。内部からの崩壊もあれば、火星人侵略もある。自然現象による滅亡をテクノロジーによって避けようとする。
「人類らしさ」は何度も失われる。それでもなお何故か人類は文明とその発展を目指す。壊滅的に何かを損ない、次世代の人類に意志を託し、それは忘れ去られ、また芽生える。
最初の数十ページでヨーロッパは壊滅する。
しばらくすると最初の人類が滅亡して第2期の人類が現れる。
各世代の人類の栄華と没落の中で、優生思想やファシズム、資本主義や社会主義への皮肉が淡々と描かれる。ここで語られるものは歴史であって、思想ではない。故に、その人類が抱いた思想による行く末が浮かび上がる。
どんな思想であれ結局は滅亡するんだけれども。
それでいて、最後の最後に第18期人類が最初の人類に語りかけるのは人類讃歌であり生命讃歌だ。滅亡すると分かっていながらに語られる最後の希望だ。凄まじいですよ。
これを読み通す頃にはそれを純粋に美しいとは言えなくなっているはずだけれども。
ちなみなんと映画化もされていてアマプラにもある。
無謀な映画化。以前これを見て僕はより一層小説を読みたくなった。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B09G5LBW9R/ref=atv_dp_share_cu_r
作者であるオラフ・ステープルドンは音楽に造詣が深く、テキストの中で何度も比喩としての音楽が利用される。壮大な物語を音楽というメタファーに託して伝えようとするならば、ある意味においてこの映画は、作者の意図するところと深いところで通じ合っているのかもしれない。
読んだあとで思い返すと、やはり良い映像化だったんだろう。共産主義時代の異形の遺物「スポメニック」を写しながら重く響くティルダ・スウィントン様によるモノローグ。
小説読むよりは楽かもしれない。けれどどちらも人を選ぶな…
それにしても文庫本で税込1,650円には驚く。
出版不況と物価高に円安とかいろんな理由があることは察する。
ゆめしか出版でも『日本現代うつわ論』を印刷所に発注するたび、値上がり幅にびびっている。
それにしても…
これだけ値上がりすると「文庫」選ぶ理由はなくなっていくよなぁ。
今後は中古レコードみたいに、物理的な書籍の価値は高まっていくだろうし、そうなると美しく丈夫な装丁の方が良いんだよな。
色変化の少ない上質紙で、部屋に並べたくなる装丁で。かつ内容の素晴らしい本たちが今後は求められるんでしょう。
余談だけれども、小二の息子は僕の本棚から気になる本をひっぱり出しては「まだ早かったか…」と戻しているらしい。本がたくさん並んでいるメリットってそこにあるよな、と思う。好奇心が刺激されて、いつか読んでみようと思えること。積んでおくことも大事。そういうことにする。