混乱期は過ぎた。これで厚労省が改めなければ次は集団訴訟が待っている。
(2020年5月5日)
このところ、悲惨な報道が相次いでいる。
自宅療養をされていた警察官の方が急変して死亡した(読売)。同様の事例が埼玉県でもあり、警察が把握した路上死などでも感染確認者が相次いでいる(ANN)。
そして、高熱ともうろうとした状態が4、5日続いた男性が保健所に電話してもひたすら「自宅療養」を指示されるだけ。今度は咳が続いてもCT検査が前提で、「コロナでなければ5万円かかりますよ」と受け控えを促すような指導しかなかったとの報道がなされいる(デイリー新潮)。
ところが、この実態に対する加藤厚労大臣の答弁は、
「これは別に検査を受ける要件ではなくて、受診の診療の目安ということでありまして、これについては37.5度を4日、というのは要するに、そこ以上を超えるんだったら必ず受診をしていただきたい、そういうことで出させていただきました」。
実態を知らないのではなく、責任回避のために役人が事後的に取り繕ったペーパーに沿って答弁したのであろう。
しかし、こんなごまかしはいつまでも続くものではない。
そして、問題は、保健所の対応だけではない。
お笑い芸人のラジバンダリ西井さんという方がおびただしい倦怠感と40℃の熱で意識が朦朧とするなか救急搬送されたというのに、インフルエンザ検査でインフルが否定された後、リンパ球の異常値が確認された後タクシーで帰宅させられたという(デイリー)。
国の対応に右に習えがごとく、医療機関も本来なすべき対応を患者に対してしていない。急変がありうるのだから、このような例は最低限CT検査をすると共に入院管理が必要であったろう。
もちろん、現実のキャパシティの問題があることは承知しており、「本来ならなすべき対応」という意味ではあるが、医療サービスを受ける側に立ってみれば、その割引もいつまでもできる訳ではない。
私は、現段階では、個々の医療機関の対応まで問題視するものではない。
第一義的には、こうなることがわかっていながら、医療体制整備を遅くとも3月から進めるべきであったにもかかわらず、自治体任せで少しも前進させてこなかった国の責任である。そのことはその時点から党のヒアリングや個別の質問で度々厚労省には指摘させていただいてきた。その答えはいつも「自治体に要請している」であった。我がこととして真剣に医療体制を拡充しようという意欲は感じ取れなかった。
そして次に責任があるのは自治体である。
特に最大の感染多発地帯である東京都は緊急事態宣言発令間近の段階で、急に積極的な発言をトップがし始めたが、肝心の医療体制整備はいつから取り組んだのか。
ICUや感染者用の病棟確保に万全の準備を行ったドイツが、日本の10倍以上の感染者を抱えながら隣国の重症者まで受け入れ、それでも自国民の治療にはまったく差し支えはないと担当者が胸を張っているのを見るにつけ、今この時期になってさえ国民にここまでの不十分な医療しか提供できていないことは準備不足というしかない。
当初の混乱期に生じた様々な問題について、国や自治体に法的責任があるとまで。言うつもりはない。
しかし、現在は、安倍首相が国民に「コロナの時代の「新たな日常を作り上げる」」ことを要請するにまで至った時期。
であるなら、厚労省や自治体が「コロナの時代の「新たな医療体制を作り上げる」ことを当然に要請される時期でもあるのだ。26兆円規模の経済対策中心の補正予算を赤字国債増発によって成立させた今、財源は問題とならない。
通常時であるならば当然法的責任を追及されるような「医学的にみて正しくない指導」-それは大臣も認めている-が続くようであれば、国や保健所は集団訴訟の対象となることもきちんと自覚して対応を改めなければならない。
また、医療の現場においても、治療の必要な患者を家に帰すような体制は、国や自治体が責任をもって改めなければならない。
わかっていながらきちんと取り組まないのであれば法的責任を追及されることも意識して、絶対に国民に必要なこの医療体制整備に対する取り組みに本腰を入れるべきだ。
保健所がまともなアドバイスをできるようにするには、どのように医療体制を整備しなければならないのか、逆算して考えればすぐにわかるはずだ。