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第2話 臭いものに蓋をすると、いつか誰かに開けられる

2008年に地球の裏側メキシコのグァナファトにてお惣菜デリカ「デリカミツ」を創業しました。2020年10月、12年半に渡って喜怒哀楽満載の思い出がつまった宝石箱を胸に代表を引退しました。このnoteではそんな日々を振り返り備忘録として、同じ失敗はしないように、またこれからの新しいストーリーの為に記していきます。

第2話
2008年1月

どうやら本当に細かい事は気にしないオーナーのおかげ?で物件の契約はトントン拍子に進み、晴れて僕は異国の地で自分のお店を開く場所を手に入れた。

本当なら「よし!これからこの場所で一旗挙げるぞ!」と意気揚々として肩で風を切って歩いても良いのだろうけど、僕の気持ちはまったく晴れなかった。そもそも、肩で風を切るほどの幅もない路地裏で一体どうやって集客するんだよ?というまだ出来てもないお店の心配をする前に、僕にはそれ以前の根本的な、もっと本質的な問題を解決する必要があったのだ。

お店を開業するのには営業許可が必要だ。それは、別にその場所が海外であってもなくても同じで、合法的に何か商売をするには営業許可が必要なのだ。当時も今も、違法的に商売をする事はどこでも出来る。特にこの国はそういったことにとても寛容で、やろうと思えば営業許可も取らずに営業することだって可能だけど、僕はそこのところがとても臆病で、とてもじゃないけど許可なくしておおぴらにお店をするなんてできそうもない。
市役所の窓口で僕を迎えてくれたシルビアは正にカトリック教徒の模範のような人で、突然現れた外国人の僕に営業許可を取るために必要な書類やどの部署に行けばいいかということを丁寧に教えてくれた。

「身分証明書はパスポートで良いのかな?」

なんでそう聞いたのかはわからないけど、それはきっと心の何処かに
「パスポートじゃダメだよね?でもそれでも良いって言っておくれよ」
という期待を込めていたのだろう。シルビアの答えはその聖母マリアの様な全てを許容する屈託のない笑顔とは裏腹に現実を僕に突きつけるものだった。

「ダメよ。貴方、INEはないの?」

INEとは所謂、国民登録カードの様なもので、マイナンバーのようなもの。つまりそれは紛れもなく観光ビザでこの街に滞在している僕らには手にすることは出来ないもの。国籍を取得すればもらえるけれど。何度も繰り返すが僕は観光ビザなのだ。

「ないよそんなの。」

「じゃあFM3ね。パスポートじゃだめ。」

FM3とはFormaMigratoriaであってFunkyMonkeyではない。そんなことはわかっている。長期滞在者界隈では噂になるっているあのFM3だ。つまり滞在許可証である。外国に一定期間を超える滞在をする場合には、どこの国もこの滞在許可証を求められる。この国の人がどこの馬の骨ともわからない日本人に物件を貸そうが、携帯電話を買おうが、何をしようが構わないけれど、就労したり、長期間滞在する上でこいつがなければそれは不法滞在なのである。

僕がはじめにこのFM3という滞在許可証の存在を知ったのは、遡ること3ヶ月前。所持金のアメリカドルを国境で両替したら、結構な額のペソになった、そのペソを滞在先のアパートのベッドの下に隠すことに一抹の不安があった。ベッドの下に隠すものは遅かれ早かれ誰かに見つけられる。僕はそれを思春期に身を持って知っていたから、ちゃんと銀行口座を作って預けようと思い立たったのだ。そして銀行の窓口でこのFM3というなんとも言い難い響きの単語を聞いたのだ。

「銀行口座?外国人であればFM3がなければ開設できません。」

「FM3?なんですかそれは?パスポートのことですか?」

「パスポートではなくFM3です。滞在許可証です。観光ビザではなく、長期滞在が認められる滞在許可証です。」

この銀行でのやり取りの後から、僕は薄々もしかしてこのFM3というのがないと何もできないんじゃないか?と考えだしたけど、いつも臭いものには蓋をする癖があった僕はこの時もこのFM3に蓋をしていたのだった。

その蓋を市役所の聖母マリア、いや。。シルビアが開けたのだった。

つづく

海外で起業して少し時間が経つと何処からかそれを知った人たちから質問される機会が増えます。「海外でどうやって起業するんですか?」「ビザはどうやって取ったんですか?」などなど、その中でも最も多いのがやっぱり「ビザ」について。僕は全部自分で弁護士なども使わずに、使えずに、全ての手続きを行った経験からビザ関係についてかなり詳しくなりました。
自分がビザを取った経緯や方法、必要書類等については、物語とは別に改めて僕のnoteにまとめて書いていきます。ご期待ください!



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