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第8話 優しさの輪

2008年
2月19日

パコは「30日以内だよ。」と最後にもう一度忠告してくれた後、次の番号を読み上げた。「30日。。」長いようできっと足りない微妙な日数を提示されて、まるで何かのゲームをやっている感覚になっていたけれど、僕には攻略法なんてまるでなかった。そもそも、労働ビザは一般的には雇用してくれる会社があって、その会社が申請をしてくれたり、メキシコ人のパートナーがいたり、高額ではあるけれど弁護士に頼んだりして取得する。僕のように自分で何もかもやろうとする馬鹿な人は見たことがない。

次の日、朝一番に都市開発部のファティマから電話がかかって来た。彼女は営業許可証の事で話があるからオフィスまで来て欲しいと言って電話を切った。僕は、直ぐに表通りに出てタクシーをつかまえ、急いで後部座席に身を放り込んで行き先を告げて値段交渉をする。このタクシーの値段交渉というのが非常に面白い。観光客に間違えられると倍くらいの値段を提示される時もあったり、ローカルと同じ値段を即座に言われる時もある。だけど今日みたいに「いつもいくら払ってる?」と聞かれると何故か自分がこの街に受け入れられたみたいで嬉しくなった。運転手が吸うタバコが煙たくて窓を開けると2月の冷たい風が車内に吹き込んで一気に目が覚めた。この頃のタクシーはまだ多くがNISSANのTSURUという車種でNISSANは他のどの日本車よりも重宝されていて昭和の趣きが漂う必要最低限の装備しかないその車がこの国でのタクシーのデフォルトとして活躍していた。車内にはシートベルトはないけど、ミラーに貼ってあるイエス・キリストや聖母グアダルーペの肖像画が安全性を保証しているようだった。

丘の上の都市開発部のオフィスに着いて、守衛にファティマと約束がある。と伝えるとまた来訪者名簿に名前を書いて奥のオフィスに通され、そこにはファティマがシルビアに似た笑顔で僕を迎えてくれた。握手をしてハグをする。この国のお決まりの挨拶が知り合いのいない街に突然やってきた僕には心地が良かった。

「元気?移民局はどう?上手くいってる?」

「うん。上手くいっているかはわからないけれど、この間ちゃんとした通知をもらって、そこにはやっぱり営業許可証の提出を求められていたよ。あと、2,3別の書類もだけど、何もわからなかった時に比べればまだ何を揃えれば次に進むかがわかっただけでも一歩前進だと思う。多分。。」

「それは良かったわ。いつまでに営業許可証を提出しなければならないの?」

「通知をもらってから30日以内なんだ。昨日のことだったから29日だね。」

「29日? 大丈夫よ心配しないで。実は貴方の営業許可証なんだけど、店舗物件の安全検査の結果待ちなの。安全検査官は来た?」

「嗚呼、そういえば来てたね。」

安全検査の担当官はまず物件の小ささに驚いた様子で、店舗全体のサイズやガス、電気、水道など諸々の安全性を検査しにきたけれど、なにぶんまだ労働ビザも取れていない状況だったから、内装には全く手をつけていない僕の物件を見て、営業できる状態になってからまた再度検査すると言って帰っていった。

「だけど、まだ何もないから、営業できるようになってから再検査するって帰って行ったんだ。」

ファティマにそう伝えると、彼女は受話器を取ってダイヤルを回した。電話口の相手としばらく話してから僕に「どれくらいの席数になるか?」「ガスボンベの大きさは?」「消化器は買ったか?」など基本的な事を聞いて、それを電話口の相手に伝えていた。

「OK。貴方の物件はとても小さいみたいだから、どちらにしてもそんなに危険なことはないでしょう。今、保安局に貴方の物件の状況を伝えておいたから、明日には安全審査の合格証が発行されるわ。」

そう言うとファティマはパソコンの画面を見ながら何かをタイプし始めた。
5分もしない内に一枚の紙が印刷されて、それを僕に見せながら

「今から、窓口で営業許可証の発行手数料を払って来て。支払いが終わったら、受付にレシートを渡して、私に渡すように伝えてね。貴方が手数料を払っている間に私のボスから営業許可証のサインをもらっておくから、受付でその営業許可証を貴方に渡すように手配しておくわ。そして明日、ちょっと遠いけど保安局の事務所で安全審査の合格証を受け取ったら、それをコピーしてまた此処に持ってきて。これで、貴方の営業許可証はオッケーよ。」

僕は本当にどうして彼女や彼女の叔母シルビア、そして、他の役所の人たちがこんなに優しくしてくれるのかはわからなかったけど、なんとなくわかってきてたのは、人は人に寛容なると寛容の輪が広がる。時にはそれをある人はいい加減だとか適当だとか言うけれど、完璧を求めすぎないことが優しい世の中を作っているのではないだろうか?少なくともこの国にある寛容の輪はこうして生きやすい世の中をつくっているように思えて仕方がなかった。

優しさを与えるほうも受け取るほうも完璧を求めないからこそ、与えやすく受け取りやすい。心地よく受け取ってもらえるから、また心地よく与えることができる。そんな優しさの循環がこの国にはあるようだ。僕はこの数週間でこの優しさの輪に随分と助けられているんだ。

僕はそんな事を考えながら都市開発部を後にしていつものカフェへと向かった。カフェに着いてカフェラテを頼むと僕はどうやって自分の調理技能を証明しようか、移民局の通知にあった30日以内に提出しなければいけない追加書類、その2つは割と簡単に手に入った。一番最初の難関だった営業許可証も手元にある。それが一番難しいと思っていたけど、なんとかクリアできて、また新しいもっと難しそうな課題を出されたようで頭を悩ませていた。自分が調理をする技能や経験があるか。それを証明しなければいけなかったけれど、唯一僕が持っているのは調理師免許だ。だけど、それは日本に置いてきていた。それだけじゃなくて、移民局の通知には「アポスティーユをつけること、政府公認の翻訳家の手によって翻訳してあること。」と但書がしてある。つまり、ただ日本から郵便で調理師免許を送ってもらうわけにはいかないのだった。あまりにもクリアできなさそうな課題を目の前に目を背けたくなったけれど、一つだけわかっていたのは、それをクリアすれば労働許可にまた1歩近づくということだったから、とにかくどうにかして自分の経験を証明しなければいけなかった。 

つづく

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