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第17話 路地裏テラス席誕生秘話

「目新しい」ということじゃない、むしろ全く今まで誰も目にしたことのない食べ物なので「意味がわからない」。その頃までに既に認知度では世界チャンピオン級だったチャイニーズファーストフードのイメージが住人の120%の人々に埋め込まれていた街で

「お惣菜デリ」という海外を訪れる日本人にとっても珍しいコンセプトを

・表通りから見えない
・坂になって傾いている
・誰も知らない

路地裏でやるわけだから、いつの日かこの「路地裏テラス」(琵琶湖テラスみたいに言うな。。」がデリカミツの運営の要の一つとなっていた。

とにかく、お店に来て食べてもらえばわかってくれる

そう思っていた僕はなにかの拍子で来店したお客さんが食事もせずに立ち去っていく後ろ姿を眺める日々を唇を噛み締めて暮らしていた。

世界遺産でもあり年間を通して世界中から観光客が集まるグァナファトには街の至るところに「テラス席」が設けられえいる。適当に自分のお店の前に開いたスペースがあればテーブルと椅子、そしてパラソルを出して「テラス席」を作っているように見えるし、実際のところ市民のほとんどの人が僕たち事業者がこの「テラス席」を作るために市役所に使用料を支払っているとは知らないのだ。 
2008年4月の開店当初から考えると2021年現在では割と規制がしっかりされて街の住民とテラス席の共存がなされているように見えるけれど、5年位前まではそれこそ歩道を塞ぐように至るところでテラス席が設置されていたから、住民とそれを管理する市役所との間で仁義なき戦いがまさに繰り広げられていたのだ。

僕が最初にナタリーのために無断に勝手に路地にテーブルを出したとき、表の広場のレストランオーナー達はこぞって嫌な顔をし、そして通報され保安局により撤去されてしまった。そらそうだよ。長年の間、市役所との駆け引きと大人の関係があるんだ。そんな時にいきなりアジア人が勝手にテーブルを出してるなんて誰でも良い気はしないのは理解できた。

市役所のインテリメガネくんは

「誰も許可を持っていない。」

と言ってたけれど、それは「皆が無許可」ということではなくて、紙面としての許可証はないけれど、どのレストランも市役所との合意があって秩序を保っているということだった。

薄暗い市役所の執務室のようなところで彼は僕に一つの提案をしてくれた。

「テーブル置けばいい。だけど。。。」

「だけど?」

「だけど、許可証はない。目立たないようにしなさい。もしも市の検査官が見回りにきたら ”市役所と合意済み” と言えばいい。信じてもらえるかどうかはわからないけれど、それで一旦は引き下がってくれるはずだから。」

それから1年と少し。僕は店の前に2つのテーブルを置き始めた。1年の間に何度も検査官がやってきて撤去を命じられたけれど、その度に「市役所との合意があるから」と言ってはその場をやり過ごしていた。実際にそう言えば大体が引き下がってくれる。そのうち検査官の間で情報が共有されたのか検査官は来なくなっていた。表の広場のレストランのオーナー達はそれから少しの間は僕をどこかのグループに引き込もうと定期的に誘ってきていたけど少し状況が変わってきていた。2008年9月のリーマンショック以降の余波が少しづつ出てきていたのか表の広場のレストランの数件が閉店しどこか勢いが弱くなって来ていたのだった。僕のお店はそんな影響を受ける程大きくなかったし、なにより開業間際で暇だった。

一つだけ影響を受けたとすればその頃からメキシコの通貨ペソが暴落しはじめた。常連客だった銀行員のファンは

「日本円を持っているなら大事にしろ。ペソはこのまま下がり続けて20年は上がることはないだろう。」

とまるで未来予想図かのような忠告を僕にしてくれていた。

けれど、僕は自分のお店を開ける為に持っていたなけなしの日本円を全て注ぎ込んでいた。開業当時、$1000の売上は10000円だったけれど、それから銀行員ファンの言う通りペソは暴落し続け、$1000の売上は日本円で5000円になった。メキシコ国内で生活するには売り上げたペソを円に換算する必要性は全くなくなんの問題もないけれど。

余談だがとかく日本人からデリカミツで提供しているメニュー価格や「繁盛しているよ」と言ってもペソの売上を日本円に換算され、メキシコのGDPや平均収入、最低賃金、物価など何も知らずに「なんだそんなもんか。。」 と言われるのが悔しかった。その悔しさをバネにして頑張ってた時期があった。今ではそんな事を気にしていた自分がバカらしい。デリカミツは毎日毎日お客さんでいっぱいだった。それだけでよかった。

話を戻そう。

とにかく。グァナファトの街も世界中のそれと同じように不景気の煽りをうけていたのか、それともその後の2009年に起こった豚インフルエンザ騒動の影響もあったのか、表の広場のレストラン達の勢いにも陰りが見え始め、1つ、また1つと閉店していった。どのグループにも入らず広場でも一匹狼だったセザールも広場でのレストラン業を撤退して移転していった。

2009年
12月

路地裏にテーブルを置き、テラス席の居心地を良くしはじめてから、徐々に僕のお店にお客さんが増えてきていた。テーブル席は2つしかないから、ピークになるとどうしても待つ人が出てきて、それが遠くからみると行列しているように見える。どこかで聞いたセオリーだけれど、いつしか

「あそこの店は早く行かないとテーブルに座れない。いっつも混んでる。」

という嘘のような、いや。。。嘘なんだけど。。テーブル2つしかないから。そういう噂あると聞くようになってきた。

市役所のインテリ眼鏡には

「目立たないように。」

と言われていたけど、調子にのった僕はもう1つテーブルを増やすことにした。それが功を奏してまたお客さんが増えた。とは言えテーブルは3つ。相変わらず店内で食事したい人は少ないし夜遅くまで営業していても真っ暗になる路地に人は来なかった。

2010年
1月

メキシコ、その中央高原にあるグァナファトは標高2200mにある街で、街全体が世界遺産だ。寒くはなるけど雪は降らない、一年を通して過ごしやすい気候で海外、特にアメリカからの移住者、そして旅行者が多い。路地裏のテラス席はそんな移住者と観光客の間で特に人気になってきて、お昼時はいつも満席になるようになってきた。欧米人は普段からデリカテッセンに慣れ親しんでいるし、彼らの文化でもあるから、それを日本風にアレンジしている僕のコンセプトは受け入れられるのに時間はかからなかった。だけど、開業して1年半が経っても未だメキシコ人達に理解してもらうのに苦労していた。メキシコ人のお客さんのほとんどはなにかしら日本について興味がある人達や1度食べて気に入ってくれ、リピートしてくれる人たちだったけれど、朝10時から夜10時までオープンしていたお店が忙しいのはお昼時の2時間程度でそれ以外は「パン屋を手伝うキキ」状態。毎日残ったお惣菜を食べていた。

「もう一つテーブルを増やそうかな。。」

そう考え始めていた時、忘れていた頃に市役所の検査官がお店にやってきた。

「テーブルの許可はもっているのか???」

もう何度も聞いたこのセリフにその頃の僕は慌てることも、怯えることもなく答えた。

「許可は持ってないけど、市役所と合意済なんだよ。市役所に確認してよ。」

慣れたもんだった。初めてみる検査官は ”そうか。。それなら大丈夫だ。” 
と言ってしぶしぶ帰って

は行かなかった。。

「市役所と合意? どの市役所だい?」

「え?? あの眼鏡の。。。ダニエルだよ。執務室の。。」

「ダニエル?そんな執務官はいないな。。いつの話だ? 君は昨年の選挙で政党が変わって、市長が変わったのを知らないのか? 新しい市長、新しい市政に変わったんだ。新しい市長はテーブル許可の統制に乗り出した。許可がないなら今すぐ撤去しなさい。」

インテリ眼鏡のダニエルはもういない。。新しい市長?? 
検査官は腕を組みながら僕が3つのテーブルを店内に入れるのを見届けて
一枚の警告書を残していった。

つづく






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