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第12話 新たな1ページの幕開け 開業編〜

2008年
3月末

都市開発部のファティマとの約束通り移民局で労働ビザが発行されて直ぐに僕はそれを街の文具屋でコピーしてから市役所のシルビアのもとへ向かうと、彼女はいつも以上に笑顔で大きなアブラソをして祝福してくれた。

「よかったわね!おめでとう!これでお店を開けるわね!」

「ありがとう!全部なにもかもシルビアのおかげだよ。シルビアが助けてくれなかったら営業許可証も労働ビザも取れなかった。本当にありがとう。」

「何を言ってるの?私は何もしてないわ。本当に良かったわね。日本食のお店頑張ってね。楽しみしているわね。神のご加護を!」

不思議なもので、異国の地で僕は何度もこの ”神のご加護” に救われてきた。いや、そう思わざるをえない出来事があまりにも多すぎて仕方がないのだ。営業許可証と労働ビザとの無限ループにはまってしまった時に僕はいつも街の真ん中の教会の中に一人座って、ひんやりとした馴染みのある空気に包まれるのが好きだった。そこは街の喧騒といえば少し大袈裟な、世界中から訪れる人とこの街に住む人々とが作り出す賑やかな雰囲気からは想像ができないくらい静かで特別な空間だった。僕はカトリックでもクリスチャンでもないけれど、この国の人々の宗教観が好きだったし、彼らがそれを信じる姿を信じていた。色々な国の色々な人種、それぞれの人生観を持った人達がカトリックのこの国にやってきて互いを許容し受け入れる温かさを僕は肌で感じていた。

セマナサンタの休日のおかげで街にはとても活気があって、市役所を出ると街のメイン通りは沢山の人で埋め尽くされていた。世界遺産に登録されている街らしくスペインから独立するもっとずっと前に建てられた中世の教会や寺院、そして重厚な石畳がまるでヨーロッパの街並みのようで、だけどどこかそこまで洗練されていない街並みと真っ青な空が何者でもない僕をすんなり受け入れてくれているような気がして好きだった。市役所の目の前にあるオレンジ色の大きな教会を背にして坂を下ると、メイン通りから少し入ったところにサンフェルナンド広場がある。真ん中に大きな噴水、左手にはカフェやワインバーが並び、右手にはスクエアの周りに並んだレストランがテラス席を作っている。そのテラス席の向こう側、賑やかな表の広場からは一切見えない場所に僕のお店へと繋がる路地があるけれど、その先にお店があるなんて誰の目からみてもわかるはずがなかった。

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「やっぱり、歩いてる人からは全くどこが路地の入口で、まさかそんな路地裏に日本食、ましてやお惣菜を売る店があるなんて。。。どう考えても無謀だよな。。」

これから何年も同じ自問自答を繰り返すことになる問を僕はこの時初めて身を染みて感じていた。

広場の奥左手に路地の入り口がある。路地を入ると広場で歌うストリートミュージシャンの歌声も、子供たちがはしゃぎまわる声も聞こえない。不思議なくらい別世界に吸い込まれるその先に僕のお店はあった。

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首都で購入したショーケースは、これもまた場所が見つからないという配達員とのやり取りに苦戦したけれど、無事に搬入されて小さな店のスペースは一段と少なくなった。だけれど新しいおもちゃを手に入れた僕は意気揚々とショーケースの電源を入れようとしてコンセントを差し込んだ。

「バンッ」

電源をつけると大きな音を立ててブレーカーが落ちた。搬入された初日、10分後の出来事だ。コンセントを抜いて、落ちたブレーカーを上げ、もう一度慎重にコンセントを刺してからからまた電源を入れる。

「バンッ」

もう一度同じ事を繰り返す。

「バンッ」

駄目だ。もう一回やったらショーケースが壊れてしまう予感がした僕は仕方なくパンチョに電話をかけた。パンチョは所謂なんでも屋でこの物件のガス工事と水道工事をやってもらう人を探していた時にたまたま街で小さなボストンバッグから工具をはみ出させて歩いているのを見つけて声をかけた小太りのおじさんで、自称「なんでも屋」の通り、ガスボンベの設置からコンロの設置、水漏れが酷かった水道工事、そして電気工事もお手の物だった。
パンチョは電話してから小一時間でお店に来てくれて僕の新しいショーケースを見るなりこう言った。

「あんた、こりゃだめだよ。こんな大きいの。ブレーカーが落ちたから良かったけど、下手したらショーケースの電源も焼けるとこだった。とにかく、配線と電源供給、ブレーカーも全部変えないと。。だって、これ以外にも他に冷蔵庫とか色々置くんでしょ?こんな小さい容量のブレーカーじゃあ冷蔵庫つけたら終わり。どうする?変える?」

「変える?もなにも、変えないとショーケースどころか使えるのが冷蔵庫だけって、ショーケース使えなきゃやりたいことも出来ないよ。なんとか使えるようにしてよ。」

確かに20m2くらいしかない倉庫みたいな小さいスペースに冷蔵庫2台と業務用のショーケースを置いて、しかもフライヤーや炊飯器とか置くなんてどう考えても15アンペアのブレーカーが2つ付いているだけじゃ全く容量が足りない、しかもそのブレーカーはさっきのショックで変な匂いを放ちはじめていた。

パンチョは僕から前金を受け取って2時間程してから材料を抱えて戻ってきた。僕はパンチョを信じて作業の全てを任せてカフェに行ってメニューのアイデアを仕上げることにした。

この街で手軽に手に入る野菜をメイン使ってに自分が美味しいと思えるお惣菜をここに住む人達が「また食べたい!」と毎日でも通いたくなるものを作くるんだ。でも、それだけじゃ寂しいからこの国のレストランでは必ずみかける ”Menu del dia" という日替わり定食のようなものも作ってみよう。僕は何故か外国人が好む味や見た目、嗜好を良く理解していて彼らが食べたくなる料理を作るのが得意だった。もちろんその ”外国人” にこの国の人達が含まれないのだということに気づくのに時間はかからなかったけれど、とにかく大まかなお店のメニューが決まりつつあった。

2008年
4月1日

前日までパンチョの電気工事が続いてやっと終わったのは3月31日の夕方だった。おそるおそるショーケースのコンセントを差し込んで電源をいれると「ウィーン」という鈍い音をたてながらショーケースのコンプレッサが動き出した。備え付けの蛍光灯が神々しく店の外の路地を照らして、開店前日にどうにかお店らしいお店ができた。

初めての自分のお店の開店で全く自信がなかった僕は開店の日を誰にも告知せずにそっとおとなしくお店を開けるつもりだったけれど、小さな街にどこからともなくやってきた変な日本人が新しく開けるお店の事は既に何人か聞きつけてその日を待ちに待っていてくれていた。ようやく電気工事が終わって念願のショーケースにも電源が入った。買い物もしっかり終わらせて、食材の下ごしらえも手際が悪いなりに進んでいた。そんな僕は営業許可証のことや労働ビザのこと色んなことがなんとか無事に解決してお店を開けることが出来ることで安心したのかいつもよりも深く眠りについた。。

4月1日開店予定日。

僕は大事な事を忘れていた。。

つづく

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