見出し画像

短編小説「前夜」


「なんで私の名前って"梅香"なんだっけ?三月生まれなのに」

 今日の作業中に婚約者の智明に聞かれて、確かに何でだろうと思ったのだ。
 冷え込みが続く二月、リビングの掃き出し窓からは、真っ赤に咲く梅が見える。疲れた体をソファに横たえながら、洗濯物を畳む母に視線を移す。

 来月の入籍、その半年後の挙式に向け、今日は朝から引越しの荷詰めに追われていた。家具家電は彼が一人暮らししていたものをそのまま使って買い替えていく予定だから、主には服や日用品。それでも長年溜め込んだものを取捨選択するのには骨が折れた。

 明日は最後の掃除をして、新居に移る。手伝ってくれていた母は、その後も家事を続けている。母は、昔から文句も言わず、淡々と家事をこなす人だった。新居では、全部の家事を自分でやっていかないといけないと思うと、少し不安になる。

 父は根っからの仕事人間で、今日も仕事だ。

「名前の由来は授業でやったから覚えてるけど。"寒い時期を耐え忍び、凛と咲く梅のようになってほしい"だっけ。でも、この辺りでは梅の開花時期はニ月頃でしょ。三月なら桃香とかの方があってない?」

 それとなく、そちらの方が可愛かったのではないかという事を匂わせる。「渋い名前だね」はまだ良くて、同級生に「おばあちゃんみたい」と言われたこともある。

「あれ、梅香に話した事なかった?あの日はとても寒い日だったんだけどね」

 母の顔が自然と緩む。小柄で丸っこい母は、歳を取っても可愛らしいという言葉がしっくりくる。背が高く厳めしい顔をした父にそっくりな私と並んでも、ひと目で親子と気づく人は居ないだろう。

 頬に右手を当てるのは、何かを思い出しながら話す時の母の癖だ。洗濯物を畳む手が完全に止まってしまったので、長くなりそうだなと覚悟した。



 あの日はとても寒い日だった。

 お友達の紹介でお父さんー直忠さんと初めて話した2月初旬。喫茶店で会った時「唐揚げさんだわ」と思った。

 働いていたお弁当屋さんに、平日は直忠さんがお弁当を買いに来ていて、唐揚げ弁当しか買わない人として覚えていた。もう毎日絶対に唐揚げ弁当。晴れでも雨でも唐揚げ弁当。飽きないのかと思いつつ対応しながら、心の中で“唐揚げさん”とこっそり呼んでいた。

 私は気づいたけれども、勤務時はエプロンと三角巾、マスク姿の私が、ワンピースを着ているのだから、気づかれていないだろうと思っていた。背伸びして買った服に着られている自覚はあったけれど、精一杯おしゃれをしていった。小柄で丸顔、少しふくよかだった私は、マスコットキャラクター的に可愛がられながらも、女子校だったこともあり、これまで恋愛ごととは無縁だった。

 それなりに緊張して今日を迎えていたのだが、その日、直忠さんは緊張でガチガチで。両手を膝の上で握りしめ、背筋をピンと伸ばしていて、何かの面接でも受けにきたのかという様子だった。自分よりも緊張した人を見ると、不思議と気持ちは緩んだ。

 きっと、余りに女っ気が無いから心配で連れて来られたのねと思いながらお話ししていたら、様子を見かねた直忠さんのお友達がちょっと二人でブラブラして来たらと言い出して。今日の主旨に即した提案だけれども、この状態で放り出されたら困ると思って抵抗を試みたものの「あとはお若い二人で」とお見合いの常套句とともに、呆気なく追い出された。

 お店を出たら、冷たい風が頬を撫でていって、思わず首をすくめた。直忠さんは「行きたい場所があるのですがいいですか」と言った。

「近くに梅の綺麗な庭園があるんです」

 チョイスを意外に思いつつ、この寒いのに野外か……と少し滅入りながら、「それは素敵ですね」と言って仕方なく着いて行った。

 しかし、着いた庭園は圧巻の一言だった。赤、白、桃の梅たちが視界いっぱいに咲き乱れ、言うに言われぬ濃厚な香りが漂っていた。しばらくぼーっと見入っていると「あ、あの!」と声をかけられる。

 まずい、一緒に来たことを忘れていたと思いながら振り返ると、何かを言い出そうとして言葉に詰まっている。

「とても綺麗ですね。梅をきちんと鑑賞しに来たのって、初めてかもしれないです」

 とりあえず素直な感想をお伝えしてみたら、直忠さんはハッとした様子で「ここに来て良かったです」と言い、安心したように少し息を吐き出した。改まって何だろう、まさか告白?さっき初めましてした所なのに?

「すみません、友達にはもう少し打ち解けてから言うように言われてたんですけど、私は京さんの事を知っていました。お弁当屋さんでいつもテキパキと接客されているのに、表を掃いている時に笑顔で挨拶してくださった姿に好きになってしまって、友達に相談するとあの堅物が恋をするなんてと周囲が大騒ぎになってしまい、方々に声をかけた結果、どうにか友達の友達のまたその友達くらいが繋がって……。昨日は緊張で寝られず、朝を迎えました」

 少し目が血走っているのは緊張ではなくそのせいか、と関係ない事が頭を過ぎる。

「もし良かったらお付き合いしていただけませんか」

 寒い中、耳まで真っ赤にして一所懸命に話す姿に、驚くほど簡単に陥落してしまった。大きいのになんて可愛らしい人なのだろう。彼もまた梅の木の一本のようだった。

「私で良ければ。そして、私も知っていましたよ、唐揚げさん」

 そう言うと、びっくりした顔のまま固まってしまった。


 そこからはのんびりとお付き合いが進み、五年付き合った二十八歳でやっと結婚にこぎつけた。私は当時のスタンダード通り家庭に入り、そして一年後に梅香が生まれた。

 梅香は大層な難産だった。三日三晩陣痛に苦しみ、痛みと痛みの間に意識を失うように寝る。直忠さんはオロオロするばかりでちっとも役に立たなかった。ただ、当時は出産に立ち会う人がまだ少なかった中で、三日間しっかりと休みをとって一緒にいてくれたのは嬉しかった。

 三日間の疲労と無事に生まれたという安堵、それから初めて握る小さな手の可愛さに、生まれてきてくれてありがとうという気持ち。色んな感情がないまぜになる中、ふと顔を上げると、ぽろぽろと大粒の涙を流して、顔を真っ赤にした直忠さんがいた。その姿があの日の顔に重なり、濃厚な梅の香りが鼻先をくすぐったような気がして、そうだ!これだ!と思った。

 それであなたの名前は梅香になりました。由来は後付けだったの、ごめんね。

 退院して一週間、家に赤ちゃんがいるという状況に馴れだした頃に、直忠さんが買い物に出かけて行った。本当は私も少し休みたいと思っていたけれども、生まれてからは家にいる時間は家事に育児に付きっきりで頑張ってくれていたから、息抜きも必要かと見送った。

 帰ってくると、大きな体に似合わぬ小さな可愛らしい紙袋を持っていて、緊張した面持ちで私に差し出す。中に入っていた箱を開けてみると、花の形の指輪が入っていて、思わず直忠さんを見た。

「梅をモチーフにしているらしい。梅香を産んでくれてありがとう。人生で一番喜びを感じた日だった。出産と、毎日の育児お疲れさま」

 産んでから毎日わからないことばかりで、少なからず不安だったけれども、口に出すと梅香に伝わってしまいそうで心の中に隠していた。でも、直忠さんの言葉を聞いて、私頑張ったな、頑張っているな、そしてそれをちゃんとこの人は見てくれていると感じて、今度は私が、ありがとうと言いながら泣いてしまった。

「会社の先輩方に相談したら、娘さんにも引き継げるようなアクセサリーとかがいいんじゃないかという話になって」

 泣いている私から抱っこを引き継ぎ、私の肩も引き寄せて優しく叩いてくれた。

「じゃあ、梅香がお嫁に行く時にあげようかしら」と言うと、がっくりと項垂れて、梅香を抱く手に力が入ったのを覚えている。

 あれから三十年以上も経ったなんて信じられない。これまで元気に育ってくれてありがとう。いくつになっても、梅香は私たちの宝物だからね。

 最初は何々お母さんたちの馴れ初め〜?とニヤニヤ聞いていたが、途中から体勢を立て直し、最後は正座しながらぽろぽろと泣いてしまった。自分から振ったけど、出て行く前の日にこの話はずるい。

「あらあら、泣き方までお父さんにそっくり」

 そう言いながら差し出してくれたティッシュを受け取り、涙をぬぐって鼻もかんでから、姿勢を立て直す。

「こちらこそ、三十二年間お世話になりました。これまで甘えっぱなしでごめんね」

 きょとんとする母。

「なんで?お金も入れてたし、自分の分の家事はしてたじゃない」

 家を出ることになってから、ずっと心に渦巻いていた思いが顔を出す。

「でも、ご飯とか掃除とかのメインはお母さんがしてくれてたでしょう?私も同じようにできるかな」

 それを聞いた母がくすくすと笑い出す。真剣な思いをちゃかされたようで、むっとして俯く。

「すっかりマリッジブルーね。来月、入籍やめようって言われたらどうしようと思ってる?」

 正直言うと思ってます。一人暮らしが長い彼より絶対に家事ができない嫌な自信がある。

「お母さんは専業主婦だからね。智明さんと協力してやればいいのよ。それに、今日片付けしている様子を見て大丈夫と思ったよ」

 片付けの様子?どういうことだろうと顔を上げる。

「勝手に判断せず、一つずつ梅香に確認しながら進めてくれてたし、あの部屋を見ても文句も言わずに作業してくれる人なんだから大丈夫よ。それに、梅香は頑張り屋さんだから心配してないわ」

 にっこり笑ってそう言ってくれる母の存在はとても心強い。

「いい機会だし、指輪渡しておこうか」

 そう言って階段を上がると、寝室から小さい箱を持って降りてきた。蓋を開けると、ゴールドの5枚の花びらの真ん中にダイヤモンド。指にはめて手をかざすと、きらりと光って、まるで新しい門出を応援してくれているようだった。



 “Mr. & Mrs. Abe Arts & Culture Prize”応募作品(落選)を改稿したものです。
 第二回は文芸作品の募集は無いようなので貴重だったかも。

『「梅」や「梅から連想されるコンセプト」』がテーマでした。

 今年の1月ごろに、人生で初めて書いた小説です。そこからぽつぽつと短編の賞に応募しつつ、先日の創作大賞2024が人生で書いた中で一番長い小説になりました。

 何個か書きかけているものがあるので、頑張って書いていきたい。文章を考えるって大変だけど面白い。

 次に応募しようと思っている公募が未発表のものしかダメなようなので、しばらくこちらには小説は投稿できないかもですが……。

 noteのコンテストにも応募したいと思っているので、そちらもあわせて挑戦していきたい!

 創作大賞が終わって、一息ついてしまっている感があるので、気合を入れ直して頑張ります。

いいなと思ったら応援しよう!